概観諸元
分類:重巡洋艦 クラス:1等巡洋艦
起工:1928(昭和3)年起工 竣工:1932(昭和7)年竣工
型式:高雄型 艦番:3番艦
艦名:摩耶 2代摩耶 摩耶型砲艦 摩耶が初代
諸元:基準排水量:13,350トン 公試排水量:15,159トン
全長:203.76m 全幅:20.76m
概要
摩耶(まや)は、日本海軍の重巡洋艦。高雄型重巡洋艦の3番艦である。
川崎造船所(現在の川崎重工業)神戸造船所にて起工。艦名は兵庫県神戸市の摩耶山にちなんで命名された。
レイテ沖海戦で米潜水艦の雷撃により沈没、戦艦「武蔵」に救助された乗組員が翌日の「武蔵」沈没を体験したことで知られる。
妙高型重巡洋艦を完成させた日本海軍は、ワシントン海軍軍縮条約で制限されている主力艦を補うべく、更なる重巡洋艦の建造に着手する。藤本喜久雄造船官の設計の元、高雄型重巡洋艦の3番艦として起工されたのが本艦である。なお当時、経済恐慌の影響で川崎造船所が破産寸前であり、建艦体制維持の観点から海軍が介入、摩耶の発注が行なわれた。これにより起工が遅れてしまったとされている。
「摩耶」は1928年(昭和3年)12月4日起工し、1930年(昭和5年)11月8日、3万人の群集が見守るなかで進水、1932年(昭和7年)6月30日竣工した。高雄型重巡洋艦の50口径三年式二号二〇センチ砲は仰角70度で対空射撃が可能だったが、本艦のみ妙高型と同じ55度であった。
1932年(昭和7年)6月30日就役し、第二艦隊第四戦隊を形成し、横須賀を母港とした。
摩耶は1943年(昭和18年)11月5日に受けた損傷修理の際に3番主砲塔を撤去し、40口径12.7センチ連装高角砲を2基増設する改造を行い、対空戦闘能力を高めている。
既設の12cm単装高角砲も撤去し12.7cm連装高角砲と交換、12.7cm連装高角砲は計6基12門となった。また3番砲跡に機銃台を設け25mm機銃を設置するなど25mm3連装機銃13基、同単装9挺、13mm単装機銃36挺と対空機銃も大幅に増強された。
この時同時に魚雷発射管も4連装4基と増強された。
電探(レーダー)も21号1基、22号2基、13号1基が装備された。排水量増加による復元性悪化を考慮してバルジが装着されている。あ号作戦以後に機銃は更に増備され、25mm機銃の総計は66挺に達したと言われている。なお機銃増備などによって乗員も増加し、開戦時は921名だったが改装後は996名となり、最終的には1,000名に達した。
就役後の1932年(昭和7年)9月、海州沖に進出して封鎖作戦に参加。9月23日、「摩耶」の九五式水上偵察機(阿部航空兵曹長、桜沢三等空曹)が対空砲火で撃墜された。
1937年(昭和12年)8月20日の日華事変では、第二遣支艦隊(支那方面艦隊・南支監視部隊)の旗艦として、海南島攻略作戦に参加。この頃、同型艦「愛宕」、「高雄」は艦橋の縮小やマスト移設、飛行甲板設置などの改装を行っているが、本艦と「鳥海」はその機会を日米開戦によって失った。
1941年(昭和16年)12月2日、「摩耶」は馬公泊地に入港し、開戦に備えた。太平洋戦争が始まると、南方部隊フィリピン部隊(高橋伊望中将)の一艦として空母「龍驤」、重巡洋艦「足柄」「那智」「羽黒」、「妙高」、軽巡洋艦「球磨」、「名取」、「長良」、「神通」、水上機母艦「千歳」、「瑞穂」、第十一航空艦隊と行動を共にし、マレー作戦、フィリピン攻略に参加した。
12月10日、米軍爆撃機の空襲を受け、「足柄」と共に対空射撃を行う。12月26日、フィリピン部隊本隊の任務を解かれ、南方部隊本隊に復帰して蘭印作戦に加わった。
「摩耶」は戦艦「榛名」、駆逐艦「響」、「暁」と共に東方支援部隊を形成している。
