KIT : 1/48 FINEMOLDS B-339 BUFFALO “JAPANESE ARMY” 48994
F2A
ブルースター F2A(Brewster F2A)は、ブルースター社が開発し、アメリカ海軍などで運用された艦上戦闘機。
供与先のイギリス空軍では「バッファロー(Buffalo)」の名で呼ばれた。
アメリカ軍ではあまり目立った戦闘はしていないが、輸出先のフィンランド空軍でソ連との戦闘において活躍した。
マラヤ方面に配備された機体は、開戦直後は日本軍の主力が旧式の九七式戦闘機であったこともあり善戦したが、一式戦闘機「隼」が主力となった後は対抗できず、エンジン故障に悩まされたこともあり、大きな損害を出した。
予備部品の供給が追いつかなかったため、前線部隊では稼動機を維持するため、損傷機を始め状態の悪い機から部品を流用する“共食い整備”が横行し、シンガポール陥落後には多数の機体がエンジンを取り外された“首なし”の状態で発見されている。
マラヤ方面に配属されたバッファローのうち、60機以上が空戦で撃墜され、40機が地上で撃破、そして事故で20機を喪失した。
オランダによる運用 オランダ空軍のB-339 オランダは1940年にF2A-2を“B-339C”および“B-339D”の名称で発注した。発注された144機のうち、71機が1941年4月から10月にかけてオランダ領東インドの航空基地に到着した。
オランダ向けのB-339は、やはりアメリカにおいて搭載エンジンの需要が逼迫していたことからオリジナルよりも性能の劣るエンジンを搭載せざるを得ず、運動性の確保のために翼内機銃を降ろし、更に機首機銃を7.62mm機銃2基に変更して運用されていたため、日本軍機との戦闘に際して火力不足に悩むことになった。
開戦時にオランダ東インド軍航空隊において稼働状態にあった63機のうち、24機が空中戦で失われ、16機が地上で破壊された。
オランダ領東インドに配備されたオランダ東インド軍の機体は、イギリス軍と同じく司令部が日本軍機の性能を実際より低く見ていたことや、レーダー探知と連動した航空管制の欠如から連携の取れた組織的な部隊運用ができず、日本軍機を相手に大きな損害を出した。
イギリス軍機同様、現地では翼内機銃や弾薬、翼内タンクの燃料を減らすなどして軽量化する努力が払われたが、大した効果がなく、武装を減らしたために攻撃力が低下し、総合的な戦闘能力が低下しただけであった。オランダではB-339を急降下爆撃機としても使用したが、東インド軍部隊が全体として劣勢であったこともあり、目立った成果は挙げていない。
特筆すべきはフィンランド空軍においてのもので、アメリカよりフィンランドに44機が提供されている。現在、携帯電話機で有名なノキア社はBW-355機の購入に際し十分な資金を拠出し、機体には「NOKA」の銘が記入された。
冬戦争でフォッカー D.XXIを装備し大きな戦果を挙げた第24戦闘機隊に配属されたB-239は継続戦争序盤から奮戦、21機の喪失(事故を含む)に対しソ連軍機を456機撃墜するという、約21対1の圧倒的なキルレシオにより、35人ものエースパイロットを生み出し、「タイバーン・ヘルミ(Taivaan helmi:「空の真珠」の意)」と賞賛された。
フィンランド軍がいかにB-239を大切にしていたかのエピソードとして、1942年6月下旬、越境出撃したランペルト中尉のBW-365は空戦の結果、大きくソ連側制圧領域へ入った地点で不時着、これを知った陸軍はただちに出撃、遠路を踏破して不時着した機体を回収し引き揚げた、というものがある。
1943年3月にメッサーシュミットMe109Gが導入されるとさすがに第2線機扱いとされ第26戦隊へと配備替えとなったが、ソ連軍の大攻勢に対抗し、カレリア地峡で奮戦、7機の損害で17機を撃墜した。本機の最後の戦闘はラップランド戦争でかつての友軍のドイツ軍と交戦、Ju 87を撃墜するも、またドイツ軍対空砲火により撃墜される悲哀を味わうこととなる。敗れはしたものの、フィンランドの占領を妨げたバッファローは1948年9月まで現役で使用され、正式に退役したのは1953年のことであった。 なお「日本軍機と交戦した米英蘭の機体は、航空母艦上での運用のための様々な装備が付いており、鈍重なため惨敗したが、こちらの供与機体はそれらの装備が省かれているため軽く、このような良好な性能を発揮出来た」という説があるが、アメリカ以外に発注されて運用された機体には艦上用の装備は省かれており、また、フィンランド空軍型は低馬力エンジンを搭載していたことを考えると、疑問が残る説である。
