概観諸元
分類:重巡洋艦 クラス:
1等巡洋艦
起工:1924(大正13)年起工 竣工:1928(昭和3)年竣工
型式:妙高型 艦番:2番艦
艦名:那智 初代那智
諸元:基準排水量:10,902トン 公試排水量:13,281トン
全長:203.76m 全幅:19m
概要
妙高型重巡洋艦(みょうこうがたじゅうじゅんようかん)は大日本帝国海軍の重巡洋艦。同型艦は4隻。
妙高型重巡洋艦はワシントン海軍軍縮条約に基づき建造された10,000トン級重巡洋艦であり、青葉型重巡洋艦の発展型といえる艦型であった。設計の主たる物は平賀譲造船官の手によるもので、当初は魚雷発射管が装備されていなかった。しかしながら軍令部は魚雷発射管は必須の装備と考え、設計変更を要求したが平賀は魚雷発射管は不要との考えを頑として譲らず、妙高型は当初設計案が認可されることとなった。
その後平賀は欧米視察に赴き、その間に軍令部は藤本喜久雄造船官に妙高型の改設計を命じ魚雷発射管が装備されることとなった。クラスA巡洋艦妙高型(大巡、甲巡・軍縮条約において規定された巡洋艦のうち8インチ砲を搭載するもの・完成時期から那智クラスと部内及び諸外国で呼ばれる場合がある)
特徴としては前クラスである古鷹型巡洋艦が、大正時代のいわゆる5500トン型軽巡洋艦14cm砲7門に対して建造された米7000トン級オマハ級軽巡洋艦・15.2cm砲12門との戦力比を埋める為に設計されたのに比べ、本妙高型では、当初は八八艦隊計画案の中で同20cm砲7200トン巡洋艦として計画されていたものを、ワシントン条約が締結されるにともない基準排水量制限10,000トン内で最大の攻撃力と防御力を併せ持つ有力な艦が要望された事により誕生した。
軍令部案では20cm砲8門61センチ魚雷八基35.5ノットの要求であったが、魚雷兵装の坑堪性への危惧から平賀は全廃。主砲10門艦への試案が提出された。大正12年これが容れられ、補充艦艇製造費で13、14年度に4隻が建造される事となった。
しかし、軍令部の強い要望(2艦隊旗艦として駆逐艦と共に突撃させる為には雷装は不可欠との想定)により藤本により雷装が復活したものの魚雷の強度上の問題から艦内装備とされた事から居住区画が不足するなど設計は錯綜した。
その後、完成した本艦は波形船型による船殻重量の軽減により重兵装の設計を図ったもののこれに失敗、更に艦橋構造は不足した居住区を増設したために青葉型よりも大型化されるなど、これらの要因により予定の排水量より1割弱(980トン)重く成り条約制限を超過してしまった。(造船担当側は計算上の数値で設計された指示を厳密に守る努力より、戦闘行動に耐えるよう確実で堅牢な建造工事を追求するため、この種の事例は日本では珍しくなかった。又雷装の追加で200トン+追加の兵員室など設計外重量の追加などの900トンが響いている。)
那智(なち)は、妙高型の2番艦である。命名の由来は和歌山県の那智山。
呉海軍工廠にて建造。就役後、1932年には上海事変で警備に従事。
日中戦争では上海上陸作戦に参加。
1941年太平洋戦争が始まるとパラオに進出し、ダバオ、メナド、アンボン島、マカッサルなどの攻略作戦を支援する。
1942年スターリング湾を出撃しチモール島デリー、クーパン攻略を支援。その後北方部隊に編入。同年厚岸に入港し第5艦隊旗艦となる。アリューシャン作戦のため大湊を出航。
尚、小泉信三の長男である小泉信吉は主計中尉として本艦に乗船しており、1942年に戦死している。