翌1942年には1月から3月までオランダ領東インド諸島の油田地域を占領する作戦に参加した。1月8日、パラオに入港。17-18日、戦艦「金剛」、巡洋艦「愛宕」、「高雄」、第二航空戦隊(空母:飛龍、蒼龍)と合流し、戦艦2隻、空母2隻、重巡洋艦3隻、駆逐艦10隻、タンカー「国洋丸」、「帝王丸」が揃う。
本艦は南方部隊母艦航空部隊に編入され、旗艦「蒼龍」「飛龍」、第七駆逐隊、第ニ七駆逐隊、「国洋丸」と共に21日、パラオを出港した。
2月10日、第二航空戦隊と共に南雲機動部隊に編入され、ポードダーウィン空襲を支援する。
26日、セレベス島スターリング湾で南雲機動部隊から南方部隊本隊に復帰し、引き続き南方作戦に従事した。
3月1日午後2時、1500t級石炭船「シグリー号」を拿捕した。
2日18時50分、二十三航戦から「軽巡1隻、駆逐艦2隻発見」の報告を受けて北上し、英軍駆逐艦「ストロングホールド」を発見した。第四駆逐隊と共に砲撃を行い、これを撃沈している。だが主砲635発を消費し、主砲の爆風で3機の艦載機は全て破壊された。
4日、武装商船と豪州護衛艦「ヤラ」を撃沈する。この戦闘を最後に「摩耶」を含めた第四戦隊は日本に戻った。
4月18日のドーリットル隊のB-25ミッチェル爆撃機によるドーリットル日本本土空襲を、本艦は三河湾西浦沖で迎えた。直ちに出撃し、深夜、観音崎沖で「愛宕」、「高雄」と合流する。米機動部隊追撃に参加したが、ウィリアム・ハルゼー提督指揮する米機動部隊は既に避退した後だった。
5月1日深夜、水上機母艦「瑞穂」が米潜水艦「ドラム」の雷撃を受けて航行不能となる。「摩耶」は「高雄」と共に現場に急行し、沈没する「瑞穂」から乗組員を救助した。
5月20日、北方部隊第二機動部隊警戒部隊に編入となり、5月26日大湊を出港、ミッドウェー海戦と並行して行われたアリューシャン列島侵攻作戦に参加した。この戦いで北方部隊はアッツ島とキスカ島を占領している。
8月7日、米軍はウォッチタワー作戦を発動し、ガダルカナル島とツラギ島を急襲して占領した。
11日、「摩耶」は呉を出港してトラック島泊地へ進出、ガダルカナル島の戦いに加わった。
24日、第二次ソロモン海戦に前進部隊として参加、米軍艦載機20機の空襲を受けるが、損害はなかった。
9月9日、索敵のため第三戦隊・戦艦「金剛」「榛名」と共にトラック島を出撃し、22日、ガダルカナル北東200浬の地点でB-17爆撃機8機に空襲される。
10月15日、第五戦隊の重巡洋艦「妙高」、第二水雷戦隊と共にガダルカナル島ヘンダーソン基地艦砲射撃作戦に参加し、砲撃を成功させた。
26日、南太平洋海戦に参加。近藤信竹中将の前衛艦隊に所属して敗走する米機動部隊を追撃し、大破した米空母「ホーネット」を捕捉、同艦の撃沈に貢献した。
11月、外南洋部隊支援隊に編入され、5日、ショートランド基地に進出する。だが連日B-17の爆撃を受けた。
12日、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃に向かった戦艦「比叡」と「霧島」以下挺身艦隊が米巡洋艦部隊と遭遇し、第三次ソロモン海戦が勃発する。
13日、「比叡」は沈没し、飛行場砲撃も失敗した。これを受けて西村祥治少将は、巡洋艦「鈴谷」「摩耶」「天龍」を率いて飛行場砲撃に出撃する。23時、ヘンダーソン飛行場の砲撃に成功するも、米軍の被害は限定的だった。
14日、米軍の空襲を受ける。重巡洋艦「衣笠」が沈没し、「鳥海」と「五十鈴」も被弾する。午前11時頃、F4Fワイルドキャットが左舷高角砲甲板に体当たりし、火災が発生した。魚雷16本を投棄し、沈没を免れるも、38名戦死、47名が負傷している。