日本軍に鹵獲され「日章」のラウンデルを描いたF2A(英B-339Eないし蘭B-339D) マレー半島やシンガポール方面でイギリス極東空軍のB-339Eが、インドネシア方面でオランダ領東インド陸軍航空隊のB-339Dが完全な状態のままで数機鹵獲され、性能テストのために日本本土の陸軍飛行実験部に送られ、明野陸軍飛行学校に配属されている。 これらの機体は1942年7月4日から5日間にわたりP-40E ウォーホーク、B-17D フライングフォートレス、ハリケーン等とともに羽田飛行場で戦意高揚のため一般展覧が行われた。また、国策映画『加藤隼戦闘隊』及び『愛機南へ飛ぶ』に敵機役として出演している。
1943年、宇都宮陸軍飛行学校校長に就任した加藤敏雄大佐は、員数外であったB-339を自ら操縦し、事実上自家用機として使用していた。加藤が少将に昇格し、1945年4月の常陸教導飛行師団長に任命された際には、任地の群馬県新田飛行場へ自らB-339を操縦して向かい、着任式に臨んだ。同機は最終的に7月の宇都宮空襲で破壊されたが、機体形状から米軍は雷電と誤認して記録している。
Wikiより GFDL上の著作権表示
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
SPECIFICATIONS :
ROLE : FIGHTER
CODE : F2A / B-339
NAME : BUFFALO
FIRST FLIGHT : 1937 (PROTOTYPE)
MANUFACTURER : BREWSTER
LENGTH : 7.8m WINGSPAN : 10.67m HEIGHT : 3.68m EMPTY WEIGHT : 2,075.4kg
ARMAMENT :
NOSE | 2×12.7mm MG |
INSIDE WING | 2×12.7mm MG |
BEHIND | – |
SIDE | – |
BODY | – |
UNDER WING | MAX 90.8kg (2×45.4kg) |
CREW : 1
ENGINE : Wright R-1820-40/42 Air-coolant 9-cylinder 1,200hp
MAX SPEED : 484.41km/h
FERRY RANGE : 2,678.6km
SERVICE CEILING :9,296.4m
ADDITIONAL :
–
REVISION DESCRIPTION :
Captured by Imperial Japanese Army
PARTS LIST :
1/48 ファインモールド製 B-339 バッファロー “日本陸軍” 48994 (内容は1974年金型 タミヤ製)
ニッケルチタン線、ストレッチ線
真鍮線0.2mm, 0.3mm, 0.5mm
SPECIAL COLOR :
基本指示通り
機体下面色 ガイアノーツ GP-08 プレミアムミラークローム
タイヤ タミヤ XF-85 タイヤブラック
歩行帯 クレオス C137 タイヤブラック
国籍マーク クレオス C385 紅色 (日本海軍用)
白帯 クレオス C62 つや消しホワイト
味方識別帯 クレオス C58 黄橙色
排気管 クレオス MC214 ダークアイアン (磨き加工)
ピトー管先端 タミヤエナメル XF-16 フラットアルミ
編隊灯、翼端灯 ベース タミヤアクリル XF-2 ホワイト、以降エナメル 右舷 X-23 クリアブルー 左舷 X-27 クリアレッド
トップコート ガイアノーツ Ex-10 Ex-フラットクリアープレミアム[フッ素入]
TIME LINE :
2023年10月13日 完成
2023年02月28日 製作開始
REF.#A-002-15
POST CSRIPT :
キット中身は1974年金型のタミヤキットで、情景、デカール、シートベルトがファインモールド製。バリと合いは悪いですが、逆に、加工、ブラシアップの楽しさがあります。
戦後、米軍によって雷電と誤認されたのは納得のブサカワ具合です。
編集 鴣囃子裕二@軍艦堂 トップへ
鹵獲1号機 1942年 バンドン飛行場 ジャワ島
2023年10月12日 2月に手を付けてプラサフと下面だけ塗装した状態で放置していたB339です。
気付けば後が押してきているので、B339、Ju88C-6、鍾馗、零式練習戦闘機、を仕上げていってます。