1943年アッツ島への輸送作戦に参加。米重巡洋艦「ソルトレイクシティ」などと交戦するが攻撃を受け小破し戦死11名、負傷21名の損害を出す。1944年台湾沖航空戦での過大な戦果報告により大損害を与えたと考えられた米機動部隊攻撃のため重巡洋艦「足柄」などとともに瀬戸内海を出撃。レイテ湾に来襲したアメリカ軍攻撃のため第二遊撃部隊旗艦として出撃。25日にスリガオ海峡で大破した重巡洋艦「最上」と衝突し損傷する。マニラ湾で米空母「レキシントン」からの艦載機による空襲を受け多数の爆弾、魚雷の命中により沈没。乗員807名が戦死し、220名が救助された。
Wikiより抜粋
同型艦:
使用部品
- フジミ製キット シーウェイモデル特SPOT04
- KAモデル 製エッチング多数
- ライオンロア 製エッチング多数
- 各種プラペーパー
- 各種真鍮線
- 海魂製 エッチング、金属部品多数
- ハセガワ製 エッチング
- レインボーモデル製 エッチング多数
- フライホーク製 エッチング多数
製作工程 那智1943 第五艦隊旗艦
2010/4/29
- 兵装
なんか大判エッチング付属の那智がフジミから出るとのことで思わずホビーサーチから購入!実はそのことを忘れてて近所のデオデオに行くと1個あったので即購入!その数日後ホビーサーチから届きました(;´Д`)まいっか。ていいますか、これがきっかけでこの後の製作は2隻同時が原則になりました。あくまでも趣味ですので、なにかと2隻同時だと時間はかかるもののお互いに良い点をフィードバックし合え製作が出来るので。キットの方はモールドは申し分ないし、船底の継ぎ目は出ないように底面にはめ込む底板構造になってるし、エッチングは金額にしては目を疑うほど盛りだくさんだし文句なしです。これで2800円はお買い得ですホント。問題はこのエッチングが1枚で構成されているので腰が必要な部品もステンのように強度がほしい部品も全てソフト真鍮製で、やわらかさに苦しむことになろうとは・・(;´Д`)
兵装から手がけてみます。まずは主砲塔から製作です。たんまりエッチング盛り込んでますね。
アンテナのないその他主砲塔と機銃座ブルワーク構造部、高角砲の組み立てです。高角砲砲身は後ほど別途金属砲身へ交換しようかなっと考えてます。主砲砲身もシャープさは金属砲身にはかないませんので別途購入して交換かな。
2010/4/30
- 船体加工等
煙突部分の工作です。ファンネルキャップを形成してジャッキステーをあしらいます。モデラー復帰組には厳しい細かさですわw
ちょこちょこと軽く作業して本日は早めに終了
2010/5/4
- 兵装及び船体加工
しばらく他の艦船かまってまして久しぶりの作業です。
小物類を色々作って作業終了。艦橋は窓枠他にも交換するところがあるので後日ハセガワの汎用窓枠でも買って再現するとします。
舷側舷窓モールドはかーなり浅いので0.6mmピンバイスで開口します。重巡洋艦以上は0.6mm軽巡洋艦以下は0.5mmで基本的に開口しています。
2010/5/5
- リノリウム塗装
リノリウム部分をアクリルラッカーMrホビーで塗装します
2010/5/27
- 船体加工
船底に2.5mmドリルで開口して内部にナットを固定してあります。写真のように舷側鋼板が船底のサイドに来るこの構造最高ですね。
個人的に洋上モデルの下部に私は艦底色を塗装しません。この構造だと継ぎ目が出ないのでありがたいわけですわ( ̄ー ̄)てか22日ぶりの製作再開って(;´Д`)
実はHP掲載してませんが、スキルアップのため駆逐艦松を可能な限りディテールアップして製作していました。
舷側にモールドされている舷外電路を削ぎ落としてエッチングの舷外電路を這わせます。この舷外電路は箱形のタイプです。
2010/5/28
- 艦橋
前述の通り、艦橋サイドの小部屋の窓枠をモールドを削り落としてハセガワの艦橋窓枠セット比較的ピッチの狭いタイプを選んで取り付けます。
そのため写真のように艦橋を途中から固定していた部分をもぎ取ってます。
2011/9/24
- 製作再開
製作再開なんですが、期間開いたねーなんだっこの1年半って!