米軍の記録によれば、空母「エンタープライズ」から発進したSBDドーントレス急降下爆撃機2機(フーガーヴァーフ少尉機、ハローラン少尉機)は、この時「摩耶」を含めた日本艦隊全貌を見ていた。炎上した「衣笠」の周囲に2隻の駆逐艦がおり、軽巡洋艦1隻と駆逐艦1隻が「衣笠」の15km西、重巡洋艦1隻と駆逐艦1隻が「衣笠」の20km南西を西に向かっていた。フーガーヴァーフは重巡洋艦を爆撃したが至近弾となった。ハローラン少尉機は行方不明となり、フーガーヴァーフは1隻の巡洋艦から激しい煙が上がるのを目撃した。
12月8日、傷ついた「摩耶」はトラック泊地に帰港した。戦艦「大和」の傍では、一万トン級重巡洋艦の「摩耶」とは親子ほどの違いがあったという。
「摩耶」は北方部隊に編入されたのち、2月26日幌筵に入港する。
3月27日、「摩耶」は重巡洋艦「那智」に乗る細萱戊子郎中将指揮の元、軽巡洋艦「多摩」、「阿武隈」、駆逐艦4隻(第ニ一駆逐隊、第六駆逐隊)と共にアッツ島沖海戦に参加した。「摩耶」は接近する米巡洋艦と遠ざかる米巡洋艦を取り違えた上に、高角砲のためのデータを主砲砲術長に送り、さらに残弾があったにも関わらず全弾撃ち尽くしたと勘違いするという失態を犯した。主砲弾904発、魚雷8本を消耗したが、米艦隊の追撃に失敗した。
8月に横須賀に帰港し、9月15日、南方戦線に向かった。
1943年11月、「摩耶」はブーゲンビル島上陸作戦を支援するため、栗田健男中将が指揮する第二艦隊・重巡洋艦「愛宕」、「高雄」、「鳥海」、「鈴谷」、「最上」、「筑摩」、軽巡洋艦「能代」、駆逐艦4隻からなる艦隊と共にラバウルに入港した。
5日、第38任務部隊の米空母「サラトガ」、「プリンストン」によるラバウル空襲に遭遇する。9時30分、カタパルト付近に被弾し、左舷機関室が損傷。機関部員が艦上部に脱出するなど、一時は艦放棄の可能性もあったが、辛うじて免れることができた。だが戦死70名、負傷者60名を出し、連日のように空襲を受けながら11日までラバウル港で修理を行う。烹炊所が爆撃で破壊されたため、主計科は後甲板に行軍釜を据え付けて乗組員に食事を提供している。
11月14日、「長鯨」、「能代」、「五月雨」、「早波」、「長波」と共にトラックに帰港する。
12月初旬に横須賀に帰投した。その後、修理と共に三番砲塔を撤去して四〇口径八九式十二糎七高角砲2基を増設するなど、対空兵装強化の改装を受けた。
1944年(昭和19年)5月1日、戦艦「大和」と共にリンガ泊地に進出。14日、タウイタウイ泊地へ前進。6月、マリアナ沖海戦に、栗田中将指揮する第二艦隊(前衛部隊)に所属して参加する。
20日17時30分、右舷至近弾により魚雷が炎、16名が戦死し、40名が負傷した。「摩耶」は横須賀に戻り、防火対策と対空装備の強化が行われた。
7月16日出港、16日リンガ泊地に到着した。
1944年(昭和19年)10月、「摩耶」はレイテ沖海戦に参加する。第一遊撃部隊(栗田艦隊)の一艦として22日午前8時、ブルネイを出港した。
23日午前6時57分、捷一号作戦にパラワン水道にて米ガトー級潜水艦「デイス」 (USS Dace, SS-247) の攻撃を受ける。「デイス」は「摩耶」を戦艦だと誤認していた。この雷撃により、左舷に魚雷4本が命中(艦首錨鎖倉庫、一番砲塔、七番缶室、後部機械室附近)。左舷に大傾斜、艦首から海没をはじめ、7時5分に沈没した。
艦長以下336名が戦死。この中には、東郷平八郎元帥の孫、東郷良一少尉も含まれていた。
副長以下769名(士官47名、下士官兵722名)が駆逐艦「秋霜」に救助され、15時45分に大和型戦艦「武蔵」に移乗した。
