概観諸元

分類:駆逐艦 クラス:1等駆逐艦
艦番:第1次補充計画甲型第61号
起工:1931(昭和6)年起工 竣工:1934(昭和9)年竣工
型式:初春型 艦番:3番艦
艦名:若葉 2代若葉 初代若葉:神風型駆逐艦24番艦
由来:植物 生え出て間もない植物の葉
諸元:基準排水量:1,400トン 公試排水量:1,680トン
全長:109.5m 全幅:10m
竣工時兵装:50口径三年式12.7センチ連装砲×2 50口径三年式12.7センチ単装砲×1 40mm単装機銃×2 61cm3連装魚雷発射管×3 爆雷16個
開戦時兵装:50口径三年式12.7センチ連装砲×2 50口径三年式12.7センチ単装砲×1 40mm単装機銃×2 61cm3連装魚雷発射管×2 爆雷16個
最終時兵装:50口径三年式12.7センチ連装砲×2 50口径三年式12.7センチ単装砲×1 25mm3連装機銃×2 25mm単装機銃×? 61cm3連装魚雷発射管×2 爆雷16個
搭載機:なし
信号符字
J G H D

概要

若葉(わかば)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。初春型の3番艦である。
この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。
佐世保工廠で1931年(昭和6年)12月12日に起工した。
建造途中で同型艦「初春」の復元性能不良が判明し、改善工事を施して1934年(昭和9年)10月31日竣工した。
1941年(昭和16年)、仏印における作戦に参加。
1942年(昭和17年)、ケンダリー攻略作戦、マカッサル攻略作戦、バリ島攻略作戦、アリューシャン作戦などに参加。
1943年(昭和18年)3月、アッツ島沖海戦に参加後、第5艦隊第1水雷戦隊に編入され、内地と千島間の船団護衛に従事。7月にキスカ島撤退作戦に加わったが、7月26日、濃霧により「初春」と触衝して大きな損傷を受け、幌筵に帰投し、佐世保で修理を行った。修理完了後、千島方面の船団護衛、北海道東方の対潜掃蕩活動に従事。
1944年(昭和19年)6月より硫黄島輸送作戦に従事。10月には第1水雷戦隊の志摩艦隊に属し、台湾からマニラへの輸送任務に就き、マニラから志摩艦隊本隊へ合流するためスール海を南下中の10月24日、パネイ島西方で米艦載機の攻撃を受け沈没し、20名が戦死した。

Wikiより抜粋

同型艦:

使用部品

製作工程 1942

製作開始

  1. 製作開始





    キット内容写真
    エッチングは、アオシマキット付属ものですが、ほとんどの部分で厳しい感じのため。手摺、ダビッド、一部のマストパーツ以外他社製パーツ使用です。
    手摺も、正直太過ぎですが、前回の1933仕様よりは幾分改善されています。

艦橋

  1. 艦橋





    艦橋は図面を参考に設置可能な艤装品は全て設置します。写真では見えませんが、信号旗格納筐、ハンギングラダー、探照燈制御器、収納筐も設置してあります。

第壱煙突

  1. 第壱煙突





    こちらも図面通り、第壱煙突は、キャップ、捨て蒸気管と固定具、ウナギの正面の編み目、工具箱、固定索、ジャッキステー左右の張出しアンテナ支柱、水密ドアなど、交換します。

第弐煙突

  1. 第弐煙突





    こちらも図面通り、第壱煙突は、キャップ、捨て蒸気管と固定具、ウナギの正面の編み目、工具箱、固定索、ジャッキステー左右の張出しアンテナ支柱、水密ドアなど、交換します。

兵装

  1. 兵装




    40mm単装機銃は、第弐煙突製作時に準備済ですので、 残りの魚雷、12.7cm砲を製作しておきます。
    今回はこの冬新発売の魚雷発射管キット使用しました。
    主砲塔は金属砲身交換です。魚雷は銀黒塗り分けておきます。実はこれすら別パーツなんです。

船体

  1. 船体





    甲板上の不要(交換予定)モールドは切除しておきます。
    ほぼ、1ヶ月かかりましたが完成です。

完成写真

HULL SCAPE

ZOOM UP

WATERLINE VIEW

 



撮影環境
ミニクリプトン球(電球色)6燈直射による自作撮影ブース
撮影に使用したカメラなどの機材
Nikon D90, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
撮影時のカメラの設定値
F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7

製品所在


皇紀弐六七弐年正月軍艦堂工廠第参渠ニテ起工 同年同月竣工

あとがき


原点回帰です。

編集 岵囃子裕二@軍艦堂 トップへ