概観諸元

分類:航空母艦 クラス:改装空母
起工:1920(大正9)年起工 竣工:1928(昭和3)年竣工
型式:加賀型 艦番:1番艦 (戦艦として2番艦の土佐は未成のまま標的艦となる)
艦名:加賀 初代加賀
諸元:基準排水量:26,900トン 公試排水量:-トン
全長:238.5m 全幅:29.6m

概要

加賀(かが)は、旧日本海軍の航空母艦。加賀型未完成戦艦を改装した大型空母であり、大東亜戦争前半においては日本海軍の主力として活躍したが、1942年、ミッドウェー海戦にて沈没した。
艦名は石川県の旧令制国名加賀国にちなんで命名された。空母であるにもかかわらず艦名が旧令制国名より命名されているのは、後述の艦種変更に起因する。
日本海軍が計画した八八艦隊三番艦、四番艦として加賀型戦艦の二隻が起工された。その三番艦が本艦、四番艦が「土佐」である。「加賀」の起工は1920年7月19日。
先に建造された長門型戦艦を上回る性能に設計され、工事が進んでいたが、ワシントン海軍軍縮条約に従い1921年2月5日に建造中止の通達があり、やがて廃棄処分の決定がなされた。「加賀」は解体され、条約によって巡洋戦艦から航空母艦に改造される予定だった天城型巡洋戦艦「天城」と「赤城」の材料となる運命にあった。 ところが1923年(大正12年)9月に発生した関東地震(関東大震災)で「天城」は損傷を受けて破棄されるに及び、代艦として本艦が改造されることとなった。計画では、全長715呎、最大幅110呎、基準喫水幅101呎3寸、喫水21呎9寸、排水量26,950頓、20cm砲10門、12cm砲6門、12cm高角砲12門、搭載機36、満載状態27.6ノットという規模の空母となる予定だった。なお、加賀型戦艦の2番艦として建造途中にあった「土佐」は建造中止の後、射撃訓練の標的となり沈没した。
ワシントン海軍軍縮条約による主力艦の制限下、補助的艦種としての航空母艦の運用が研究し始められた。そんな中で行なわれた改造ではあるが、当時日本海軍には空母の建造経験は小型空母の「鳳翔」しかなく、戦艦からの改装も日本海軍初であり、新造時備えていた三層の甲板や対水上艦用の20cm砲等が航空艤装の妨げになり後に改装・撤去されるなど模索の中で進められることとなった。
竣工時 艦形の決定の際、同じく他艦種から改造されたイギリス海軍の二段式航空母艦「フューリアス」の影響を受けてか、「赤城」共々、三層の飛行甲板を持つ三段式空母案が採用された。上段を離発着用、中段を小型機の発艦用、下段を大型機の発艦用とし、航空機の機種・用途に合わせ、甲板を使い分けることが考えられたのである。 しかし航空機の草創期に設計されたため、運用の実際や航空機の大型化を予測しきれず数々の問題が浮上することとなった。問題となったのは発着用飛行甲板の短さであり、特に中段の甲板で顕著に表れ、ここから艦載機が運用上で発艦することはできなかった。飛行甲板と船体に挟まれた艦橋からは搭載機の発艦・着艦統制が難しく、1932年(昭和7年)には甲板のエレベーター右舷に塔型補助艦橋と、飛行科指揮所を設けている。 また煙突の配置も問題となった。当時保有していた空母は「鳳翔」しかなく舷側に煙突を立てたままだと航空機の着艦操作に大きな影響を与えることは実証されている。霞ヶ浦の技術研究所で模型を作ってさまざまな空洞実験を行ったがどうしても解決策を見出すことができなかった。そこで当時参考資料として検討されたのが英空母「アーガス」である。これは煙路を両舷に沿って艦尾まで導き排煙するという方式をとっていた。当時の造船技術者達は「赤城」の方式と実用性の上で比較するためにこの艦尾排煙方式を強く主張し、「加賀」の煙突は「赤城」とは別個のものとして作られることになった。しかし実際には様々な問題が出てきた。ボイラーからの排煙が航空機の邪魔にならないようにと煙路を艦尾まで導いて排煙していたが、長大な煙路の重量、艦内容積の減少。さらには煙路に隣接する区画の室内温度は40℃にも達したといい高温により居住に耐えられないという大きな問題であった。また艦尾から排出される煤煙が気流を乱して航空機の着艦を阻害することにもなった。この問題は「赤城」と同様の煙突方式を取ることで解決を試みようとされたが、折からの軍縮予算で実現されなかった。 なお、この時期の航空機搭載機数は60機である。
