サンディエゴ (USS San Diego, CL-53) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。アトランタ級軽巡洋艦の3番艦。艦名はカリフォルニア州サンディエゴに因む。その名を持つ艦としては2隻目。
サンディエゴは1940年3月27日にマサチューセッツ州クインシーのベスレヘム・スチール社、フォアリバー造船所で起工する。1941年7月26日にグレース・レグラー・ベンボウ(当時のサンディエゴ市長パーシー・J・ベンボウの妻)によって命名、進水し、1942年1月10日に艦長ベンジャミン・F・ペリー大佐の指揮下就役した。
サンディエゴはチェサピーク湾での公試航海の後、空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) と合流して出撃し、ミッドウェー島近海に急行したものの、1942年6月4日のミッドウェー海戦には参加できず、6月13日に真珠湾に到着した。その後、サンディエゴは空母ホーネット (USS Hornet, CV-8) と行動を共にすることとなり、南太平洋戦線に出動した。
8月上旬から、サンディエゴは第17任務部隊に属して[2]ガダルカナル島上陸に端を発する、ソロモン諸島での一連の戦いに参加した。反攻するアメリカ軍に対し、日本海軍は強力な航空攻撃と艦隊攻撃で応戦し、しばしば手痛い損害を与えた。サンディエゴは9月15日の空母ワスプ (USS Wasp, CV-7) の沈没を目撃し、10月26日の南太平洋海戦では重巡洋艦ノーザンプトン (USS Northampton, CA-26) 、ペンサコーラ (USS Pensacola, CA-24) および軽巡洋艦ジュノー (USS Juneau, CL-52) などとともにホーネットを護衛したもののホーネットは被弾大破し、サンディエゴはホーネットの放棄に立ち会った。
南太平洋海戦の後、第三次ソロモン海戦、ガルヴァニック作戦、クェゼリンの戦い、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦などを経て日本占領時の任務を終えた後、1946年11月4日、太平洋予備役艦隊に編入され、防空軽巡洋艦に艦種変更され、そのまま現役に戻ることなく、10年後の1959年3月1日に除籍され、1960年12月にシアトルのトッド造船所にスクラップとして売却された。
サンディエゴは第二次世界大戦の戦功で18個の従軍星章を受章した。
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性能諸元:
分類:軽巡洋艦
クラス:軽巡洋艦
艦番:CL-53
起工:1940年起工 竣工:1942年竣工
型式:アトランタ級 艦番:3番艦
艦名:サンディエゴ 2代サンディエゴ
由来:地名 カリフォルニア州サンディエゴに因む
諸元:基準排水量:6,000トン 満載排水量:トン 公試排水量:トン
全長:165m 全幅:16.2m
兵装:
竣工時 | 再現時1944 |
5インチ連装砲×8 | 5インチ連装砲×8 |
1.1インチ砲x16 | 撤去 |
– | 20mm Oerlikon 単装機銃x15 |
– | 40mm Bofors 連装砲×3 |
– | 40mm Bofors 4連装砲×1 |
21インチ4連装魚雷発射管×2 | 21インチ4連装魚雷発射管×2 |
爆雷×16 | 爆雷×16 |
搭載機:なし
信号符字 November – Charlie – Delta – Foxtrot
補足情報:
–
同型艦:
アトランタ (Atlanta CL-51)1941年竣工(FSB社)1942年第三次ソロモン海戦で自沈
ジュノー (Juneau CL-52) 1942年竣工 (FSB社)1942年第三次ソロモン海戦で雷撃にて戦没
サンディエゴ (San Diego CL-53) 1942年竣工(ベスレヘム・スチール社)1946年11月退役
サンファン (San Juan CL-54) 1942年竣工(ベスレヘム・スチール社)1946年11月退役
オークランド以降は別級として扱われるため掲載しておりません。
考証:
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別仕様:
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使用部品:
ドラゴン製 サンディエゴ CL-53
ファイブスター製エッチング、フライホーク製エッチング、レインボーモデル製製品、各種金属製部品、ニッケルチタン線、海魂製エッチングなど使用
製品所在:
2016年2月7日 軍艦堂にて起工
2016年4月29日 軍艦堂にて竣工
2016年5月1日 関東在住のコレクター様所蔵
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あとがき:
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編集 鴣囃子裕二@軍艦堂 トップへ
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