翌10月24日、栗田艦隊は米機動部隊艦載機に襲撃され、戦艦「武蔵」は集中攻撃を受けて航行不能となった。「摩耶」生存者は自発的に対空射撃に参加し、また「武蔵」艦橋への命中弾で作戦室にいた摩耶士官多数が死傷するなど、副長と軍医長を含む117名が戦死した。
午後6時30分、「武蔵」に横付けした駆逐艦「島風」に607名が移乗したが、「武蔵」の応急修理作業に従事すべく士官4名、下士官兵41名が沈み行く巨艦に残留した。「島風」でも本艦乗組員は水上・対空戦闘に参加し、5名が戦死。10月26日午後10時、ようやくコロン湾に到着した。最終的な戦死者は470名だった。
Wikiより抜粋
同型艦:
- 高雄(たかお)1932年竣工(横須賀海軍工廠)京都高雄山に因む 残存 戦後英軍により海没処分
- 愛宕(あたご)1932年竣工(呉海軍工廠)京都愛宕山に因む 1944年レイテ沖海戦にて戦没
- 鳥海(ちょうかい)1932年竣工(三菱造船長崎) 秋田山形の鳥海山に因む 1944年マリアナ沖海戦で大破海没処分
使用部品
- ピットロード製 キット 限定発売版 (装備品セット付+エッチング付+ヤマシタホビー製パーツ付)
- アドラーズネスト製 キノコ通風筒A 1300x900
- フラグシップ製 超極細チェーン
- フライホーク社製 舷外電路セット (ごく一部)
- ライオンロア製 舷外電路セット (こちらがほぼ使用分)
- ライオンロア製 盲蓋
- ファインモールド製 パイプ手摺
- レインボーモデル製 火器コントロールセット
- 伸ばしランナー
- 海魂製 缶室空気取入れ口
- レインボーモデル製 ファンネルキャップ
- 海魂製12.7cm高角砲から高角砲用エッチングパーツのみ使用
- ライオンロア製 穴あき三角桁
- 海魂製 ジャッキステー
- KAモデル製電探セット
- 真鍮線0.3mm
- レインボーモデル ブリッジアクセサリセット
- 海魂製 横桁&プロペラガードセット
- レインボーモデル製 防弾板
- レインボーモデル製 110°すべり止め甲板
- ファインモールド製 110°すべり止め甲板
- 海魂製 レジン土嚢
- ライオンロア製 飛行甲板ターンテーブル軌条セット
- 真鍮線0.5mm
- レインボーモデル製 フックエッチング
- フライホーク製 穴あき桁
- 0.5mm幅プラストライプ
- フライホーク社製 手摺セット
- 0.06mmニッケル金鍍金線
- KAモデル製ラッタル狭
- ファインモールド製 単装機銃 エッチング盾付
- ライオンロア製 救命浮標+収納ケージ 他艦余剰分
製作工程 1944
2011/8/10
- 船体~兵装など
実は船体、兵装(高角砲)、艦橋、ファンネルまでは素組の状態ですが、讃岐丸完成後に少しだけ手をかけていたため組み上がっている状態です。久しぶりに箱を開けて取り出して、並べて写真を取ってみたりします。主砲塔はヤマシタホビー製のこの限定モデル同梱製品です。ピットロード製も十分ハイディテールですが、こちらはエッチングなしで側面の放熱板まで再現されて、砲身も細身で非常に美しい感じに仕上がっています。船体は事前に春先に素組だけしていたのですが、今回加工で、舷窓の0.4mmピンバイスでの開口、1.1mmピンバイスでのアンカーホール開口(甲板上、舷側とも)、チェーン交換の為、不要なモールド削除とキャプスタン再現のため、キノコ通風筒を用意します。チェーンは1工に忘れたので明日です(o_ _)o
船体のセルター部分と改装後の後部飛行甲板の船体取付です。これは隙間が結構できるのでパテで修正をしっかり図ります。飛行甲板の奥まった部分の壁面の接合部はヒケの発生する溶きパテ系で処理、舷側の部分はヒケの発生しないポリパテで埋めてから表面処理してやります。
