概観諸元

分類:戦艦 クラス:戦艦
艦番:八八艦隊1号艦
起工:1917(大正6)年起工 竣工:1920(大正9)年竣工
型式:長門型 艦番:1番艦
艦名:長門 初代長門
由来:国名 山口県の旧令制国名長門国
諸元:基準排水量:39,120トン 公試排水量:-,---トン 常備排水量:-,---トン
全長:224.94m 全幅:34.59m

竣工時
再現時
45口径41センチ連装砲×4 45口径41センチ連装砲×4
50口径14センチ単装砲×20 50口径14センチ単装砲×20
40口径7.6センチ単装高角砲×4 撤去
- 40口径12.7センチ連装高角砲×4
53cm魚雷発射管×8 撤去


搭載機:3機
信号符字:Juliet - Golf - India - Alpha
J G I A

概要

長門型戦艦(ながとがたせんかん)は、大日本帝国海軍の戦艦の艦型のひとつで、八八艦隊計画により最初に作られた戦艦。長門と陸奥の2隻が建造された。2番艦の陸奥は、ワシントン海軍軍縮条約で完成しているかどうか問題になり、結果として陸奥の建造は認められたが、代償としてアメリカ海軍はコロラド級戦艦2隻の建造(別に1隻が既に完成。)、イギリス海軍は戦艦2隻の新造を認められた。長門型戦艦は建造時(1920年)、世界最大・最強・最高速の戦艦であり(大きさ、速力では同時期のフッドが上回るが、これは巡洋戦艦)、日本海軍の象徴だった。
長門(ながと)は山口県の山陰地方旧長門国を名前の由来に持つ日本海軍の戦艦で、長門型戦艦の1番艦。完成当時の1920年では世界最初であり、かつ最大口径の16.1インチ(当時日本はメートル法を採用していたため実口径は41cmちょうど)主砲と、当時の戦艦の中では非常に高速である26.5ノットの機動力を持つ高速戦艦で、世界の軍事史や軍艦史にも大きな影響を与えている。2番艦の「陸奥」と共にその高性能故に、各国海軍から注目され、当時大艦巨砲主義に染まっていた列強海軍の熾烈な建艦競争に、ワシントン海軍軍縮条約による一定の歯止めを与えるきっかけとなったのも本艦であった。完成後に連合艦隊旗艦となり、第二次世界大戦後に有名になった戦艦「大和」が戦中は存在そのものが極秘だったこともあり、戦前と戦中には長門・陸奥こそが日本海軍を代表する戦艦として、国民から親しまれた。太平洋戦争開戦時には戦艦「大和」が完成前で、連合艦隊旗艦として連合艦隊司令長官 山本五十六大将が座乗していた。太平洋戦争中は「大和」「武蔵」に次ぐ主力艦として温存され、終戦まで稼動可能な状態で生き残った唯一の日本戦艦である。日本軍の降伏後、1945年8月30日にアメリカ軍に接収される。アメリカ軍による詳細な調査の後武装解除され、1946年3月18日にクロスロード作戦(米軍の核実験)に標的艦として参加するためマーシャル諸島のビキニ環礁へ移動する。長門は空襲によって中破したまま修復されておらず、外洋への航海がままならない状態であった。時速数ノットというあまりの低速のため、小修理のためエニウェトク環礁に立ち寄っている。1946年7月1日の第一実験では戦艦「ネバダ」が中心に配置され、長門は爆心予定地から400mのところに置かれた。爆弾は西方600mにずれてしまい、結果爆心地から約1.5 km(1,640ヤード)の位置となった。この時長門はほとんど無傷(爆心地方向の装甲表面が融解したのみで航行に問題なし)であった。長門と同時に実験標的にされた「酒匂」は翌日に沈没した。7月25日の第二実験では爆心地から900-1000mの位置にあり、右舷側に約5度の傾斜を生じた。それでも長門は海上に浮かんでいた。しかし、4日後の7月29日の朝、原爆実験の関係者が長門のいた海面を見てみると、既に長門の姿は海上にはなかった。7月28日深夜から29日未明にかけての夜間に、艦内への浸水によって誰にも見取られる事なく静かに転覆し沈没したものと見られる。長門が二度被爆してなお4日後まで沈まなかったことは、当時の日本では「米艦が次々沈む中、最後まで持ちこたえた」「長門が名艦だった証拠」「日本の造艦技術の優秀性の証明」と喧伝された。なお実際には、長門より爆心に近かった大型艦(アーカンソー、サラトガ)は沈み、長門より離れていた大型艦(ペンシルベニア、プリンツ・オイゲン)は沈没していない。現在、長門沈没地点はダイビングスポットとしてこの地の貴重な観光資源となっている。沈没状態とはいえ、ビッグ7の中で一応形が残っているのは長門だけである。現状は上下逆さまで沈没しており、艦橋部分は折れている。

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同型艦:


考証


バリエーション

使用部品

1933年 屈曲煙突

対空武装強化時


完成写真

HULL SCAPE

CLOSE UP

WATERLINE VIEW

製品所在


皇紀弐六七弐年(2012年)九月壱拾六日軍艦堂工廠第壱渠ニテ起工
同年同月弐拾六日完成

あとがき


 

編集 鴣囃子裕二(タヌポンの工廠長)@軍艦堂トップへ