20cm砲10門を装備。これは近接する水雷部隊からの防御のためであり、艦隊決戦では重巡洋艦並の火力である。そのうち、連装砲二基四門は竣工後に中段の露天甲板に配置された。
同様に艦種変更を経た「赤城」が32.5kt を発揮したのに対して速力は実速26.7kt(公称27.5kt) 止まりであった。「赤城」が巡洋戦艦として設計されたのに対し、加賀が戦艦として設計されたためである。十二基の重油専燃罐と四基のタービンによる出力は9万1000馬力であった。戦艦は重防御で被弾面積の縮小のため船体を短く設計するが、その反面、重量と推進抵抗が大きくなり、高速力を発揮しにくくなる。また飛行甲板も短くなるので空母への改造は巡洋戦艦の天城級の方が適正だったのは否めなかった。なお、計画段階での戦艦としての能力は加賀型戦艦の項を参照。
改装案として最初にアメリカ海軍のレキシントン級航空母艦のような大型の艦橋を持つものが検討されたが、航空機の発着や友鶴事件を経て重心の低下と風圧側面積の減少に配慮し、格納庫、飛行甲板、艦橋が縮小され、直立煙突の採用は見送られた。 加賀には数々の不具合があったため「赤城」より一足先、1934年(昭和9年)6月より改装工事が着手され、1935年(昭和10年)12月に工事が完了した。改装工事の工数は多く、日本海軍艦艇中、一、二を争うほどの大掛かりなものであった。 問題の多かった排煙方式は「赤城」と同じ弯曲煙突式とし、位置を機関上部右舷に修正した。これによる重量軽減は100トンにも及び、乗員も煙路の高熱から解放されるとともに艦尾から排出される排煙が気流を乱し、航空機の着陸を妨げるという欠陥も解消した。 また三段式飛行甲板の中下段は廃止され、最上段のみの全通式の一段甲板とした。最上段の飛行甲板は船体長を上回る長さになり、離着陸の滑走距離が大幅に延長された。この際、若干艦尾方向が高くなっていた傾斜飛行甲板はフラットなものに手直しされた。また中下段の飛行甲板の廃止により航空機の格納スペースも増加し、搭載機数も常用72機、補用18機の合計90機と大幅に増加している。改装後の加賀は以後に完成した日本の空母を含めても最大の格納庫面積があり、実際に運用した最大搭載機数は103機(ただし、九六式艦上戦闘機などを使用したもの)とのことである。燃料搭載量も8,200トンに増加し、航続距離が新造時の14ノットで8,000海里から16ノットで10,000海里に延びた。速力についても、機関出力の増大と艦尾延長により、それまでの実速度26.7ノット(公称27.5ノット)から28.3ノットまで向上した。 これらの改装により加賀は空母として一つの完成形に達した。ただし改善されたとはいえ速力28.3ノットは大東亜戦争開戦時の日本正規空母の中では最も低速であり、他の空母と行動をともにする際に障害になったと言われる。だが加賀は航続力や積載力が大きく、作戦立案がしやすい長所があり、たとえば遠距離外洋航行のハワイ作戦では優先的に作戦参加が決められた。ハワイ作戦の事前調査では「加賀」は燃料搭載に余裕があり、公称値以上に航続力があると判定された。このため「加賀」と新型の「翔鶴」「瑞鶴」の3空母による作戦実施も当初は検討されていた。この案には二航戦の山口多聞が反対して「赤城」、「蒼龍」、「飛龍」も作戦に加わったが、これらの空母は艦内に燃料用ドラム缶を多数積載しての作戦参加であった。対空兵器も増強され、連装12cm高角砲を連装12.7cm高角砲に換装、数も6基から8基に増備し、反対舷方向にも射撃が可能なように高い位置に取り付けられるなど、航空艤装、攻撃力、防御力の面で僚艦の「赤城」を凌駕していた。 さらには船体が安定しており揺れが少ないこと、艦橋部分の飛行甲板幅も29.5mあるなど広大な飛行甲板を持つこと、その飛行甲板自体も海面より高い位置にあるため(21.7m)各種の作業が波の影響を受けにくいこと、艦橋が右舷前方にあるため着艦時の圧迫感もなく、気流の乱れが少ないことなどの利点があり、使いやすい空母として好評だったと伝えられる。