リュッツォウ (SMS Lützow) はドイツ帝国海軍のデアフリンガー級大型巡洋艦3隻中の2番艦である。艦名はナポレオン戦争時のプロイセンの将軍、ルードヴィヒ・アドルフ・ヴィルヘルム・フォン・リュッツォウにちなむ。
リュッツォウは1912年5月にダンツィヒの F. Schichau GmbH で起工した。建造費は5,800万マルク、1913年11月29日に進水、1915年8月8日に竣工した。しかし試験航行中タービンが破損事故を起こし、艦隊に就役したのは1916年の3月になってからである。就役後はフランツ・フォン・ヒッパー提督指揮下の第一偵察部隊に配備され、独海軍巡洋戦艦部隊の旗艦をつとめた。初出撃は1916年4月24日、英国沿岸部のロウストフト、グレート・ヤーマスへの艦砲射撃任務であった。
1916年5月31日、ユトランド沖海戦に参加、姉妹艦のデアフリンガーと共に、英巡洋戦艦インヴィンシブルの撃沈に貢献。
逆に英艦隊より少なくとも10発の主砲弾と1発の魚雷を受け、115人が戦死。特に水線下にある艦首魚雷発射室への命中弾2発が艦首に大量の浸水を発生させ速度が大きく落ちた。ヒッパー提督は魚雷艇を船腹につけさせ巡洋戦艦モルトケに移乗。リュッツォウは戦場からの離脱にかかった。
その際リュッツォウの乗組員救助や曳航のため魚雷艇G 38、G 39、G 40 が付けられ、G 37、V 45 が護衛にあたった。
膨大な浸水を抱え込んだ艦首部分の隔壁への負担を軽くするため、リュッツォウは排水を試みつつ後進でヴィルヘルムスハーフェンへ進路を取ろうとした。しかし艦首への浸水は止まらずついにその量は7,500トンに達し、艦は前部へ大きく沈み込んだ。そして艦尾と舵は逆に海面から浮き出てしまい、スクリューは海面上で空回りを始めた。完全に航行不能となったことを受けて魚雷艇側では曳航の準備がされたが、近海にいる英艦隊の追撃を警戒した艦首脳はついに艦の放棄を決意した。夜を徹した復旧作業はついに実らず、乗員が魚雷艇に移乗を終えた1916年6月1日早朝、リュッツォウはG 38 の2発の魚雷により沈められた。
この戦訓を受けて姉妹艦から艦首魚雷発射管は取り外され、その魚雷発射室は水密区画室に割り当てられた。
同型艦にデアフリンガーとヒンデンブルクがある。両艦は戦後、賠償艦としてスカパ・フローに係留中、連合国に拿捕されることを恐れた乗組員の手により自沈した。
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性能諸元:
分類:巡洋戦艦
クラス:巡洋戦艦
艦番:-
起工:1912年起工 竣工:1915年竣工
型式:デアフリンガー級 艦番:2番艦
艦名:リュッツオウ 初代リュッツオウ
由来:人名 ナポレオン戦争時のプロイセンの将軍、ルードヴィヒ・アドルフ・ヴィルヘルム・フォン・リュッツォウに因む
諸元:基準排水量:26,741トン 満載排水量:31,200トン 公試排水量:-トン
全長:210.4m 全幅:29m
兵装:
竣工時 | 模型再現 |
30.5cm L/50 Sk 連装砲x4 | 30.5cm L/50 Sk 連装砲x4 |
15cm L/45 Sk 単装ケースメイトx14 | 15cm L/45 Sk 単装ケースメイトx14 |
8.8cm L/35 高射砲 単装装甲付砲架x8 | 8.8cm L/35 高射砲 単装装甲付砲架x8 |
50cm-魚雷発射管x4 | 50cm-魚雷発射管x4 |
搭載機:なし
信号符字 調査中
補足情報:
同型艦:
デアフリンガー (SMS Derfflinger) 1914年竣工 (調査中) 第一次大戦残存。乗組員にてスカパフローにて自沈。
リュッツオウ (SMS Lützow) 1915年竣工 (F. Schichau) 1916年ユトランド沖海戦で戦果を挙げるも自沈。
ヒンデンブルク (SMS Hindenburg) 1917年竣工 (ヴィルヘルムスハーフェン) 第一次大戦残存。乗組員にてスカパフローにて自沈。
考証:
–
別仕様:
–
使用部品:
コンブリック製 レジンキット リュッツオウ
各社エッチング、金属素材、プラスチックインジェクションパーツ等使用
製品所在:
2016年7月3日 軍艦堂にて起工
2016年7月29日 軍艦堂にて竣工
2016年 月 日 様所蔵
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あとがき:
ドイツの博物館に展示されている1/100リュッツオウをモデルにしました。年代は不明です。おそらくは竣工時でしょうか?
編集 鴣囃子裕二@軍艦堂 トップへ
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