概観諸元

分類:戦艦 クラス:戦艦
艦番: 補充計画戦艦第2号艦
起工:1938(昭和13)年起工 竣工:1942(昭和17年竣工
型式:大和型 艦番:2番艦
艦名:武蔵 3代目武蔵 初代:明治期の軍艦 2代:葛城型巡洋艦3番艦
由来:国名 神奈川県の一部、東京都の一部、埼玉県の一部からなる旧令制国名武蔵国
諸元:基準排水量:65,000トン 満載排水量:72,809トン
全長:263m 全幅:38.9m
竣工時兵装:46cm(45口径)砲3連装×3 15.5cm(60口径)砲3連装×4 12.7cm(40口径)連装高角砲×6 25mm3連装機銃×12 13mm連装機銃×2
最終時兵装:46cm(45口径)砲3連装×3 15.5cm(60口径)砲3連装×2 12.7cm(40口径)連装高角砲×6 25mm3連装機銃×35 25mm単装機銃×25 13mm連装機銃×2
搭載機:最大7機
信号符字 Juliet - Golf - Bravo - Alpha
J G B A

概要

武蔵(むさし)は、第二次世界大戦中に建造された大日本帝国海軍の大和型戦艦の二番艦である。
当時は武藏と表記された。この名を持つ大日本帝国海軍の艦船としては3隻目。
1937年(昭和12年)開催の第七〇回帝国議会で予算が承認され、3月29日に計画名「A140-F6」から「第一号艦」「第二号艦」と仮称された(予算詳細は戦艦「大和」を参照)。
9月8日、海軍艦政本部から三菱重工業に「A140-F6」が正式発注される。 予算見積折衝を経て、1938年(昭和13年)3月29日、「第二号艦(武蔵)」の建造が始まった。
姉妹艦「大和」や「110号艦(信濃)」同様本艦の建造は極秘とされ、艤装員(建造中の艦乗組員)は長崎造船所を秘匿した「有馬事務所」に勤務するよう命じられた。
外部に対しては、さまざまな方法で「武蔵」を隠す手段がとられた。船台の周囲には漁具(魚網等)に使う棕櫚(しゅろ)を用いた、すだれ状の目隠しが全面に張り巡らされた。
姉妹艦「大和」よりも遅れて起工された本艦には、「大和」建造中に判明した不具合の改善や、旗艦設備の充実が追加指示された。
戦艦「武蔵」は、現在までのところ、日本が建造した最後の戦艦である。
1943年(昭和18年) - 4月18日 山本五十六長官が戦死(海軍甲事件)。23日、山本の遺骨と宇垣参謀長が戻る。 第三戦隊(戦艦金剛、榛名)、第二航空戦隊(空母飛鷹)、第八戦隊(巡洋艦利根、筑摩)、第六一駆逐隊、第二七駆逐隊、第二四駆逐隊とともに山本長官の遺骨を乗せてトラック島から横須賀へ帰還。これが武蔵の初任務となった。
1943年(昭和18年) - 7月31日 長崎沖から第五戦隊(妙高、羽黒)、軽空母雲鷹、軽巡洋艦長良、駆逐艦曙と共にトラック島へ向かう。 この頃、不燃対策として家具を撤去する[66]。また甲板を黒に近いネズミ色に塗装し、甲板掃除を行わなくなったという複数の証言がある。甲板士官も、1944年1月の時点で甲板が黒く、ほとんど掃除しなかったと述べている。
1944年(昭和19年) - 6月15日 マリアナ沖海戦参加。
1944年(昭和19年) - 10月22日 レイテ沖海戦参加すべく、ブルネイを出撃。 10月24日 米軍機の集中攻撃を受け、シブヤン海にて沈没。
左右両舷副砲を撤去し、そこに高角砲用砲台が設けられたが、レイテ沖海戦までに高角砲増設工事が間に合わず、25mm三連装機銃を計6機増設している。このため、「大和」とは兵装が異なっていた。
対空噴進砲(対空ロケットランチャー)を探照灯の部分に片舷1基ずつ積んでいたという証言もあるが、実証する史料は発見されていない。
リンガ泊地では、米袋に入れた土嚢を機銃台のまわりに積み上げるなどの出撃準備を行った。
この時「武蔵」だけは塗装を塗り直し、他の艦より明るい銀鼠色となった。下士官兵の中には「艦長四代副長二代の死(四ニ)装束」として縁起をかつぐ者もおり、「武蔵は囮艦なのだ」と不安になる兵もいた。
他艦からも縁起が悪いとみなされていたようである。この塗装が艦隊の命令なのか、可燃物である塗料を始末しようとする武蔵首脳の独自の判断なのかは不明。
1944年10月24日第一次~第六次空襲で大火災を起こす。これ以上の戦力発揮は不可能と判断し、司令部へ救出した、摩耶乗組員の生存者の移乗を打診。 駆逐艦島風に移乗。
19:15 傾斜角暫時増大し左舷12度となり傾斜復旧の見込み無し。総員退去用意下命。軍艦旗降下。 19:30 傾斜角30度。総員退艦命令。 19:35 左舷に転覆、連続爆発2回、艦首より沈没。沈没位置東経122度32分・北緯13度7分・水深800m。

Wikiより抜粋

同型艦:

考証

バリエーション

使用部品

1944年

レイテ沖海戦 甲板黒塗装 (指定条件製作依頼案件)

完成写真

HULL SCAPE

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WATERLINE VIEW

製品所在


皇紀弐六七弐年(2012年)壱拾壱月壱拾参日起工

あとがき


 

編集 岵囃子裕二(タヌポンの工廠長)@軍艦堂 トップへ