KIT : 1/48 TAMIYA NAKAJIMA J1N1-Sa NIGHT FIGHTER GEKKO TYPE11 KOU (IRVING) 61093
夜間戦闘機月光一一型甲
月光(げっこう)は、日本海軍の夜間戦闘機。連合軍が本機に与えたコードネームはIrving(アーヴィング)。
月光に装備された斜銃(しゃじゅう)とは、機軸に対して上方または下方に30度前後の仰角を付けて装備された航空機銃である。利点は敵重爆撃機の弱点(後ろ下方からの攻撃に弱い)に対し攻撃占位運動が容易であること、攻撃態勢保持時間が長いことが挙げられる。
月光はこの斜銃により、主にB-29などの重爆撃機の邀撃任務で活躍した。
月光の生産機数は二式陸上偵察機も含めて477機で、この内40機が終戦時に残存していた。
1938年11月、中島飛行機に対し、「十三試双発陸上戦闘機」計画要求書を提示した。これを受けた中島では九七式艦上攻撃機の開発主任であった中村勝治技師を中心とした設計陣を組み、開発に当たった。
1941年3月26日、十三試陸戦の試作一号機が完成し、5月2日に初飛行した。しかし、テストの結果、運動性能が劣るため敵戦闘機に対抗するには不足と判定されたこと等により戦闘機としては不採用となった。九八式陸上偵察機以外に本格的な陸上偵察機を保有していなかった海軍は、本機が従来の九八式陸上偵察機に比べ高速かつ航続距離が長いこと、そして前方機銃と空戦機動に耐える機体強度を持ち、ある程度の自衛戦闘が可能な点に注目し、強行偵察にも使用可能な偵察機に転用することを計画した。そして、昭和17年7月6日に二式陸上偵察機(J1N1-C。その後J1N1-Rに改称)として制式採用されることになった。
米軍の戦力が増強されるにつれ強行偵察では被害が続出するようになり、より高速の二式艦上偵察機(D4Y1-C)や陸軍から借用した一〇〇式司令部偵察機の方が重用されるようになった。
1942年5月6月頃、第251海軍航空隊司令小園安名中佐は、撃墜が困難な大型爆撃機B-17に悩まされて、その対策が急務となっており、双発戦闘機として開発された二式陸上偵察機をB-17の迎撃に使用しようと考えていた。
1943年5月20日に工藤重敏上飛曹が搭乗する十三試双発陸上戦闘機が斜銃でたちまち2機のB-17を撃墜、その後小野了中尉も撃墜を記録、その後も工藤らは戦果を重ねて、6月末にはB-17の撃墜数は9機にもなり、この戦果により、ようやく軍令部は斜銃の効果を認め、第二五一海軍航空隊の二式陸上偵察機の全機斜銃搭載型への改造命令を出し、昭和18年(1943年)8月23日に制式採用に伴い丙戦(夜間戦闘機)「月光」(J1N1-S)と名付けられた。
月光は本土防空戦でも激戦を繰り広げていた。相手はこれまでのB-17やB-24を遥かに上回る性能のB-29となり、月光は夜間のみならず昼間も迎撃に出撃したが苦しい戦いを強いられた。そんな中で第302海軍航空隊の遠藤は、北部九州、東京、名古屋でB-29の撃墜数を増やし続け、1945年1月14日の最期の戦闘でB-29を1機撃墜、1機撃破して、B-29撃墜破数合計16機(うち撃墜は公認8機)を記録し、月光の名前を国民に知らしめて、国民的英雄となった。B-17やB-24には善戦した月光も、B-29に対しては速度が大きく劣後するなどまともに戦える性能ではなく、その月光で戦果を積み重ねる遠藤は、若い搭乗員らからは神がかって見えたという。
その後、アメリカ軍は昼間の高々度爆撃の効果が無いと判断し夜間の焼夷弾爆撃に切り替え、命中精度を高める為にB-29を低空で進入させはじめた。これに対しては斜銃のみ装備により夜間迎撃する厚木基地に配備された月光はかなりの戦果を挙げており、横須賀航空隊の黒鳥四朗少尉-倉本十三上飛曹機の様に一晩で5機撃墜した例もある。この頃になるとかなりの数の月光に対航空機用レーダーが装備されていたが、搭乗員や整備員がレーダーの取り扱いに不慣れであったこと、レーダー自体の信頼性も低かったことなどから、実戦において戦果を挙げるまでには至らなかった。そして、占領された硫黄島からP-51が多数来襲するようになると、海軍の月光や、陸軍で月光と同様にB-29迎撃で活躍していた二式複座戦闘機「屠龍」といった鈍重な双発戦闘機の迎撃は困難となっていった。