空母「飛龍」(飛行甲板217m、幅27m)から転勤した山川(九九艦爆)は、最初の着艦で「加賀」の飛行甲板の広さに驚いている[8]。これらの特徴に加えて中国戦線を経験したパイロットを多数擁することもあって「加賀」は日本機動部隊の最有力空母としての位置づけにあった。 しかし、問題点もいくつか残されていた。中段飛行甲板に設置された20cm連装砲二基四門は撤去され、代わりに船体後方の舷側にケースメイト式のものが四門追加され、数の上では改装前と同数が維持されたが、この配置は視界、射界ともに狭く、運用実績も不良だった。そもそも航空戦を主体とする空母には不要な装備であり、昭和8年の改装計画に基づくものとはいえ、先見の明を欠いた。アメリカ海軍空母のレキシントン級でも8インチ砲が装備されていたが、艦橋・煙突の前後に背負い式に配置しており、甲板への爆風と重心上昇の問題はあるが、こちらのほうが合理的な配置であった。また、右舷前部に新設された艦橋は重心上昇を考慮してコンパクトなものが設置されたが、最低限の設備しかなく、作戦の指揮を行うには狭すぎるものだった。 「加賀」に限らず、日本空母の共通の欠点としてダメージコントロールへの配慮が足りず、格納庫を閉鎖式にしたことは航空機の塩害からの保護という利点はあるものの、被弾時の被害を増加させ、後の喪失の原因となった。開放式のヨークタウン級航空母艦やエセックス級航空母艦では被弾時にあっても爆風が外に逃げ、また空母搭載の爆弾や航空機などの危険物を海中に投棄することで誘爆や航空機への延焼被害を限定できた。閉鎖式格納庫の危険性については米空母「レキシントン」、日本空母「大鳳」の喪失原因を参照されたい。 これら近代化改装の結果、加賀は後の「信濃」が完成するまで日本の航空母艦の中では最大の排水量であった。加賀の改装工事はかなり徹底したもので、全通一段甲板、右舷前部の小型艦橋、下向き湾曲型煙突、飛行甲板周囲の対空砲火という艦形は後の日本空母の多くに採用された。また水面からの飛行甲板までの高さが21.7mと日本空母のなかでは一番高く、航空機の離着陸には好都合な反面、重心の上昇が心配されるところであったが、両舷にバルジが新設されたこと、予備浮力の大きい幅広な船体、低重心の戦艦からの改造が幸いして運用面で問題がなかった。荒天のハワイ作戦時においても船体の揺れは新型の「翔鶴」よりも少なかったと報告されている(横揺れについて最大「加賀」3度、「飛龍」11度、「翔鶴」20度)。 また、飛行甲板前部に空母用カタパルトの設置のための溝をつくる工事も行われたが、空母用カタパルトそのものが実用化されなかったため、結局未搭載のまま大東亜戦争に突入、カタパルト完成の機会はなかった。日本海軍は終戦まで空母用カタパルトを実用化できなかった。
ミッドウェー海戦には「赤城」「蒼龍」「飛龍」の3空母とともに参戦した。米機動部隊艦載機の奇襲を受け航空機から洩れた燃料が艦の動揺と共に甲板に燃え広がり、手がつけられない状態となる。「加賀」は艦尾から沈没した。 「加賀」は同海戦に参加した艦艇の中でも人的被害が一番多く、岡田艦長以下約800人が犠牲となり、その多くは艦内の火災で脱出不可能となった機関部員だった。生存者の証言も前述のように混乱しており、戦闘詳報にも『本報告は生存者の断片的記憶を整理調製せるものにして、資料不備の為、内容中の必要事項及其の精粗調はざる点あり。照合資料を得次第、訂正を期す』と記載されている。被弾数は沈没した日本軍四空母の中では最も多く、同海戦における加賀搭載機搭乗員の戦死者は、楠美正飛行隊長以下、機上・艦上合わせて21名だった。少なくとも7機の零戦が「加賀」戦闘不能後も空母「飛龍」に着艦して戦闘を継続したが、「飛龍」の沈没と共に全機が失われた[47]。搭乗員は、付近を航行する軽巡洋艦「長良」(南雲忠一中将乗艦)や駆逐艦「萩風」に救助された。 現在、「加賀」乗組員の慰霊碑が長崎県佐世保市の旧海軍墓地東公園にある。

