戦艦

IJN Yamato Class BB Yamato

大和(やまと)は、大日本帝国海軍が建造した史上最大の戦艦(基準排水量65,000トンは現在もなお世界最大の戦艦)、大和型戦艦の一番艦。
開戦直後の1941年12月に就役し、やがて連合艦隊旗艦となった。この任は司令部設備に改良が施された同型艦 武蔵が就役(1942年8月)するまで継続された。1945年4月7日、天一号作戦において米軍機動部隊の延べ1,000機以上の航空機による猛攻撃を受け(魚雷14本、大型爆弾3発、小型爆弾多数)、坊ノ岬沖で撃沈された。当時の日本の最高技術を結集し建造され、戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備え、防御面でも重要区画(バイタルパート)では対46cm砲防御を施した、桁外れの戦艦であった。
艦名「大和」は、奈良県の旧国名の大和国に由来する。日本の中心地として日本の代名詞ともなっている大和を冠されたことに、本艦にかかった期待の度合いが見て取れる(同様の名称として扶桑型戦艦がある)。
菊水作戦時、沖縄までの片道分の燃料しか積んでいなかったとされていたが、実際には約4,000(満載6,500)トンの重油を積んでいた。
うまく沖縄本島に上陸できれば乗組員の給料や物資買い入れ金なども必要とされるため、現金51万805円3銭が用意されていた(2006年の価値に換算して9億3000万円分ほど)。
また出撃に先立ち(5日午後)、傷病者と若干の老兵、兵学校卒業直後の53名の士官候補生が退艦させられた。
戦死者は伊藤整一第二艦隊司令長官(戦死後大将)、有賀幸作艦長(同中将)以下2,740名、生存者269名または276名。戦艦大和の沈没によって連合艦隊は、完全に洋上行動能力を失い、その後艦隊として出撃することはなかった。
1945年4月25日、連合艦隊だけでなく海上護衛総隊及び各鎮守府をも指揮する海軍総隊が設けられ、終戦まで海上護衛及び各特攻作戦の指揮を執る。

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性能諸元:
分類:戦艦
クラス:戦艦
艦番:海軍補充(③)計画戦艦第1号艦
起工:1937年起工 竣工:1941年竣工
型式:大和型 艦番:1番艦
艦名:大和 2代大和 初代:1887竣工。3本マストの葛城型巡洋艦の2番艦。あの東郷平八郎が初代艦長である。
由来:国名 奈良県の旧令制国名大和国
諸元:基準排水量:65,000トン 満載排水量:72,809トン 公試排水量:69,000トン
全長:263m 全幅:38.9m
兵装:

竣工時レイテ沖海戦時
45口径46cm3連装砲塔×345口径46cm3連装砲塔×3
60口径15.5cm3連装砲塔×460口径15.5cm3連装砲塔×2
40口径12.7cm連装高角砲×6(S)40口径12.7cm連装高角砲×12(S6N6)
25mm3連装機銃×8(S)25mm3連装機銃×27(S16N11)
13mm連装機銃×213mm連装機銃×2
25mm単装機銃×23

搭載機:7機
信号符字 Juliet – Golf – Alpha – Alpha
J G A A

補足情報:
1961年にアメリカ原子力空母(CVN65)エンタープライズ竣工まで世界最大の軍艦。
現在に至っても、史上世界最大の戦艦。
元乗組員の知人の方情報:(最終時情報)航空機の整備を行っていたものも、菊水作戦時、出撃前に退艦させられたとのことです。

同型船:
武蔵(むさし)関東の旧国名にちなむ。1942年竣工(三菱造船長崎)1944年レイテ沖海戦にて戦没。

考証:
1944年10月18日 甲板は黒塗装とされた。(海軍の資料のより)、一時的に塗り替えの時期等に塗膜を剥がした経緯はありますが、レイテ以降は黒甲板となります。
上記補足:防衛省図書館所蔵資料の「軍艦大和戦闘詳報 第三號」に昭和十九年10月18日に甲板を黒く塗装した記録があり、一般的に「戦艦の木甲板が目立つから」という理由で 塗られたようです。

別仕様:
1944年 レイテ沖海戦時

使用部品:
タミヤ製 戦艦 大和 Limited Edition
ライオンロア製 大和用エッチングセット
海魂製 シールド付き25mm三連装機関銃(シールド外手摺のみ)
余剰ジャッキステー (追加再現工作用)
海魂製 12.7cm 高角砲 H018
その他各社レジンパーツ、エッチングパーツ、金属パーツ使用

製品所在:
2013年2月2日 軍艦堂工廠第五渠にて起工 (準備開始 1月16日)
2013年4月29日 同場所にて竣工

編集 鴣囃子裕二@軍艦堂 トップへ

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2件のコメント

  1. 軍艦堂様
    はじめまして。齢43にして、小坊のみぎり同級生とウォーターラインの建艦競争(笑)
    をしていたことをふと懐かしく思い出し、改めてタミヤ大和とアオシマ長門のいずれも
    レイテ(捷一号作戦)時を再現したく、ネットサーフィンにて模索中のものです。
    昔は素組にてとにかく集めることに熱中していましたが、せっかく「いい歳」になってする
    のなら、とことんディテールにこだわりたい、という胸中です。
    が、貴殿の作例および詳細な過程を拝見し、「おれにほんとにできるか・・・」と、すでに
    中折れ(?)しかけております・・・。
    いろいろと「パク」らせていただきますが(あくまで個人で楽しむ範囲で)、ご了承のほどよろしくお願いします。

    1. たーぼー様
      いつもご覧頂きましてありがとうございます。
      どんどんぱくって下さい。(笑)
      私も、小学生時代貴殿同様建艦競争に鎬を削った輩です。
      もし、私に製作上些細なことでもご質問などありましたら、是非お気軽にご質問下さい。

      これからも、軍艦堂、ちょくちょく、覗いて見て下さい。

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