KIT : 1/48 TAMIYA KAWASAKI KI-61-ID HIEN (TONY) 61115
三式戦闘機飛燕キ61-I丁
三式戦闘機(さんしきせんとうき)は第二次世界大戦時に大日本帝国陸軍が開発し、1943年(昭和18年)に制式採用された戦闘機である。開発・製造は川崎航空機により行われた。設計主務者は土井武夫、副主任は大和田信である。
ドイツの液冷航空エンジンDB601を国産化したハ40を搭載した、当時の日本唯一の量産型液冷戦闘機である。防弾装備のない試作機は最高速度590km/hを発揮したが、防弾装備や燃料タンク等を追加した量産機では鈍重な戦闘機になり下がり、アメリカ軍に「もっとも食いやすい(つまりアメリカ軍にとっては攻撃し易い)戦闘機」という印象を与えている。基礎工業力の低かった当時の日本にとって不慣れな液冷エンジンハ40は生産・整備ともに苦労が多く、常に故障に悩まされた戦闘機としても知られる。ハ40の性能向上型であるハ140のエンジン生産はさらに困難であり、これを装備する予定であった三式戦闘機二型はわずか99機しかエンジンが搭載できず、工場内に首無しの三式戦闘機が大量に並ぶ異常事態が発生した。そこで星型空冷エンジンを急遽搭載した日本陸軍最後の制式戦闘機、五式戦闘機が生産された。
三式戦闘機は太平洋戦争に実戦投入された日本軍戦闘機の中では唯一の液冷エンジン機である。本機の外形は水冷エンジン装備機特有の細身なデザインを持つ。搭載エンジンと機体形状から「和製メッサー」とも呼ばれたが、機体設計は川崎設計陣が独自に行ったものであり、左右一体型の主翼と胴体の接合法、ラジエーター配置、主脚構造などがBf 109と大きく異なり、共通点はエンジンと後に本機の一部が装備したMG 151/20機関砲程度である。
1941年(昭和16年)12月に初飛行したキ61試作機は最高速度591km/hを発揮し、総合評価で優秀と判定されて直ちに制式採用が決定された。この数値は設計主務者の土井の観点から見ても全くの予想外と評された。しかし、先行して試作され不採用となったキ60の経緯と同様、水冷エンジンに対する日本の生産能力と整備には問題があった。量産開始後に陸軍からニッケルを使用材料から外す決定が下されるなどしたため、部品強度が落ちた。そのため本機の量産と運用にはなお紆余曲折が存在した。
試作名称であるキ番号はキ61であった。制式名称である三式戦闘機という呼称は皇紀2603年(1943年(昭和18年)に制式採用されたことに由来する。制式制定は1943年10月9日。実際には1942年(昭和17年)中に量産を開始しているが、「二式」には「二式単座戦闘機」(鍾馗)と「二式複座戦闘機」(屠龍)がすでにあり、煩雑となるため1943年制式化とされたとされる。
愛称は飛燕(ひえん)、部隊での呼称・略称は三式戦、ロクイチ、「キのロクイチ」、「ロクイチ戦」などがある。川崎社内では「ろくいち」と呼ばれたが、二型登場後は「いちがた」「にがた」と呼ばれるようになった。
愛称の「飛燕」は1945年1月16日付の朝日新聞において本土防空に当たっていた飛行第244戦隊(後述)の活躍を報じる記事で発表されている。その記事では「その軽妙俊敏さは、あたかも青空を截って飛ぶ燕にも似ているところから「飛燕」と呼ぶことになった」としている。
連合軍におけるコードネームはTony(トニー)であった。これはアメリカではイタリア系移民の典型的な名前とされ、当初、アメリカ軍がさしたる根拠なく本機を日本の同盟国であるイタリア空軍のマッキ MC.202のコピー機と誤認したことに因んで名づけられた。本機の印象、特にファストバック型キャノピーがBf109に類似すること、および同系統のエンジンを搭載していたことから日本でも『和製メッサー』と呼ぶあだ名があった。
Wikiより GFDL上の著作権表示
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SPECIFICATIONS :
ROLE : FIGHTER
CODE : Ki-61-Id
NAME : TONY
FIRST FLIGHT : 1941 (PROTOTYPE)
MANUFACTURER : KAWASAKI
LENGTH : 8.94m WINGSPAN : 12m HEIGHT : 3.7m EMPTY WEIGHT : 2,630kg
ARMAMENT :
NOSE | 2×20mm GUN |
INSIDE WING | 2×12.7mm GUN |
BEHIND | – |
SIDE | – |
BODY | – |
UNDER WING | 2×250kgMAX |
CREW : 1
ENGINE : Ha40 12-cylinder, liquid-cooled, supercharged 60° inverted Vee piston engine 1,175hp
MAX SPEED : 560km/h
FERRY RANGE : 1,800km
SERVICE CEILING :-m
ADDITIONAL:
–
REVISON DESCRIPTION:
一型丁 (キ61-I 丁)
1944年1月から1945年1月生産。武装を機首にホ5 20mm機関砲2門(弾数各120発[311])、翼内に12.7mm機関砲2門とした型。自重にして約250kgの重量増加により飛行性能全般が低下している。高度6000mでの最高速度は590km/hから560km/hへ、上昇力は5000mまで5分31秒から7分程度へと低下している。なお、351機目から増槽架を100kg爆弾搭載可能なものにしたとする文献もある。 本型は機体に大改修を加えているため当初「三式戦闘機一型改(キ61-I改)」と称されたが、のちに「三式戦闘機一型丁(キ61-I 丁)」となった。機体番号5354機までが生産された。生産機数は1,358機、または1,354機と最多である。
PARTS LIST:
1/48 タミヤ製 川崎三式戦闘機 飛燕I九九型丁 傑作機シリーズNo.115
ニッケルチタン線、ストレッチ線
真鍮線0.2mm, 0.3mm, 0.5mm
その他汎用エッチングパーツ
SPECIAL COLOR:
キットにはない塗装採用
上面濃緑色C16、下面灰緑色C128、味方識別帯黄橙色C58
国籍マーク紅色C385、プロペラ・スピナー赤褐色C131
TIMELINE:
2020年11月 製作
REF.#A-001-07
編集 鴣囃子裕二@軍艦堂 トップへ
飛行第105戦隊第2中隊 1945年 台湾 台中飛行場