Wikiより抜粋

同型艦:

使用部品

製作工程

2011/5/20

  1. 船体~後部甲板





    製作依頼の長門と秋雲の部材調達の合間を見て第2工廠では航空母艦加賀を製作することになりました。
    キットは先月発売のフジミ製加賀特48です。ハセガワ製のものも手持ちにあり比べてみるとディテール、構造に差があります。どちらもこう比べてみると、製作意欲が共にわいていいですね。
    つつき倒すのか、飾り倒すのかなどなど(;´Д`)
    ランナーは細かいものも含め、また船体も含め27ランナーパーツ構成と、みっちり創りごたえのある内容です。
    まず、船体からですが、舷窓庇、舷窓の彫りは深く手を加えなくてもそれなりに見栄えのするモールドと、船体左右あわせ、梁13本でつながった堅牢な船体は合格、さらに船底はWL特有の段差を防ぐための船底埋め込み型で、まさに言うこと無しの船体です。
    だが、私は丁寧に舷窓を彫ります。習性ですからw




    写真1枚目はその梁を正面から撮影した状態です。作業は後部甲板へ移り、定番工作のチェーン交換、ホースパイプは1mmのピンバイスで斜めに抜いてやりました。でも写真2枚目のように中断甲板取りつけたらほとんど見えないんですよね(。・ω・。)
    本日の作業はここまでで各種艦載艇は塗装準備のため両面テープ上に固定してあります。向こうからタン>軍艦色>白で塗れるよう分けてあります。

2011/5/22

  1. 前部甲板、後部甲板取付、後部柱





    前部甲板です。定番工作でチェーンモールドを削ぎ落とし、1mmピンバイスでホースパイプ開口、絡車の作り直しを行います。その上に2層目甲板を配置して、船体前面の壁面を取付け、船体との絡みのエッチングを除くエッチングを取りつけます。
    この2層甲板を作成した段階で、絡車や折り返し部分のアンカーチェーンが見えません(;´Д`)。全体前面壁面の舷窓は彫りをピンバイスで深めてあります。
    1942年2月のスターリング湾での写真は6本支柱に見えるとのご意見もありますが、その直後のミッドウェー戦(同年5月)での戦闘時の写真では4本に見えますが、攻撃を受けて2本脱落したのでしょうか?フジミもそのあたりを考慮してか、4本支柱前提ですが、お好みで6本支柱にも対応出来る様に作られています。
    手元にある資料の写真でどうしても6本支柱時の写真が見当たらないため、ミッドウェー時を作成予定 (6/26 真珠湾時に決定しました。)ですが、4本支柱として作成します
    完成までにどなたか6本支柱の決定的な写真がございましたらご一報頂けますと非常に助かります。  真珠湾時のため4本支柱となります。
    この支柱の論議は様々ですが加賀の考証として私の出した結論は 考証 を参照下さい。

2011/5/23

  1. 船体





    船体のエッチングパーツ取付準備です。船体のエッチングを使用する柱の部分をそぎ取っていきます。丁寧に注意深く、削いだ面はフラットにヤスリます。 次いで気晴らしに(なってないですがw)後部甲板支柱の製作です。穴の開いてる柱は、前後方向に両方から少しづつピンバイス(0.5mm)で開口していき、貫通させます。彫りカスが結構出るので後処理も忘れずに行いました。もう一組の柱は、床面下の三角桁を穴あき三角桁に交換します。

2011/5/24

  1. 艦首艦尾





    艦尾は特にエッチングとの合いの問題も無く素直な感じです。問題は艦首側で、指定の手摺を張り出した梁の背後にまともに取りつけられません。写真は前2つでカット、次は両端カットと下の接着しろ部分を梁に干渉しない程度にカット、最後は艦首側は支柱を残し、艦尾側を同様にカットして自然に見えるように加工してあります。それ以外は特に問題なく取りつけられました。梁の4本目と舷外通路以降は左舷作成時に取りつけますのでここでは取りつけてません。

2011/5/25

  1. 右舷





    右舷の作業です。後部から砲身交換を行います。比叡同様海魂のものに交換しました。徐々に艦首側へ作業を移します。ファンネルとその支柱のトラス構造です。艦首側の舷外通路を取りつけたところで今日の作業は終了です。

2011/5/26

  1. 船体内部構造物





    今日は艦尾側の船体上部のクレーンです。横桁とクレーンフック(非常に小さく見えにくいですが左右に1基づつ外側近くに設置してあります)を取りつけます。
    支柱類は取付角度、位置に注意しないと不細工になってしまいますので注意が必要です。
    レベルがわかりにくい場合は甲板などあてて見るとガイドになります。

2011/5/28

  1. 後部甲板





    後部甲板内の塗装を済ませてしまいます。あとで設置が困難なため、内部に内火ランチと内火艇を乗せてしまいます。そのため、先にこの部分の塗装を済ませて、ランチ、内火艇も塗装を済ませておきます。
    あとで一気に全体を軍艦色で吹くため、ランチと内火艇の上にマスキングをしておきます。(塗料が掛からない程度で施しておきます。)

2011/5/29

  1. 後部甲板から右舷続き





    1枚目は昨日の続き作業の経過写真です。
    後部甲板が一通り終わったら、右舷の続きを組み立てていきます。しかし、フジミ純正エッチングの説明書間違いだらけなんですけど(;´Д`)あーんど番号振ってないやつもいっぱい!
    そのあたりは自己判断で何とか乗り切りましたが、シールド付連装高角砲下の手摺がどれなのかサッパリ分からないため、そこだけ取付を保留してます。
    あまったのがそれにあたるからそれ待ちで(;´Д`)

2011/5/30

  1.  





