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1/700 給糧艦 間宮 1941

間宮(まみや)は、日本海軍の給糧艦(運送艦)。 その艦名は、樺太の間宮海峡から採られた。給糧艦とは艦艇に食糧を供給する補給艦のことである。
八八艦隊計画内で能登呂型給油艦の1艦として予算が成立したが、海軍の強い要望で連合艦隊随伴用の給糧艦が1隻、その予算で建造された。それが間宮である。船体は商船構造とし、設計は川崎造船所に委託。設計は同社がかつて手がけた大阪商船の北米航路向け貨客船はわい丸の設計を手直ししたものであり、就役当時は間宮は世界最大の給糧艦であった。戦時、平時問わず日本海軍の補給の要として活動したが太平洋戦争末期、アメリカの潜水艦の雷撃により沈没した。
間宮は純商船式の船体に各種の倉庫・食料貯蔵および製造設備を持ち、平時には艦隊への、戦時には戦地への食料補給が期待された。
艦内の最新式の巨大な冷蔵庫・冷凍庫設備で肉、魚、野菜など18,000人の3週間分の食料を貯蔵できた。寄港先現地での調達も行い、屠殺製肉設備もあったため、牛馬を生きたまま積み込んだのちに食肉加工し、保存しておくことも可能だった。またパンなどの一般的な食料だけではなく、アイスクリーム、ラムネ、最中、饅頭などの嗜好品からこんにゃく、豆腐、油揚げ、麩などの日本固有の食品まで多くの加工食品を製造できた。これらの製造のために間宮の艦内には部屋ごとに分かれたキッチンが多数あり、それぞれに腕の立つ専門職人が乗船し、軍属として働いていた。軍属としての職人らの待遇は良かったとされている。大量の食料を扱うことから衛生面においても特別な配慮がなされており、他艦艇においては航海中は入浴・洗濯とも数日に1回、さらに風呂の湯は海水を用いるなど真水の節約に努めていたが、間宮では風呂でも洗濯でも真水をふんだんに用いることができた。
間宮が入港すると新鮮な食料が各艦に補給されるため、艦隊の酒保として非常に人気が高く、帝国海軍の中では最も有名な艦だったという。艦内で製造される羊羹は「間宮羊羹」として人気が高く、老舗羊羹店が海軍に納入した羊羹をさばくのに苦労した、などの話が伝わる。
運送艦間宮はその性質上、巡航速度が非常に低速であったため艦隊に随伴せず単独に近い航行が多かったが、沈没は前線の将兵の士気に多大な影響を与えることから、駆逐艦側も厳重に護衛を行ったとされる。武装がささやかながら備わっていたが、平時は砲台のみが設置されており、砲本体は取り外し、陸上に保管することで食料等の搭載量を増やす運用を行っていった。
食糧補給以外にも訓練時に曳航標的船を搭載したり、分解した水上偵察機などの軍事物資の輸送に従事した。間宮固有の糧食配給艇も数隻搭載。これらの小型艇や物資積込み作業を行うため、上甲板前部に15トン重デリック、後部に20トン重デリックを装備している。医療施設のない小型艦艇の傷病者を受け入れる病院船としての役割も担った。また強力な無線通信設備を搭載し、艦隊の無線検知艦(無線監査艦)としても行動したため、間宮の艦長は通信のベテラン将校が多かったという。
泊地に停泊中、当艦の食料供給能力を利用し、士官室を使用して海軍兵学校同窓会の会場として使用されたこともある。
1944年(昭和19年)12月20日、海南島東方の南シナ海においてアメリカの潜水艦シーライオンⅡ (USS Sealion, SS-315)の雷撃で撃沈された。凍てつく海に投げ出された船員のほとんどが低体温症のため命を落とし、救助された間宮の船員も次々と命を落とした結果、生還できたのはわずか6人だった。 1945年(昭和20年)2月10日、運送艦籍より削除。また駆逐艦清霜等と共に除籍された。
1983年(昭和58年)11月20日、間宮の生存者ら有志の手により間宮の慰霊碑が呉市の長迫公園に建てられた。間宮の建造から沈没までの犠牲者502柱が合祀されている。
2015年(平成27年)12月2日放送の歴史秘話ヒストリア『お菓子が戦地にやってきた~海軍のアイドル・給糧艦間宮~』で間宮が取り上げられ、間宮の生存者と戦死した船員の家族が出演した。

Wikiより GFDL上の著作権表示
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.

性能諸元:
分類:特務艦
クラス:給糧艦
艦番:-
起工:1922年起工 竣工:1924年竣工
型式:単独型 艦番:単独艦
艦名:間宮 初代間宮
由来:地名 間宮海峡に因む
諸元:基準排水量:15,820トン 満載排水量:15,666トン 常備排水量:12,176トン
全長:150.93m 全幅:18.59m
兵装:

竣工時 最終時
14cm連砲×2 14cm連砲×2
8cm高角砲×2 8cm高角砲×2
25mm連装機銃x2
25mm三連装機銃x2
25mm単装機銃x4
13mm単装機銃x2

搭載機:なし
信号符字 Juliet – George – Lima – Queen
J G L Q

補足情報:
伊良湖の建造まで、海軍が保有した唯一の給糧艦

同型艦:
間宮 (まみや) 1924年竣工 (川崎神戸) 1944年海南島東方にて雷撃により戦没。

考証:

別仕様:

使用部品:
アオシマ製 間宮
各社エッチング、金属素材、プラスチックインジェクションパーツ等使用

製品所在:
2016年5月16日 軍艦堂にて起工
2016年5月27日 軍艦堂にて竣工
2016年5月29日 大阪府在住のコレクター様所蔵

36.5K

あとがき:

編集 鴣囃子裕二@軍艦堂 トップへ

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2 Responses

  1. 信号符字の「O b o e」に対する信号旗が今現在「Lima」の信号旗になってはいないでしょうか?
    間違っていたらすいません・・・

    • 蒼穹の昴さま
      ご指摘大変ありがとうございます。非常に助かります。
      JGLQのテキスト表示が Lima ではなく Oboe になっていましたこと確認いたしました。
      早速修正させていただきました。
      修正前 給糧艦 間宮 信号符字 Juliet – George – Oboe – Queen
      訂正後 給糧艦 間宮 信号符字 Juliet – George – Lima – Queen

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