KIT : 1/700 FUJIMI MURASAME/YUDACHI TOKU-78
村雨
村雨(むらさめ)は、日本海軍の駆逐艦。白露型の3番艦である。村雨型という表記も使われた事がある。艦名は村雨に由来し、この名を受け継ぐ日本の艦艇としては、春雨型駆逐艦「村雨」に続き2代目に当たる。
戦後、海上自衛隊の護衛艦として初代「むらさめ」と2代「むらさめ」が就役した。
1933年(昭和8年)12月15日、村雨(ムラサメ)と命名。第67号駆逐艦村雨は藤永田造船所で1934年(昭和9年)2月1日に起工し、1935年(昭和10年)6月20日に進水した。 当時は初春型駆逐艦の最新鋭艦として紹介されたこともあった。 1937年(昭和12年)1月7日、浦賀の3番艦村雨と佐世保の4番艦夕立は同日附で竣工した。
太平洋戦争開戦後は、南方作戦、比島ビガン攻略作戦、リンガエン湾上陸作戦、タラカン上陸作戦、バリックパパン攻略作戦(バリクパパン沖海戦)、スラバヤ沖海戦(第一次昼戦・第二次昼戦)、比島保定作戦、セブ島攻略作戦、ミッドウェー海戦、インド洋での通商破壊作戦(B作戦)、第二次ソロモン海戦、第三次ソロモン海戦を歴任して、1943年3月5日ビラ・スタンモーア夜戦にて艦砲射撃で主砲や機関部を破壊され航行不能に陥ったのち、艦尾から沈没した。
アメリカ軍によれば、村雨は巡洋艦3隻の砲撃で沈没。日本側の記録では、村雨の沈没時刻は23時30分。 村雨の乗員245名中、生存者は129名、戦死者は116名であった。
沈没時多数の乗組員が生存していたのだが、大発動艇による救助が遅れたことで溺死者が増えてしまったという。同日のコロンバンガラ島守備隊はメリル隊の艦砲射撃を受けて甚大な被害を出しており、救助に向かうまでに時間を要したのが一因であった。
同年4月1日、ビスマルク海海戦で沈没した時津風達と共に村雨の除籍が決定した。第2駆逐隊、 白露型、帝国駆逐艦籍のそれぞれから削除された。
神奈川県横須賀市の鴨居に駆逐艦「村雨」の碑が建っている。
Wikiより GFDL上の著作権表示
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SPECIFICATIONS :
TYPE : DESTROYER
COMMISSINED : 1937 FATE : 1943 SUNK BY NAVAL GUNFIRE
CLASS : SHIRATSUYU CLASS
NAME : MURASAME WETHER
DISPLACEMENT : STANDARD 1,685t, TEST -t, FULL LOAD -t
LENGTH : 111m BEAM : 9.9m
ARMAMENT : LAUNCHED
PRIMARY GUN | 2×12.7cm Twin Gun, 1×12.7cm Gun |
SECONDARY GUN | – |
AA GUN | AS PRIMARY GUN |
AA MG | 2×40mm MG |
MG | – |
ROCKET LAUNCHER | – |
TORPEDO | 2×61cm Quad Torpedo Tube |
DEPTH CHARGE | 16 |
OTHERS | – |
AIRCRAFT : –
ADDITIONAL:
–
LIST OF SHIPS:
白露型 白露 | 時雨 | 夕立 | 春雨 | 五月雨
改白露型 海風 | 山風 | 江風 | 涼風
PARTS LIST:
1/700 フジミ製 村雨・夕立 2隻セット 特-78
1/700 レインボーモデル製 白露用 ディテールアップセット Rb7080
1/700 軍艦堂 二式爆雷 GK70011
1/700 軍艦堂 絡車ホース GK70012
1/700 軍艦堂 木材 (平型) GK70013
張り線 FH100001
真鍮線 0.2mm, 0.3mm, 0.5mm
銅線 0.3mm
SPECIAL COLOR:
CREOS C32+C62 50%-50% : ウェザリング、下地ブラック考慮のため、1:1で混色
CREOS C41 : Replace SC06リノリウム塗装部分に使用 (リノリウム色は明るすぎるため)
TIME LINE:
2020年5月17日 製作開始
2021年1月17日 製作再開 (ほぼ着手から放置であったもの)
基本組みにエッチング使用。ロープ類は自社製を使用。
二式爆雷は自社製を使用。
張り線はニッケルチタン線とストレッチ線を使用。
2021年1月25日 完成
REF.#A-001-015
POSTSCRIPT:
白露型3番艦、あたりまえのように中央構造物機銃座には25mm機銃や13mm機銃が座ってるかとおもいきや毘式40mm対空砲です。Wikiには40mm単装機銃 2基としか記述がありませんが、毘とはヴィッカース (Vickers)社のヴィ(毘)から来ていて、あの英国海軍のポンポン砲(POM-POM)と同じものです。故障が多くホッチキス製(保式)の13mm、25mmへ置き換えられていったようです。
キットのものは形状は忠実に40mm機銃が再現されていたので、ハンドルのみエッチングで設置しました。見た目大味っぽいですが、重厚な存在感があります。
編集 鴣囃子裕二@軍艦堂 トップへ
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