    右舷の8割方完成です。(飛行甲板下の一部を除く)シールド付連装高角砲身は金属砲身に交換のため、穴だけ開けてあります。(手持ちが切れたので手配中です)シールドなしも同じく取付はまだ行って無い状態です。
    飛行甲板作業に次は入っていくんですが、排水溝の再現いままではオーバースケールだったので躊躇していたんですが、海魂製のものがけっこう良い感じで悩み中です。

2011/6/1

  1. 甲板(かんぱん)





    飛行甲板の製作です。なんかすっきりした甲板の印象がありますが、実際の甲板の写真は鋼板の継ぎ目みたいなものが見て取れます。エッチングのエレベーター甲板(かんぱん)に係留孔がありますのでその間隔を基準にしたいと思います。
    係留孔ピッチは4.25mm間隔になっています。
    ざっと鉛筆で線を引きます。鉛筆の芯の太さで若干間隔がいびつになってますが、実際にデザインナイフで位置のあたりを決めていく時に絶妙の間隔センスがあれば問題ありません。(自画自賛?w)
    これが開け終わったら、その係留孔の間隔の中心線でケガいて甲板の境目を表現します。幅はそれでいいのですが、長さはまた後日として、写真は着艦位置の鋼板なのであとは発艦位置の鋼板(こっちがパターンが斜めの寄せた感じなので鬼門かもw)も同様に加工します。多分ここ数日はこの作業かな?つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚
    ちなみに上記作業が完成してもまだ塗装はしません。なぜなら、今回は前述の通り、樋を表現してみようかと思うので、海魂の飛行甲板樋の入荷を待って取りつけた後の塗装とするためです。

2011/6/8

  1. 甲板(かんぱん)





    ちといまいちパターンがいびつになったので再度作業です。まず穴(係留孔)ありきの作業を改めてまず鋼板ありきで甲板をケガキました。
    前方のケガキパターンは遮風板近くは不確定かもしれませんが、写真で見て取れる範囲では一応正確にケガキました。
    しかし、海魂遅いなー同時にレインボーモデル注文してレインボーはすでに数日前に入ってるのに。まぁ先に左舷に進みますかねー

2011/6/12

  1. 菊花紋章が





    左舷に進む前に組み立て説明書の指示通り右舷の始末と菊花紋章取付です、が!ちとこれはね、ちなみに写真1枚目がその菊花紋章のアップです。左が加賀のキットのもの当然裏ではなく表です。左はWLのW枠のものです。モールドは一切ありません。ちょっとのっぺらちっくなのでここはW枠に交換です。
    定番工作ではありますが、菊花紋章は薄く肉削ぎしますが、このとき、ダイヤモンド棒ヤスリの半月タイプのものに乗せて優しくスライドさせて接着面にアールが出るようにしてやります。ちなみにフジミキットのものはアールが最初からできてます。
    海魂高角砲含め使用予定で注文していたものが入ったので早速高角砲から作成です。この高角砲は自身での戦艦の中で一番出来の良かった "比叡" ではじめて使用した高角砲です。以来高角砲はこの高角砲を使用することが多くなりました。実はこの高角砲の付属のエッチングは微妙にスペアエッチングが付属するので、余りだしたらピットロードなどの製品の高角砲と組み合わせて使用すると実に洗練された(この製品自身を使用するとメカニカル的な表現になります)高角砲の表現が出来るので2度おいしいです(*^ー^)

