霞(かすみ)は、日本海軍の駆逐艦。朝潮型の9番艦である。
この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。
浦賀船渠で1936年(昭和11年)12月に起工、1939年(昭和14年)6月に竣工し、同時に第18駆逐隊に編入され、11月15日、第2艦隊第2水雷戦隊に編入された。
太平洋戦争開戦時には、同型艦 霰 、陽炎型の 陽炎、不知火 と共に第18駆逐隊に属し、機動部隊の警戒隊として行動した。
1941年(昭和16年)11月26日、ハワイ攻撃機動部隊の護衛として単冠湾を出港、ハワイ作戦(真珠湾攻撃)に参加。
1942年(昭和17年)1月8日、呉を出港し、機動部隊とラバウル攻撃に従事、以後、2月には第2航空戦隊のポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦、4月のセイロン沖海戦に参加し、4月23日、呉に入港し入渠整備を行った。5月にサイパンに進出、6月のミッドウェー海戦に攻略隊の護衛として参加した。6月28日、横須賀から水上機母艦 千代田、あるぜんちな丸 の護衛としてキスカに向かった。7月5日、キスカ島沖で濃霧のため仮泊中に、米潜水艦 グロウラーの魚雷1本を受け艦体前部が切断し、3名が戦死した。8月13日から翌年6月末まで舞鶴海軍工廠で修理を実施した。8月15日、第18駆逐隊は解隊し、9月1日、呉鎮守府予備艦となる。
1943年(昭和18年)9月1日、第5艦隊第1水雷戦隊に編入され、北千島方面で船団護衛に従事し、12月3日からマーシャル諸島ルオット島へ物資輸送を行った。
1944年(昭和19年)2月から6月末まで再び北千島方面で北方作戦に従事し、さらに硫黄島、父島への輸送に当たった。10月25日、レイテ沖海戦において志摩艦隊に属しスリガオ海峡に突入したが、マニラに帰投した。11月、オルモック輸送に3回従事。第2次、第4次多号作戦では第1水雷戦隊(司令官木村昌福少将)の旗艦となりオルモックに突入。さらに木村昌福少将が第2水雷戦隊司令官となり指揮した、ミンドロ島攻撃(礼号作戦)においても旗艦となった。
1945年(昭和20年)2月、北号作戦に参加し戦艦 伊勢 日向 を護衛して呉に帰投した。4月、戦艦 大和 とともに天一号作戦に参加し、坊ノ岬沖海戦において米艦載機の空襲を受け大破し航行不能となり、冬月 の砲雷撃により撃沈処分された。17名が戦死し、5月10日に除籍された。
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性能諸元:
分類:駆逐艦
クラス:一等駆逐艦
艦番:第2次補充(②)計画?番艦
起工:1936年起工 竣工:1939年竣工
型式:朝潮型 艦番:2番艦 初代:暁型駆逐艦2番艦
艦名:霞 3代日本丸 初代:帆船横浜にて現存 2代:東洋汽船客船
由来:気象 空がぼんやりと見える状態。
諸元:基準排水量:2,000トン 満載排水量:トン 公試排水量:2,400トン
全長:118m 全幅:10.386m
兵装:
竣工時 | 最終時 |
50口径12.7cm連装砲×3 | 50口径12.7cm連装砲×2 |
13mm連装機銃×2 | 撤去 |
– | 25mm連装機銃×1 |
– | 25mm三連装機銃×4 (2基は13mm機銃置換) |
– | 25mm単装機銃×8 |
61cm4連装魚雷発射管×2 | 61cm4連装魚雷発射管×2 |
九一式爆雷×36 | 九一式爆雷×36 |
搭載機:なし
信号符字:Juliet – Juliet – Delta – Delta
補足情報:
1934年浦賀船渠浦賀工場に発注された時は艦名は朝雲であった。起工前に霞に改名
霞は朝潮型駆逐艦の最後の生き残り艦でした。(沖縄特攻時、同級中最後の戦没艦)
同型船:
朝潮 (あさしほ)1937年竣工 (海軍工廠)1943年クレチン岬南東にて空襲により戦没
大潮 (おほしほ)1937年竣工 (舞鶴工廠)1943年マヌス島沖にて雷撃後曳航中船体切断により戦没
満潮 (みちしほ)1937年竣工 (舞鶴工廠)1944年スリガオ海峡にて雷撃により戦没
荒潮 (あらしほ)1937年竣工 (神戸川崎造船所)1943年クレチン岬南東にて空襲により戦没
山雲 (やまぐも)1938年竣工 (藤永田造船所)1944年スリガオ海峡にて戦没。全員戦死
夏雲 (なつぐも)1938年竣工 (佐世保工廠)1942年サボ島沖にて空襲により戦没
朝雲 (あさぐも)1938年竣工 (神戸川崎造船所)1944年スリガオ海峡にて艦艇の攻撃により戦没
峯雲 (みねぐも)1938年竣工 (藤永田造船所)1943年ビラスタンモーア夜戦レーダー射撃にて戦没
霞 (かすみ)1939年竣工 (浦賀船渠) 1945年大和護衛艦。天一号作戦時大破、冬月により撃沈処分
霰 (あられ)1939年竣工 (舞鶴工廠)1942年キスカ沖にて雷撃を受け戦没
考証:
最終時は第2砲塔は三連装機銃に置換
菊水マークは駆逐艦磯風のみ一番煙突にマークされ、大和を含め他艦は菊水マークはありませんでした。
艦名表記は開戦後は塗りつぶされてありませんが、あえて艦尾舷側艦名表記を入れました。
別仕様:
1941年 真珠湾攻撃時
1945年 菊水作戦時 (艦名表記ありVer.)
使用部品:
ピットロード製キット 霞 1945 W89EP
各種金属部品 0.2mm 0.3mm 真鍮線
海魂製 陽炎型用フルエッチングセット (使用可能部品類)
ピットロード製 アンカー菊花紋章セット
菊と刀製 甲板装備品セット
フライホーク製 アンカーチェーンセット (チェーンのみ使用)
ファインモールド製 三連装機銃盾付き
海魂製 二連装機銃盾付き
レインボーモデル製 探照燈セット
ピットロード製艦船装備セット (探照燈)
フライホーク製 手摺セット
レインボーモデル製 ブリッジアクセサリセット
海魂製 火器管制セット
製品所在:
2012年8月15日 軍艦堂第壱渠にて起工
2012年8月22日 同所にて竣工
2012年8月26日 コレクター様に譲渡
編集 鴣囃子裕二@軍艦堂 トップへ
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