1965年公開のキスカの映画を見て(怒られて)使命感に燃えて製作再開なんですが、当然の如く、キスカの映画内で(燃料の関係で出撃しませんでしたが)幌筵(ほろむしろまたはパラムシル)に停泊中の那智を見て、火が付かないわけが無いw
で、1943第五艦隊旗艦時代の再現な訳です。
アッツ島沖合海戦時の損傷修理前は21号電探は無かったんですが、修理で横須賀工廠へ入渠した際にはこの最終形態でもある21号電探装備となってます。この工事が4/3日ですから、キスカ作戦時に沖合に浮かぶ那智は電探付だったわけです。この時の入渠は大きな改造は無く、アッツ時修理と電探搭載だったようです。
あまりに長期の放置のため、舷外電路が一部紛失していたので、ライオンロアの舷外電路を使用して補完してやります。
当時、そのままにして製作する予定だった部分も今は再現対象なので、軌条、絡車、ターンテーブルを削除します。削除後は平滑に均してやります。ゲンミツに削除しなくても、ガイドにもなるので、うっすら元のモールドを残します。
ホースパイプは両側から開口、チェーンは落とし込みます。アンカーはプラ製のものを使用します。
手摺は純正手摺を配置します。
昨年作成したファンネルは驚愕のまんまマニュアル通りの作成に保管状態の悪さが相まってレロレロw
パイプは切除して真鍮管置き換え、頂部は開口して雨水除け板と、側面に排水孔を開口ジャッキステーを設置します。
後部艦橋は、KAモデルのパイプ手摺設置海魂の連装機銃置き換え、ライオンロアのラッタル設置を行います。
2011/9/25
- 船体
砲塔は当時のものは砲身先端をドリルで開口したものだったのと、軍艦色は汚し前提で白混色軍艦色が基調だったため、白っぽいので塗装し直しです。砲身は海魂製20.3cm砲身に交換です。砲身基部のキャンバスはセールカラーに塗り直すので、ついでに、甘かったパーティングラインも処理しておきます。
甲板前部からリノリウム部分のマスキングを行って行きます。
前部煙突もジャッキステーを剥がして、配管モールド側面3本背面1本削ぎ落とします。
削ぎ落とし終わったらジャッキステーのガイドがある程度残る程な感じに綺麗にヤスって行きます。写真は作業前段階の配管を削ぎ落とした直後です。
既に配管取付に入っていますが、明日が作業の大部分を占めるので、今日はこのあたりにして、水没ローマを引き揚げてみます。
2011/9/26
- 船体
煙突配管は細管x2太管5本用意しました。固定リングはモールドを参考に配置しました。
配管を曲げ加工上部の屈曲と斜に面取りを行い、所定の位置に固定、ジャッキステーを間に設置します。
キットの純正エッチングは繋がっていますが、実際は繋がっていませんので長さを揃えてカットして取り付けます。
2011/9/27
- 艦橋
今日は艦橋を根底から手直しです。
写真1枚目が昨年製作した状態、則ち今回の手直しスタート状態です。まず、窓枠に隙間がありすぎるため全て撤去、高さ、埋め方を含めて再検討です。
底面側からの処理で、板もので表現されてた支柱や、三角桁は残らず真鍮線とエッチングに交換です。
遮風装置再現のため、羅針艦橋上部の遮風装置のモールドを切除します。火器コントロール機器はそれぞれエッチングを使用します。
切除した部分に0.5mmと1mmの2種類のプラペーパーを用意して縦板を再現してやります。その上に水平に板を張ってかぶせます。
逆探、方位探針儀支索、床、双眼鏡、防弾板、配管、空中線引き込み装置、追加の穴あき三角桁をエッチングなどで再現してやります。リノリウム床部分にも双眼鏡が来ますが、ここは設置してからマスクは極めて困難無理なので、塗装完了後に別途取り付けてやります。
