概観諸元

分類:航空母艦 クラス:正規空母
艦番:海軍軍備補充(④)計画空母第130号艦
起工:1941(昭和16)年起工 竣工:1944(昭和19)年竣工
型式:大鳳型 艦番:1番艦
艦名:大鳳 初代大鳳
由来:生物 巨大な鳳凰に因む
諸元:基準排水量:29,300トン 公試排水量:32,400トン 満載排水量:37,270トン
全長:260.6m 全幅:27.7m

竣工時
最終時
10cm連装高角砲×6 10cm連装高角砲×6
25mm3連装機銃×22 25mm3連装機銃×22


搭載機:常用52機 補機1機
信号符字:Aipha - Alpha - Alpha - Alpha なし、または調査中 ご存じの方はこちらから情報をお寄せ下さい。
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概要

大鳳(たいほう)は、日本海軍の航空母艦。空母機動部隊として艦載機を載せて実戦に参加した日本海軍の正規空母の中では最後に竣工した。
1939年(昭和14年)に策定された第4次充実計画(通称マル4計画)において計画された航空母艦であり、船体は翔鶴型航空母艦を基にしつつ、それに装甲を張り巡らせた重防御を特徴としていた。
大鳳以前の日本空母の飛行甲板は、同時期のアメリカ空母と同様にほとんど無防御だった。
急降下爆撃機の発達により、爆撃によって空母の発着能力が容易に奪われてしまうことを憂慮した日本海軍は航空母艦の飛行甲板には装甲防御が必須であると考えた。
この考えに基づき建造された大鳳は、日本海軍が待望久しかった飛行甲板に装甲を施した空母であった。
25mm三連装機銃を22基搭載するほか、日本空母中唯一65口径10cm高角砲を12門と、対空能力に於いても強化が図られていた。
機関については、翔鶴型を基本としたものを搭載した。
なお大鳳には同形艦は存在しないが、小改良を施した改大鳳型航空母艦が設計され、戦況の悪化に伴い建造中止となっている。
1941年(昭和16年)7月10日川崎重工業神戸造船所にて起工。
1943年(昭和18年)4月7日進水。
1944年(昭和19年)神戸港から備讃瀬戸と来島海峡を通過して呉軍港に移動。同3月7日竣工。同日、兵員輸送を兼ねて呉を出航、シンガポールセレター軍港に入港(ドック入、入港日不明。4月5日説あり)。
6月13日、対潜直衛機が着艦に失敗。待機中の機に延焼し、零戦2、99艦爆2、天山1を破棄した。
1944年(昭和19年)6月19日、マリアナ沖海戦に参加。午前8時10分、ガトー級潜水艦アルバコア (USS Albacore, SS-218) の魚雷1本を右舷中央部ガソリンタンク付近に受け損傷。被雷直前、本艦から発艦したばかりの彗星(小松咲男兵曹長)が雷跡を発見し、自爆突入したが間にあわなかった。この時点で大鳳は傾斜も起きず、戦闘続行が可能とみなされたが、損傷により漏れたガソリンが艦内に充満しつつあった。
被雷から4時間後の午後2時32分、艦載機の着艦がきっかけで気化ガソリンに引火し、大爆発が発生する。甲板は全て吹き飛び、艦全体が火災に覆われた。機関部との連絡がつかないため消防管のバルブが開けられず、消火活動は全くはかどらなかった。駆逐艦「磯風」が艦尾に接艦して「大鳳」乗組員を救助した。大鳳は左舷に大きく傾斜し、16時28分に沈没した。
大鳳の沈没は、魚雷被弾後に胴体着艦をした戦闘機の衝撃で格納庫内に充満した気化燃料(ガソリン)に引火、爆発したことが原因だった。
大鳳には、戦争後期の空母と同じく、「あ号作戦」(マリアナ沖海戦)直前、2日がかりでゴム系の塗料で迷彩が施されたという証言があるが、写真などの資料は現在まで見つかっておらず、迷彩のデザインや塗装を担当した士官らは大鳳とともに戦死。迷彩のデザインは謎となっている。
装甲板=飛行甲板(強度甲板)でなく、従来の空母同様に木製飛行甲板であったとされるが、ラテックス仕上げであるという異論もあるが、改大鳳型(G15 改マル5計画)の図面でも木の甲板の使用を裏付ける記述があり、最近発見された「大鳳」艦上で撮影されたと思われる写真には木甲板が映っている。また現存する複数の中央切断図面でも飛行甲板は45mmの木板を張る仕様になっている。逆に、ラテックスを飛行甲板に施工したという公式文書・図面・証言資料が全く存在しない。

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同型艦:


考証


バリエーション

使用部品

マリアナ沖海戦

軍艦色塗装 (実際は最終時、迷彩塗装であったそうです)


完成写真

HULL SCAPE

CLOSE UP

WATERLINE VIEW

製品所在


皇紀弐六七弐年(2012年)壱拾壱月六日軍艦堂工廠第六渠ニテ起工
同年同月壱拾七日竣工

あとがき


こどものころは、一番スマートでラテックス甲板の頑丈な空母の印象がありました。当時は、ラテックス張り(といいますか、鋼板甲板)が通説でした。

編集 鴣囃子裕二(タヌポンの工廠長)@軍艦堂トップへ