2011/8/13~15のお盆期間
- 船体など
舷外電路を船体周囲に這わせます。この舷外電路の作業は私の場合、取っつきは難しですが、始めると素直に這っていってくれるのと、図面通りにサーキットを躱していく楽しさがあります。
人それぞれでしょうが、私の場合は必ずと言って良いほど、船首の躱しから入ります。
先日1工に忘れてて取り付けてなかったチェーンをキャプスタンに巻き付けます。
艦橋は窓枠設置、水密ドア、ジャッキステー、火器制御器類、手摺、ラッタル、缶室吸気口メッシュをエッチングで作成します。窓枠の隙間を溶きパテで修正、両サイドの火器制御系で摩耶にはない部分を切除して、穴をパテ修正します。
ファンネル廻りの機銃座、探照橙座のブルワークは切除して、手摺交換の準備をしておきます。
船体のサイドの舷窓を盲蓋を用いて塞いでやります。この位置は各種資料を調べまくったのですが、決定的な物は出てこなかったため、また、キットの位置と、写真の位置、資料の位置が一部異なるなどもあり、複数の資料を参照しての推測的シールとなります。
資料が合致してる部分は必ず塞いでやります。
艦橋は並行作業で進めています。写真6枚目が、エッチング追加加工中の図です。
双眼鏡類は伸ばしランナーかエッチングを使用して再現します。
2011/9/6
- ファンネル
ファンネル加工です。ここまでの(盆から9/5)間に、ファンネル頂部開口>プラストライプを組み込んで整流版の再現、ファンネルキャップの取付を行ってあります。両サイドの缶室空気取入れ口のモールドを削いで、メッシュを張っております。海魂製の缶室メッシュを準備したのですが、合致するものがないため、汎用の0.2mmメッシュを張っておきます。後ほど枠組みを伸ばしランナーで再現します。
捨て蒸気管パイプも削り取っておきます。
捨て蒸気管は今回0.5mm(0.6かな?w)管を使用して作成しました。リングが0.6mmで、通した時ぴったりだったんですが、屈曲部も通過したので0.5mmかなって判断です。
リングは屈曲部にそれぞれ1個計3個配置してファンネルに固定します。
ファンネル周囲の機銃甲板支えの穴あき三角桁をエッチングに交換します。形状は基部に近い部分が尖っていたのですが、いつもの一般的なものへの交換です。
前檣はピットロード純正エッチングですが、ファインモールドのイメージがあって硬いだろう覚悟をしてたのですが、こんなだったっけ?てほどすごい加工がしやすかったです。真鍮よりコシがあり、テンションが掛かった際の曲げへの強度があるので良い感じです。難点があるとすれば更に細かな加工が施してあれば言うこと無しです。
2011/9/8
- 船体中央構造物
ファンネル、艦橋、探照燈座、機銃座を設置して、接合部をパテ修正し、手摺、弾薬箱を配置、ジャッキステーは実際のジャッキステーに近い(代わりにものすごい、すっごい繊細なんですけどw)海魂製のものを使用しました。実際はこれの足の更に半分ほどなんですが、この細さだとカットで歪んでしまうので我慢!細さは繰り返しになりますが,満足行く感じです。
先端部分の硬化が終わったら、ファンネル形状に合せてある程度形を整えてジャッキステー基部に瞬接ゼリー状を点付けして接着します。
今回は大戦後期の状態の艦なので、連装機銃だけが無くなってた開戦時と違い、余りまくってる三連装機銃を存分に使えます!なもんで、ニッチな海魂製個別パーツでは無く、抱き合わせで連装使いまくって余った三連装のファインモールド製です。照星が90°せり上がる加工精度の高さは折り紙付です。ファインモールド製抱き合わせでなく、各種別売りにしてほしいと思うのは私だけ?