2011/6/13

  1. 25mm連装機銃





    部品が届いた関係で高角砲同様右舷後部の連装機銃も取りつけてやります。薬莢捨て箱と弾薬箱を配置します。

2011/6/14

  1. 副砲





    20cm砲の砲身も届いたので残りを製作します。軸線は勿論のこと、砲身の仰角に注意します。瞬接で固まってると思いきや秒速0.01mm位でダレてるんですw(計ったんかい(# ゚Д゚))
    てか、副砲じゃないねw
    本来20cm砲なのですが、手持ちの20cm砲身を使用するととなりの砲塔にかなりの部分かぶってしまうので15cm砲身を使用しました。結構メーカーによってサイズばらばらなのですが海魂製砲身は大きめなのでこうしました。ちなみに12.7cm砲身は15cm砲身より長いです(内径は15cmのほうがスケール通り大きいです)
    20cm砲を取り付け終わったら 前部キャットウォークですが、取付用の穴が開いたままだと不細工なので、今回黒い瞬接なるものを買って穴埋めに便利とのことで使用してみました、が・・・硬化するのに最大20分かかるそうです。んで写真の通り白化中!w
    硬化までしばらく待った後、効果確認!でも硬化後のナイフでの加工は瞬接とは思えない(時間的に瞬接ではないが(;´Д`))加工のしやすさでした。個人的には好きです。
    やっと明日は左舷です。

2011/6/15

  1. 左舷





    左舷です。前部から製作していきます。スポンソン上に左舷は12.7cm高角砲がまずは1基(左舷は都合、中央に@3基計4基で全てシールドなしです)製作します。
    昨日埋めた穴をパテ修正して左舷前部舷外通路を取り付けます。途中の張りは峠のように通路を這わして交わします。
    キットパーツとエッチングを組み付けて(あまり今日は進みませんでしたが今日は終了です。(;´Д`)

2011/6/17

  1. 左舷





    左舷です続きです。中央部に掛かります。後述の一部を除き特に問題はありませんが、中央部の張り出した機銃座近辺は部品を取り付ける毎に手摺など取り付けていかないと後からでは困難になる部分が多くありますので注意が必要です。中央前側の機銃の張出し甲板にはライオンロアの弾薬箱を配置してあります。
    船体ほぼ中央の張り出した指揮所?に向かう手摺は純正エッチングは前後とも長すぎのためそれぞれ折り曲げ部分の半身切り落としました。

2011/6/19

  1. 左舷





    左舷です続きです。後半部に掛かります。いろいろと忙しくなり作業が遅れ気味になりつつも一番最後の機銃の張出し甲板部のとりつけまで完了しました。このあとはエッチング兵装追加作業とまた前側から今度は今回取り付けると作業に支障を来す層、支柱類を取り付けていく予定です。そのあと甲板ですが、実は甲板はケガいて放置していますが、木甲板シール(購入して使用予定だった)ではなく今回は小艦艇でよくやってる4層塗り分けによる塗装表現とエッチングは専用ではなくより深い表現を行うため個別パーツのエッチングを使用してみようと思っています。

2011/6/20

  1. 左舷兵装





    左舷に配置する兵装の製作です。右舷の時に一気につくればって話もありますが、それはそれアレなのです。(;´Д`)根気の問題?w
    で、左舷残りは12.7cm高角砲3基、25mm連装機銃4基(2艦分で6基+8基)製作します。すんなり形になってくれると結構楽しいです。ちなみに全て海魂製の高角砲連装機銃を使用しました。
    支柱類にかかれるかなと思ったけど残念、まぁ明日又がんばります。( ゚Д゚)ゞ

2011/6/21

  1. 左舷





    支柱、高角砲銃座、弾薬箱、ボートダビットなど最後の工作を行い左舷完成です。

2011/6/22

  1. 艦橋





    艦橋です。張り線支柱やアンテナなど配置してヘッジホッグ化します。もう素手でさわれません。あぁぁぁ(;´Д`)てことで甲板完成までしばしピンセットで安全地帯に保管しておきます。なにげに1-2時間で終わると思ってた作業が6時間掛かってしまいました。
    艦橋本体部分は貼り合わせは貼り合わせ後パテ補修したまま(私は溶きパテ)にしておきます。数日後に完全に硬化したらカンナがけします。
    少々火器管制系のモールドが貧粗なのでこれを使おうかとおもいますが、手持ちがないので明日購入してきます。
    明日はその取り付け作業が終わったら甲板作業に戻ります。

2011/6/23

  1. 飛行甲板




    戻って飛行甲板です。飛行甲板自体はある程度は前回までに鋼板継ぎ目の表現と係留孔の一部までは済ませていますのでその続きです。
    写真は前部飛行甲板の鋼板継ぎ目に対して4.25mm間隔で線を引き中心線に各鋼板2箇所リベットスタンパーで傷を入れていきます。
    写真のエッチングにも係留孔がモールドされていますが、少々小さすぎですかね?
    リベットスタンパーを打ち終わったら木部の塗り分けに入ります。今回もタン>タン+オレンジ>タン+ウッドブラウン+タン+薄松葉>オレンジ系ウォッシング>ブラウン系墨入れで行こうかと思います。
    先駆けて今後エレベーター甲板を含めプラサフを薄く吹いておいてやります。これを後で行うと木甲板に隣接している部分なので毛細管現象による事故率が下がります。
    あ、鉛筆のガイド線は消しゴムで消しておきましょう(;´Д`)

