概観諸元
分類:重雷装艦 クラス:二等巡洋艦
起工:1919年起工 竣工:1921年竣工
型式:球磨型 艦番:3番艦
艦名:北上 初代
諸元:基準排水量:5,100トン 公試排水量:-トン
全長:162.15m 全幅:m
概要
北上(きたかみ)は日本海軍の軽巡洋艦。球磨型の3番艦である。艦名は、岩手県・宮城県を流れる北上川より名づけられた。
1921年、佐世保工廠にて竣工。
九三式酸素魚雷の登場をきっかけに、1941年に重雷装艦へと改装されている。一部の14cm主砲を降ろし、それまでの53cm魚雷発射管に変えて、61cm魚雷発射管を左右各舷4連装5基20門、両舷合計40門搭載した。しかし、実戦においてこれを使用する機会は無かった。
ガダルカナル島攻防戦以降、発射管を一部撤去し前線へと物資や人員を運ぶ高速輸送艦として使用されることが多かった。
1945年には、本土決戦を前提とし、奇襲を主とした唯一の水上艦部隊である海上挺進部隊に編入され、この中で北上は特攻兵器・回天の搭載母艦に改装された。
なお北上は同戦隊を含め、回天を搭載した艦艇の中では、排水量・搭載数共に最大の艦である。
1945年7月24日、呉に於いてアメリカ海軍第38任務部隊艦載機による空襲を受け大破(呉軍港空襲)、航行不能となる。
戦後は復員輸送支援の工作艦として1945年末に鹿児島へ曳航され、約半年間従事した。
1946年7月に長崎へ回航され、同年10月より三菱重工業長崎造船所で解体された。
Wikiより抜粋
- 球磨(くま)熊本県の球磨川にちなむ。1920年竣工(佐世保海軍工廠)1944年マラッカ海峡にて戦没。
- 多摩(たま) 関東地方の多摩川にちなむ。1921年竣工(三菱造船長崎)1944年エンガノ岬にて戦没。
- 大井(おおい) 静岡県大井川にちなむ。1921年竣工(神戸川崎造船所)1944年、マニラ沖にて戦没。
- 木曾(きそ) 東海地方木曾川にちなむ。1921年竣工(三菱造船長崎)1944年マニラ湾にて戦没。
考証
確定:キットは九二式61cm4連装発射管はシールドなしの状態であるが、実艦はシールドありのタイプであったとの乗組員の証言の記載があり (出所:キット内、阿部達氏証言)
推測:資料によっては、重雷装艦時に、25mm連装機銃2基、25mm3連装機銃2基とあるものがあるが、光人社刊、写真 日本の軍艦 軽巡I にて確認すると、回天搭載艦時代の機銃配置が2基+2基で確認出来るため、これを重雷装艦時代と誤認した可能性あり。
確定:キット後部上構床面は鋼板剥き出し(軍艦色塗装指示)では無く、リノリウムが敷かれていたとの乗組員の証言の記載があり (出所:キット内、阿部達氏証言)
使用部品
- ピットロード製キット W47
- 各社エッチングパーツ
- 自作レジンパーツ
- 各種金属、プラスチック、その他素材
製作工程 重雷装艦 1941
兵装、艤装
- 五○口径三年式14cm単装砲及び25mm連装機銃
五○口径三年式14mは全ディテールアップ部品交換及び側面にハンギングラダー設置。
25mm連装機銃は全エッチングパーツ交換。
- 煙突
煙突は 頂部、ジャッキステー、捨て蒸気管モールド削除、頂部開口、雨除板プラペーパーで再現、ファンネルフード、ジャッキステー、管リングをエッチングにて再現、捨て蒸気管を真鍮パイプで先曲げ加工で再現。(パイプ先端はH型はこの時代は撤去されていたが、頂部に傘のついたタイプの可能性もあり)
完成写真
HULL SCAPE
ZOOM UP
WATERLINE VIEW
- 撮影環境
- ミニクリプトン球(電球色)4燈直射による自作撮影ブース
- 撮影に使用したカメラなどの機材
- Nikon D90, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
- 撮影時のカメラの設定値
- F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7
製品所在
皇紀弐六七壱年軍艦堂工廠第4渠に於て起工、建艦中
あとがき