2011/9/9
- 船体中央構造物
中央構造物の追加をぼちぼちと、25mm三連装機関銃追加や、110cm探照燈の追加を行います。探照燈はNE-02 この舷梯キット付属の物です。最初のキット付属の物より大きくディテールアップが図れます。
電探はもとい、前檣はピットロード純正エッチングをベースにトップの電探も同製、基部はキットから切り出し、13号電探はKAモデル製を使用。実はこれ1年以上前に購入したまま使うかと思いつつ使う機会に恵まれたエッチングです。やっと出陣です。
斜軸頂部は避雷針を設置、こちらはレインボーモデル製のものです。
2011/9/11
- 船体中央構造物
前檣を載せて、ぼちぼちといった感じでパイプ手摺を取り付けていきます。円形の探照橙座はフライホーク製手摺を3ブロック分使用して千枚通しの金属軸で丸みを付けました。概ね目標とする径に対して、かなり小さめのものを使用してアール付けをします。今回の千枚通しだと2mm程度の軸径です。
ブルワークはニッパで切り取って面を垂直に均して、0.7mm高の比較的低めのものを使用しました。
土嚢はレジン製なんですが、使える状態に削り出すまでに1時間も掛かってしまいました。これって簡単な方法無いんですかね?しかも形状的にもろいです。
幸い犠牲は1個で済みましたが、慎重に作業した方が良いです。
艦橋前部の機銃座にその土嚢を配置します。最初の1個は1時間掛かりましたが、2個目は20分弱、3個目は10分弱でした。どんだけ1個目びびってんだw
機銃周囲は弾薬箱を配置、土嚢は上までは野暮ったいので、下3個止めです。
まだ中央構造物完成では無いのですが、乾燥も考慮して(るかどうかw)先にリノリウム部分をレッドブラウンで塗装してやります。リノリウム押さえ、様々なエッチングを試したのですが、絶対的にオーバースケールな為、原点回帰!です。表現しないで良いかとも思いましたが(エッチング使うならしない方が綺麗ですし、リアルに近いらしいです。私も同意見ですが、敢えて!w)、0.076mmの金色のニッケルチタニウム合金線で今回のリノリウム押さえは表現チャレンジです。(あとでいつも思うこと・・・「やべw言わなきゃ良かった」 懲りない人ですw)
2011/9/12
- 飛行甲板~後部
飛行甲板はライオンロア製のターンテーブルと軌条のセットを使用して再現します。カタパルトはピットロード製のものを使用します。
レールを引き終わったら、純正付属のカタパルトを作成して設置します。同時に架台、双フロート用、単フロート用台も製作します。
前檣の13号電探前の電探室とその床の設置が抜けていたので、設置します。電探室はキットのものを使用しますが、床は110°パターンを切り出して準備します。
床を設置したら、電探室をその上に配置します。
後檣は0.5mmと0.3mm真鍮線を使用して作成します。台までの支柱部分は強度を確保するために、0.5mm真鍮線をV時に折り込みます。
後檣部品準備でトップマスト部分はピンバイスのチャックに挟んで丁寧に回転させながらゆっくりヤスって先細に加工します。
トップ部分はキットは水平にV字を刻んでいますが、今回は後方斜め上向に取り付けます。
滑車は後檣基部とクレーン基部にレインボーモデルのものを設置します。ワイヤーはトップコート後に行いますので、なんだか妙ですが我慢我慢
飛行甲板側面の穴あき桁をフライホーク製穴あき桁で再現して、4本支柱を0.5mmプラストライプで再現します。
今日最後は、手付けずだった後部ファンネルのジャッキステーです。切り出したものを丁寧につまみながらアール付けを行い、なんども位置合わせして、形が整ったらジャッキステー基部数カ所にゼリ瞬点付けして固定させます。乾いたら、補強で、付けなかった部分のジャッキステー足に針先などでゼリ瞬なすっちゃいます。