月光の制式後の1943年、レーダー(八木アンテナ付)や斜銃を装備した高性能丙戦として「試製電光」(S1A1)の開発が愛知に命じられたが、実戦配備は早くても1945年頃と予測されることから、同時に陸上爆撃機「銀河」(P1Y1)に発動機換装、レーダー(八木アンテナ付)や斜銃の追加、搭乗員と燃料タンクの削減といった改修を加えることで丙戦化した「試製極光」(P1Y2-S)の開発が川西に命じられている。また昭和19年初めには、銀河や艦上爆撃機「彗星」(D4Y2)、少し遅れて艦上偵察機「彩雲」(C6N1)に斜銃を追加した彩雲夜戦や彗星夜戦(D4Y2-S)、銀河夜戦の開発・配備も進められていた。
このため、月光の生産は1944年10月に終了するが、これは月光の性能不足のためというよりも昭和18年(1943年)初め頃に計画されていた三菱における局戦「雷電」の生産拡大に伴う零戦の生産縮小や、1944年に入って計画された中島における誉の生産拡大に伴う栄の生産縮小、量産効率向上のための生産機種の絞り込み(機体・発動機とも)等が影響している。
海軍としては、配備数の限定される丙戦は試製電光の様な高性能機でなければ専用の生産ラインを割く余裕は無く、現用の月光より多少高性能な程度の機体であれば他機種からの転用で済ませた方が合理的という方針があった。しかし、試製電光は終戦まで試作機すら未完成、試製極光は予定性能に達しなかったため開発中止になった。1944年にアメリカ軍により占領されたマリアナ諸島から出撃するB-29による日本本土爆撃が激化し始める時期がちょうど月光の生産終了時期と重なり、しかも銀河夜戦や彗星夜戦の生産立ち上がりも鈍かったため迎撃に必要な夜間戦闘機数が不足し、結局日本海軍は月光に代わる有力な後継機を揃えることができず、終戦まで月光は日本海軍の主力夜間戦闘機として活躍することとなった。
Wikiより GFDL上の著作権表示
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SPECIFICATIONS :
ROLE : FIGHTER (NIGHT FIGHTER)
CODE : J1N1-Sa
NAME : GEKKO, IRVING
FIRST FLIGHT : 1941
MANUFACTURER : NAKAJIMA
LENGTH : 12.13m WINGSPAN : 17m HEIGHT : 4.56m EMPTY WEIGHT : 4,562kg
ARMAMENT :
NOSE | – |
INSIDE WING | – |
BEHIND | – |
SIDE | – |
BODY | 3×20mm GUN (as an Example) |
UNDER WING | 2×MAX 250kg BOMB |
CREW : 2
ENGINE : 2×Nakajima Sakae Ha115 14-cylinder Supercharged Air Cooled Engine @1,130hp
MAX SPEED : 507.4km/h
FERRY RANGE : 2,547km
SERVICE CEILING : -,-m
ADDITIONAL:
–
REVISION DESCRIPTION:
夜間戦闘機月光 J1N1-Sa
夜間戦闘機生産後期型にあたり斜め銃は上向き2挺または3挺のみ装備。
上向き3挺+下向き2挺装備型も存在する。
機首アンテナの無いタイプもあり。
PARTS LIST:
1/48 タミヤ製 夜間戦闘機 月光 傑作機シリーズ No.93
1/48 自作 マスキングセット (開発中使用)
真鍮線 0.2mm, 0.3mm, 0.5mm
銅線 0.3mm
アルミ線 0.3mm
プラ棒, プラペーパー
1/48 レジン製機首八木アンテナ (開発中使用)
PAINT LIST:
手塗部分の小パーツ類は説明所通り
ドライブラシはXF-16 フラットアルミ
機体上部下部 C15 暗緑色 (中島系)
増槽 C31 明灰白色
プロペラ C131 赤褐色
識別帯 C58 黄橙色
機内色 C57 青竹色、C127 コクピット色 (中島系)、SM208 スーパージュラルミン
カウリング C125 カウリング色
タイヤ C137 タイヤブラック
排気管 C61 焼鉄色+フラットベース
排気汚れ X-19スモーク+X-24クリアイエロー
機銃 C28 黒鉄色
国籍マーク C385 紅色
TIMELINE:
2022年1月 製作
REF.#A-002-05
POSTSCRIPT:
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編集 鴣囃子裕二@軍艦堂 トップへ
横須賀航空隊 倉本飛曹長・黒鳥中尉機 昭和二十年六月 追浜基地