前檣は基本のマスト基部に穴あき桁を水平に這わせて、各層0.2mm真鍮線をトラス構造状にします。垂直桁は0.3mm真鍮線、トップには艤装小物から避雷針とカンテラを設置、21号電探は純正エッチングです。
最終的に今日はサフを吹いて終了。明日は軍艦色を吹いて双眼鏡、火器制御類を配置して行きます。
2011/9/28
- 艦橋、船体
昨日のプラサフを吹いたものを塗装しますが、キスカ作戦時に(18年7月当時)13号電探と22号電探はありませんでしたので、(13号は写真では既に撤去済)撤去します。22号電探はラッパ状のもの2つが組み合わさったものです。(通称マグロ)
余談ですが、キスカ作戦時に、実際に作戦に参加したかたからの証言を頂戴出来ましたので、掲載させて頂きます。(お孫さんからのコメントです)
搭乗艦:駆逐艦秋雲
「キスカ作戦のときは出航前に、魚雷とか 砲弾なんか3分の1ぐらい降ろした。 あとで、人員収容のためのスペース作りだってわかったんだけど それまでは、とんでもない作戦に突っ込まれたもんだと思った。 正直、敵艦隊と遭遇しなくてよかった。 それにしても、本当に霧は凄かった、甲板ですれ違う 乗組員が誰かもわかんなかった。」
奇跡の作戦はこのコメントで想像に難くないですね。
製作に戻りますが、先ほどの電探に関する考証ですが、時間軸で表すと 18/4/3 21号電探設置、逆探設置、アッツ時損傷修理 > S18/7/7 第二次キスカ作戦これがいわゆる奇跡の作戦(待機) > S18/11/22 22号電探2基搭載 > S19/9 13号電探搭載 > S19/11 戦没 となりますので、21号あり、22/13号なしとなります。
主砲塔もついでといっちゃー怒られそうですが、軍艦色吹きを行います。その後、バフ、追加のラッタル、墨入れ錆のせで完成です。
船体に戻ります。後部からプロペラガード、副錨、を設置、交換を行います。舷窓はキスカ時は戦訓により盲蓋にて塞がれていたのでこちらも再現してやります。全部で100箇所前後となります。
思った以上に盲蓋は数が多く、夜更かしは怒られるので、もう少しですが潔く切り上げます。後、艦首ラ変で終了です。
2011/9/29
- 船体
今日は半日、IT関連の業務が忙しく作業が出来る時間になったのが夕刻よりです。
昨日より引き続きの盲蓋(もうがい)張り作業です。昨日ほぼ艦首側まで迫り寄っていたので比較的すんなり終了。
手順的には本末転倒ですが、第弐煙突を白化させます!周囲のリノリウムマスキングのまだ終わって無い部分を終えて、プライマーサーフェーサーを吹きますが、今回は広範囲はまずいので、タミヤラッカーシンナーで薄めたプラサフグレーをエアブラシでスポット的に吹き、その後、煙突頂部の黒を吹いて、慎重に白を吹きます。ここで、黒に干渉しないよう慎重にです。
正直思うに、取り付ける前に塗れっつー話でした(;´∀`)
それでも拡大すると結構飛沫飛んでるモンですね。、これ肉眼だと見えません。レタッチを行って今日の作業は終了です。
この後は、長門作業です。
2011/9/30
- 船体
第弐煙突も白くなったので、マスキングを終えて船体の塗装に入ります。
プラサフ吹く際に、白煙突の上から入らないよう注意します。軍艦色を吹いたらマスキングを剥がして行きます。一部張り忘れがあったり、隙間からの干渉があったりしたら、レタッチします。後から塗った觀も厚塗りしなければ、トップコートで平滑になるのであまり目立たなくなるので、神経質になる必要はありませんが、でも、注意するに超したことはありません。
塗装が終わったら、精神衛生上非常に良くないので、主砲や艦橋を所定の位置に取り付けてやります。実際、艦橋は一度落下させてしまいました。奇跡的に無事だったのがすごい!