2011/6/24

  1. 続飛行甲板




    そのプラサフ吹きからスタートです。(なにげに手入れを少々怠ってたエアブラシが鼻詰まりしちゃっててその面倒見てて遅れたので手入れはきちんとしましょう!(;´Д`))
    プラサフは前述ですが厚塗りは控えた方が良いです。(1/700ではモールドを損ねる可能性がある理由から吹かない人もいるくらいです)でもプラサフの "プラ" "Primery" の部分はしっかり行ってやりたいですね。(矛盾かな?微妙な線引きですがw)
    余談ですが2番艦の甲板はピンバイスで開口しましたがピンバイスだと穴が深すぎで不自然な感じですかね?。それに比べリベットスタンパーは良い感じにけがかれてます。(写真は薄く見えちゃってますね)
    ではタンから吹きます。(この順番は人それぞれですので好みで良いと思います。最後がタンの人も結構います。)

2011/6/27

  1. 続飛行甲板




    あれから3日立ちました。まだ塗り分けマスキング1層目の3割も行ってません。まだしばらく(3-4日?)マスキング張りです。
    使用マスキングはフィギュアの定番(らしい)アイズの 0.3mm 0.4mmマスキングです。これでチェックのスカートとか塗るんですかね多分。
    1層目はタンなので心持ち多めにマスキング貼っていってマス。マスキングを貼っていくパターンは何枚目でどうとか関係なくパターン(モールドされてる)通りにはれば特に考えなくても大丈夫です。木目の色にパターンがあってそれが決まってたわけではないですので。むしろばらばらの方が自然な感じになります。

2011/6/28

  1. 続飛行甲板




    1層目が張り終わりましたので、2層目はメリハリを出すために今回はダークイエローを使用してみました。これも1層目と同様規模(多少少なめな感じ)で2層目のマスキングを張り込んでいきます。

2011/6/29

  1. 続飛行甲板




    2層目の張り込み中の図です。朝方少々作業を進めた状態です。いまから第2工廠へ移動のため(ローマ建造中)作業続きは夜になりますが、気合いで2層目クリアしたいですね。(;´Д`)
    ちなみに第2工廠って職場の一つ机を拝借したスペースなんですけどね'`,、('∀`) '`,、
    なんとか午前3時前で2層目のマスキングまでもち込むことが出来ました。3層目の塗装は緑を含んだ色を使用して、ほのかな違和感を持たせます。
    ただ、塗装する元気は残念ながらでなかったので明日に持ち越しです。ただ、この次の色はマスキング少なめなので3層マスキング終了まで漕ぎ着けたいと思います。

2011/6/30

  1. 続飛行甲板




    3層目はタンに薄松葉色を混色してエア吹きします。どちらかというとタンの退色した感じですが、近似色ではありますので、次の層(最終層)はウッドブラウン混色によりメリハリを持たせます。
    塗装は残しましたが予定通り3層目のマスキングが終了しました。
    あとは4層目を吹いて、空母なのでマスキングは剥がさずに、縁をしっかりマスキングして、甲板樋、甲板裏の補強板、遮風柵、サーチライト蓋などの取付を行います。

2011/7/2

  1. 続飛行甲板




    4層目が吹き終わりました。無事甲板塗装終了です。マスキングは剥がさず次の工程に行く予定でしたが、やっぱり不安なので剥がしてマスキングを再度行うことにしました。写真2枚目がマスキングを剥がした状態です。

2011/7/3

  1. 続飛行甲板




    今回より甲板の加工に入っていきます。木甲板シール付属のエッチングの遮風柵はもひとつリアリティーに欠けるので甲板を切り抜いて加工して行きます。遮風柵のみ使用して、他はさなざまなエッチングとプラ素材でスクラッチビルドを行います。
    ここを切り抜くと甲板は極端に強度が低下しますので作業は慎重に行います。

2011/7/4

  1. 事故




    事故が発生しました。"ここを切り抜くと甲板は極端に強度が低下しますので作業は慎重に行います。"と言った端からデザインナイフの勢い余って甲板切断(厳密にはモールド切断)幸い、2番艦甲板ではありますが、ここはきっちり修復して行かないと目立っちゃいます。甲板にランダムマスキング+周囲包囲マスキングでタンのみ吹いてやろうと思います。緑色はラテックスゴムを塗布したての状態です。
    写真2枚目は純正エッチングの遮風板です。折り曲げるだけの省略構造のため、分解します。これが甲板をくりぬいた理由になります。写真3枚目の穴あき桁を適当な長さにカットして遮風板底板にマス目状に組み付けていきます。写真4枚目がその作業途中です。