2011/9/13
- 艦首~
艦首から仕上げに入っていきます。菊花紋章はキット付属のものを使用しました。静模のものも良い感じなのですが、こちらはそれにシャープさをかけた感じです。
旗竿は、0.3mm真鍮線を11mmでカットして基部を0.4mmピンバイスで開口し、そこに1mmほど埋め込み固定、支柱も同じく0.3mmのものを使用、接合部は柔軟度が高いので破損が少ない黒瞬を使用。
アンカー自体はキットのものでは無くNE-01のアンカーに交換しました。艦首フェアリーダーは大きめのものを前に、後に小さめのものを並べて配置して、基部を溶きパテで修正、艦首はチゼルで薄めに修正してあります。
ボラードは大きいものは0.8mm真鍮線を切断して作成します。カッターで回転させながら徐々に切込んで切断します。この方法だと、切断面がはみ出す感じになり、ボラードチックになります。間違ってもニッパ切断はダメっ!w
コツコツ第2砲塔後ろ、高角砲座までマスキングを済ませたら、待望のヤマシタホビー製砲塔を乗せてみます。この砲身がホントのスケールなんでしょうねぇいいすねー。キャンバス部分も、放熱板も綺麗です。
あと、砲塔上部のハンドレールをジャッキステーで再現します。定番工作で形を整えて砲塔上部で乗せてやります。
中底甲板と後部甲板のマスキングです。
2011/9/14
- 艦首~
後部甲板の凸モールドは通風筒部分のみカットしてマスキングして埋めてしまいます。
第三第四主砲塔は同様にトップにハンギングレール設置して、第三砲頭頂部のみ25mm単装基準を設置、あとリノリウム部分に載らない単装機銃も設置してしまいます。
中央構造物のまだ手摺を設置してない部分に手摺を設置してしまいます。
前側から手摺を設置していきます。今回は錨見台付のフライホーク社製手摺です。セルター(飛行甲板)部分に支柱を立てていたのですが、邪魔なので撤去して、明日又、塗装前に支柱を立てます。
2011/9/15
- 艦首~
プライマーサーフェーサーを吹きます。
その後、喫水線部分に艦底色を塗装、その部分を0.4mmマスキングテープでマスキングを行い、軍艦色を吹きます。
後部リノリウム甲板部分に切り取ったモールドの通風筒大小を設置します。
明日はカッター内火艇、艦載機、リノリウム押さえを行い、到達するなら張り線まで行きます。
2011/9/16
- カッター内火艇艦載機
キット付属のNE-02カッター、内火艇を塗装準備します。
まずタンを吹いて、内火ランチの床部分を自己製マスクを張ります。(イラストレーターデザイン>カッティングマシン切り出し)
イラストレーターは私の仕事がデザイナーでもあるので慣れ親しんだ強み?かな?ベジェ曲線の扱いは大好きです。
余談ですが加賀の甲板用マスキングもやらせて頂きましたw
軍艦色を塗装、平行して、内火艇の幌部分をマットホワイトで塗装しておきます。(セールカラー系でも良いですね)
内火ランチ、内火艇を組み立てて旗竿、手摺、救命浮標を設置、カッターはつり下げ再現なのでT字にチェーンを再現します。
12m内火ランチと11m内火艇は重ねて 固定用ロープを再現しておきます。
艦載艇を所定の位置に設置します。カッターはラジアルを内に振って架台に下ろす前の状態の再現になっているので、揺れ防止用のグライプバンド(X字のバンド)は外した状態です。
小物類や舷灯も取り付けます。
9基ある単装機銃の内、未設置分の6基を用意します。今回は土嚢もこしらえて再現してみます。これ遠目で入れ歯のミニチュアに見えますw
艦載機は三座水偵と水観です。
2011/9/17
- 最終仕上げ
艦載機の上面塗装がを暗緑色で行います。
乾燥中に、今日もコツコツと土嚢の削りだし、1個10分くらい掛かりますが、んー、地味に楽しいかも