壱、参、伍番砲塔が左舷に向いてるのは、前後の絡車取付に際し、砲身が邪魔なためです。紛失しそうなターンテーブルも、先に飛行甲板へ設置してやります。
あすは、前側から順に仕上げて行く方向で作業します。明日はホスピス病院のIT関連の仕事がありちと進捗が悪くなるかもしれませんが、可能であればリノリウム押さえ、張り線除く完成なんてとこまで行きたいですね。
2011/10/1
- 艤装、兵装
最後の艤装品類です。架台、絡車、ラジアルダビット、ラッタル、探照燈台、管制櫓を準備して、プラサフ>塗装を行います。
昨年製作していた高角砲は砲身交換してないまま放置だったので、形状修正、パテ修正、金属砲身交換を行って、プラサフ>塗装を行います。
渡り廊下機銃座はキットの形状と、エッチングの110°床の形状が異なりますので修正してやります。支柱の支え部には穴あき三角桁を準備します。
修正したものに手摺を這わせます。手摺を這わせたら弾薬箱関連を設置して塗装へ移行します。
同時に塗装しますので、火器指揮所、高角砲、追加絡車、機銃座をまとめます。
塗装後、所定の位置へ、前回塗装しておいた、架台、ダビットも設置します。ダビットは中央部はここで取り付けたら経験則でカッターが入らなくなるので、まだ取り付けません。
明日は後檣、軌条、リノリウム押さえ、カッター、張り線まで出来たら進めます。
2011/10/2
- 艤装
後檣トップの作成です。キットのものだとV字角度が浅い気がしますので、少々深めに折ります。主軸以外0.2mm真鍮線の砲がメリハリが出るかもしれません。今回は全て0.3mmでの作成です。
航空機部品収納ケージ、後檣、キノコ通風筒、クレーンを準備して塗装します。塗装後、所定の位置に設置します。
クレーンは取り付けた後、滑車を取付け、後檣から索を引きます。
艦尾信号灯、艦橋トップ塗装、レタッチを行い船体完成です。
明日は、汚し、錆び、艦載機、艦載艇、リノリウム押さえ、張り線を行います。1日では捌けないと思うので、完成目標を水曜日あたりにしてみます。
2011/10/3
- 艤装
三座水偵はフロートと折りたたみ翼端は静模のものを使用、艦載用はピットロードのものを使用します。えくぼが酷いけど、総じてシャープな感じがします。
明日はリノリウム押さえ途中あたり目標に行きます。
2011/10/4
- 艦載機
艦載機塗装に入ります。三座水偵ですが、となりのドックの長門の九五式水偵と同時作業です。下面の明灰白色を塗装したら、上面を塗装する前にエッチングを取り付けます。先に付けてプラサフ吹いてと言う方法でもいいと思います。私の場合、触ってエッチングこわす事故多いので、こうしてます(;´∀`)
ちなみに、エッチングは予め、下地処理はしておきます。
吹き終わったら、エッチングの支柱をフロートと機体の間に設置して、フロートを取付、識別帯を塗って、アルミハゲを表現し、自作の太めの回転警告帯を貼り、三座水偵の完成です。
ケージ、フロート(本来応急材をおいてるところにおいてみました)艦載機は固定していません。(リノリウム押さえがまだなので)
明日はリノリウム押さえです。
2011/10/5
- リノリウム押さえ
今日はリノリウム押さえです。作業開始時間が遅かったせいか後部甲板終えるまでに睡魔がぁw
今回は前回の摩耶と異なり、阿武隈で初使用した、海魂製のリノリウム押さえを使ってみました。
2011/10/6
- リノリウム押さえ
後部甲板が張り終えましたのでとりあえず写真アップ、現在19時30分、これからの今日は前部甲板から逆に迫っちゃいますw
2011/10/10
- リノリウム押さえ
ここ数日仕事であれこれ忙しく今日10/10夕刻より前側からリノリウム押さえ貼り込み開始です。改めて図面(水野三郎氏描1944/3月図及び公式図)見ましたが1944年はやはりセルター部の渡し部分は手摺になっていました。1943年時はやはり22号マグロは未設置でした。(再確認)
今日の目標はありません。可能な限り、いやwせめて前部甲板張ります!
