重巡洋艦

IJN Tone Class CA Tone

利根(とね)は、大日本帝国海軍の重巡洋艦。利根型重巡洋艦(二等巡洋艦)の1番艦。艦名は二等巡洋艦の命名慣例に従い、関東地方を流れる利根川にちなんで名づけられた。この名を持つ帝国海軍の艦船としては4隻目。艦前部に主砲塔4基を集中し後部を飛行機発進甲板・水上偵察機待機所とした、第二次世界大戦当時としては珍しい艦型である。艦名は海上自衛隊の護衛艦に継承された。
重巡洋艦であるにもかかわらず河川名が付けられた理由は最上型重巡洋艦(当初は軽巡洋艦であり、改装後も書類上は二等巡洋艦)5番艦として計画されたためである。後に再設計により重巡洋艦(書類上は二等巡洋艦)となるが艦名はそのまま使用された。
最初の計画では、最上型と同じ15.5cm砲を装備するいわゆる条約型として1934年(昭和9年)12月1日に起工した。諸外国に通知した時の数値は、基準排水量8,636トン、水線全長187.21mである。しかし友鶴事件や第四艦隊事件の教訓によって計画を変更した。20.3cm主砲2連装4基8門を艦首に集中配置することによって艦尾を空け、水上偵察機搭載能力を増した独特のシルエットを持つ1万t級の重巡洋艦として就役する。艦橋が中央部にあるため、舵を取る時の感度は抜群で操艦しやすい艦だったと伝えられている。
マル2計画(第二次補充計画)にもとづく利根型2隻(利根、筑摩)はいずれも三菱重工業長崎造船所にて、ほぼ同時に建造された。 1929年(昭和9年)12月1日、日本海軍は三菱重工業長崎造船所で建造の巡洋艦を「利根」と命名。艦艇類別等級表に『利根型』が新設される。本艦は同日附で起工。
1945年「利根」は海軍兵学校練習艦として呉にて停泊中、アメリカ第58任務部隊による空襲を受けて至近弾1発を受け、江田島湾の津久井茂沖合に錨泊したのち、大破着底した場合に備えて能美島の海岸付近に移動する。同年7月24日、第38任務部隊によって再度空襲を受け、左舷中央部に直撃弾を受ける(呉軍港空襲)。7月28日にも再度空襲を受け、アメリカ軍艦載機の空襲により直撃弾2発と至近弾6発を受けた。対岸の海軍兵学校などからも応援を呼んでダメージコントロールに努め、転覆を防ぐため注水作業を実施。7月29日に着底、終戦を迎えた。
利根型重巡洋艦は開戦の時点で最新鋭巡洋艦であり戦没まで大規模な改装はなかった。しかしながら戦時中には戦訓によりレーダー(電探)の装備と対空機銃の増備を実施している。以下にその変遷を記述するが、いずれも推定であることに注意されたい。
1943年(昭和18年)2月 後部予備指揮所両側に25mm連装機銃各1基増備、21号電探装備(前檣)
同年12月ころ 25mm連装機銃4基を同3連装機銃に交換。その他に13mm機銃4挺があったとされる。
1944年(昭和19年)6月以降、マリアナ沖海戦の戦訓により機銃の大幅な増備。25mm3連装機銃4基、同単装25挺を増備。また22号2基(前檣)、13号1基(後檣)を装備する。
1945年(昭和20年)2月 レイテ沖海戦の損傷修理において後甲板に25mm3連装4基を追加。同単装は若干減少し21挺(もしくは18挺)とした。レーダーは21号を撤去し、代わりに22号を1基増備した。
最終時の機銃とレーダーは
25mm3連装機銃14基、同連装2基、同単装21挺(もしくは18挺)。合計67挺
電探:22号3基、13号1基
とされている。

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性能諸元:
分類:重巡洋艦
クラス:一等巡洋艦
艦番:-
起工:1934年起工 竣工:1938年竣工
型式:利根型 艦番:1番艦
艦名:利根 4代利根 初代~:初代運輸船>2代運輸船>二等巡洋艦
由来:地名 関東地方を流れる河川名
諸元:基準排水量:11,213トン 満載排水量:-トン 公試排水量:13,320トン
全長:201.6m 全幅:19.4m
兵装:

竣工時1945時(最終時とは異なる)
20.3cm連装砲x420.3cm連装砲x4
40口径12.7cm連装高角砲x440口径12.7cm連装高角砲x4
13mm連装機銃x2撤去
96式25ミリ単装機銃x21
25mm三連装機銃x14
61cm3連装魚雷発射管x461cm3連装魚雷発射管x4

搭載機:水上機6機(改装前)
信号符字 Juliet – Juliet – Queen – Alpha
J J Q A

補足情報:

同型艦:
利根4 (とね) 1938年竣工 (三菱長崎) 呉にて着床残存。1947年播磨造船呉船渠にて解体。
筑摩 (ちくま) 1939年竣工 (三菱長崎) 1944年レイテ沖海戦で戦没。

考証:
最終時の機銃とレーダーは25mm3連装機銃14基、同連装2基、同単装21挺(もしくは18挺)。合計67挺
電探:22号3基、13号1基とされている。

別仕様:

使用部品:
フジミ製 利根1945
各社エッチング、金属素材、プラスチックインジェクションパーツ等使用

製品所在:
2015年10月1日 軍艦堂にて起工
2016年7月21日 軍艦堂にて竣工
2016年 月 日 様所蔵

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あとがき:
いつも模型的再現なのか、考証優先なのか悩んでしまいます。今回も、レイテ沖海戦で失った21号電探をそのまま用いるか、22号電探3基へ改造するのか悩みました。キットは1945仕様ですが、レーダーはレイテ沖海戦前の22号2基と21号1基です。
編集 鴣囃子裕二@軍艦堂 トップへ

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