土嚢は削り出しが終了したら、後部甲板に配置して、昨日塗装しておいた単装機銃を配置して行きます。
土嚢は配置前に予めバフで塗装して、錆び色を(錆の再現では無く陰影付けに用います)墨入れします。
艦載機は下面を明灰白色を吹いたら、エッチングの支柱を取り付けて上翅、フロートを取り付けます。
フロート下面はここでエア吹きしてやります。
軟化剤を塗布し、デカールを貼付して艦載機の完成です。あ、味方識別帯がまだでした。(;´∀`)
味方識別帯、機体のモールドの指示通りだと水観の方は少々面積が大きいような、でも、あってるような。まぁ艦載します。
艦載機を搭載したら、アルミハゲを表現して、艦隊をウォッシングして錆を再現、そして、 最後のリノリウム押さえを敷き詰めていきます。
多分想定される時間は2桁の時間数が必要とされると思いますので、今日の製作記はここまでとします。
明日は最後の張り線(終わってなかったらリノリウム敷きも)を行います。
2011/9/18
- 完成
コツコツ作業ですが、1本1本リノリウム押さえを敷いていきます。
粗い計算ですが、重巡洋艦クラスですと全部で150本前後になります。
使用金属線は0.06mmニッケル金鍍金線です。それをデバイダーで長さを計測して、デザインナイフでカットし、先端にゼリ瞬を点付けして位置に沿わせて、硬化したら残りの部分を通常のスチロール樹脂用流し込み接着材を流し込んで固定します。
よく、金属は接着できないんではっていわれますが、スチロール樹脂系接着剤は地を熔解させる効果があるので、全然強度的には問題ありません。以前、テストでコンプレッサーから強めのエアーを吹いてテストしましたが、この方法で固定したリノリウム押さえは、飛ばずに、主砲の砲身が吹っ飛びましたw(この艦でテストしてませんのでご安心下さい(;´∀`))
しばらくは、市販のエッチングのリノリウム押さえ使用しましたが、やはり、太過ぎで原点回帰ですね。
前部甲板が完成しましたので、後部甲板へ作業を移します。
後部甲板は比較的障害物が無いため面積は大きいですが作業的には楽です。
最後のチェックで追加決定したものや、漏れ、などの小物類を用意して、それぞれ所定の位置に配置します。
最後に張り線を行って完成です。最後の写真はその進捗半分ほど進んだ時の写真です。
最後にドライブラシを行って撮影へと進みます。
2011/9/19追加
撮影中に後部甲板に救命浮標と収納ケージを設置しました。
完成写真
HULL SCAPE
ZOOM UP
WATERLINE VIEW
- 撮影環境
- ミニクリプトン球(電球色)4燈直射による自作撮影ブース
- 撮影に使用したカメラなどの機材
- Nikon D90, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
- 撮影時のカメラの設定値
- F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7
製品所在
単艦製作 この艦は保存場所の問題などから2艦同時作成は行っておりません。(中途まで2艦作成でしたが、建造中止と致しました。)
艦番1:東京都在住のコレクター様所有
あとがき
摩耶、良い名前ですよね。高雄型を建造する時は絶対にこれからって決めてました。摩耶という名前には長いつきあいがあり、墨国の大学在学中、考古学の調査の金魚の○○で、パレンケ、チチェンイツァなど数多くのマヤ遺跡に行ってた時以来です。イメージ的には綺麗とか、カワイイ女の子のイメージもありますよね?小林麻耶、伊吹マヤ...
いやいや、よく阪神高速通過中に摩耶の看板見てたからかも?
とにかく高雄さんより摩耶ちゃんな訳です。
実は着手した重巡洋艦は那智が最初なんですが、この摩耶が少年~高校期を除いて、私が完成させた最初の重巡洋艦なのです。シアワセです。