完了です。明日は頑張って複雑に入り組んだ飛行甲板まで終わらせます。
2011/10/11
- リノリウム押さえ、艦載艇
艦橋側部の貼り込みを終え、このあたりで、艦載艇2種作っておきます。カッターは、座席部分にエッチング、オールエッチング、内火艇は、中を座席塗り分けして幌部分等多数エッチングを載せます。この後、塗装して救命浮標を後部旗竿前に取り付けます。レジン樹脂の厚みがありすぎるのと、旗竿が支柱付だったので、収まらないので外側に取り付けます。塗装を行った後、カッターを取り付けます。フックをT字チェーンに固定します。
2011/10/12
- リノリウム押さえ
リノリウム貼り最後の難関、飛行甲板です。難関と言うよりは、細かい切れ端を多く配置しなければならないからです。精神衛生上の観点から(飽き防止)、前側、後側、両サイドから攻めていきます。個人的にコルチコトロピンが足りないのでしょうか?w
明日からホビーショー視察なので焦らずとも、ある程度形にはしたいものです。
2011/10/15
2011/10/16
- リノリウム押さえ
今日は完成です。残っていたリノリウム押さえの細かい部分を貼って艦載機を載せ、内火艇を載せ、細かい部品を載せ、ウォッシング、錆入れ、乾燥後、最後にトップコートを吹いて完成です。
よく乾燥させた後、最後に、ロープ類や張り線を設置する作業を行います。舵柄信号標は軽い見せ場になるので、ケチらず(忘れず)配置します。
張り線を済ましたら完成。撮影を済まして出撃いたします。
完成写真
HULL SCAPE
ZOOM UP
WATERLINE VIEW
- 撮影環境
- ミニクリプトン球5燈直射による特設専用撮影ブース
- 撮影に使用したカメラなどの機材
- Nikon D90, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
- 撮影時のカメラの設定値
- F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7
製品所在
2隻同時製作
艦番1:神奈川県在住のコレクター様所有
艦番2:起工前に中止決定 後日別時代の考証で起工いたします。
あとがき
昨年GWに着手した船が、1年以上工事中断のまま経過した最近のある日、姫様がキスカ作戦のビデオ見て 「ごるぁ!那智とまってんじゃん!」はっ、お、おこられる:(;゙゚'ω゚'):、早速調べたら存在感たっぷりの白煙突、映画もなかなか面白く、すっかり火がついたわけですが、比較的、工事の流れがはっきり残ってて、この昭和18年当時(7月)21号電探はあり、22号電探(通称マグロ)は最終時作成も可能なのキットなので付属していたのですが、この段階はなし、更に前檣中央の13号電探(通称毛虫)も未設置でしたので再現、とまぁはっきりのこうであった訳です。
ただ、後半のリノリウム押さえは、前作の摩耶でかなり精神疲弊がすすんでたので避けたかったのですが、、つまり、時間かけてじっくり作ったわけです。(;´Д`)
この艦製作中は通称 "なっちん" で通してたわけですが、姫様から 「"なっちん"って誰?」 ガクガク(((n;‘Д‘))η