2011/7/6

  1. 遮風柵




    純正エッチングを分解したのもをベース板にして穴あき桁を格子状に組み付け終わったら、くりぬいた甲板のくりぬいた部分の側面を丁寧にヤスリ、平滑にし、そこに穴あき桁を貼り付けます。
    貼り付けたら格子状に組み付け終わった底板を甲板裏から接着固定します。写真1枚目が固定の終わった状態です。

2011/7/7

  1. 甲板取り付け




    甲板を船体に取り付けます。かなりシビアな位置決めが要求されるのと支柱の始末が極めて難易度が高くすんなりはまってくれませんので、根気よく調整しながら設置することになります。
    取り付けが完了したら起倒式マストを4箇所取り付けます。3箇所は(艦橋近くを除く)水平よりやや高い位置に固定、艦橋部は少しだけ傾けます。(これだけ水平近くまで倒しません)
    甲板取付時にとれたり位置がしっくり来ない支柱類はこの後取り付けます。

2011/7/8

  1. 真珠湾仕様艦橋化作業




    しばらく前に製作しておいた艦橋を真珠湾向けに改変していきます。
    大まかに防弾ロープの配置、マントレットの設置、キャンバスの配置(これだけ塗装後)です。
    写真1枚目が防弾ロープ設置中の写真です。
    マントレットは伸ばしランナーを3mm程度にカットしてまず接着していきます。この際多少凸凹に貼り付けていくとリアルな感じに仕上がります。写真2枚目がマントレット設置中の写真です。

2011/7/14

  1. 真珠湾仕様艦橋化作業




    この数日間AMD新CPUのFM1ソケットのA8-3850組み替えのため2工PCが改装に入っていたため更新が本日まで延びました。本日までの作業は、艦橋マントレット設置>防弾ロープ設置>人名救助網設置>艦載機落下防止ネット設置です。艦載機落下防止ネットは支柱間に太めの円柱を当ててアールを持たしてやります。
    写真はフラットブラウンでウォッシングまで完了させた状態です。
    現在14日深夜1時ですが、PCの起動完了が14日午前0時なので13日までの作業ですが14日にしてあります。夜間作業は2番艦の作業とマスキング準備で作業終了です。
    明日1工出かける前に甲板マスキング入ります。いよいよ佐世保カラー近しですね。

2011/7/15

  1. 再マスキング




    最近お問い合わせの多いラッタルの踏み板の曲げ方です。これはライオンロアや国内メーカーのエッチングでは線状でこのやり方は該当しません。知る限りですが、OEMのKAモデル製やKAモデルオリジナル製品くらいでしょうか?手持ちのエッチング帳を見てもKAだけでしたけど、どうでしょう?
    で、慣れた諸先輩方には訳ない作業なのでしょうが、初めての方には至難の業におもえるこの作業ですが、実は簡単で、手摺部分を先に90°きっちり折っておきます。折りは正確に、あと、折り目の方向を間違えないように注意します。踏み板ぎりぎりに切り込みが見える方を見て手前側に折ります。結果、写真のように手摺側面のモールドが両サイドに見えるようになるはずです。
    折れたらその手摺を下側にして踏み板と手摺の接点が切れてる方の中央ぎりぎりを垂直にゆっくり押します。そうすると見事に踏み板が写真のように素直に曲がってくれます。
    艦橋周りのラッタルの設置が終わったのでマスキング作業の継続です。写真2枚目が艦橋周りの作業中の様子です。特にフラットな状態ですので問題はありませんが、周囲のエッチングがヘッジホッグ化してますので、いちいちではありますが、上下左右確認してマスキングテープを所定の位置へ持って行きます。特に利き手の腕肘あたりが注意です。
    写真は前檣が垂直起立してるので2番艦になります。

2011/7/17

  1. 再マスキング




    マスキング作業が終了したのであとは甲板横の排水溝を要所要所に配置しようと思います
    ここで様々な資料を見るのですが、たとえばファンネル部の拡大写真や艦橋部アップ写真など確認しても、どれをとっても甲板横の排水溝が見当たりません。かわりに一部区間はジャッキステーの様な(正確にはリングが等間隔に配置され、そのリング間をロープが通してあるもの)ものが配置されています。
    今日は諸先輩方の過去の作例や写真資料、空母構造ガイドなどに目を通してみたいと思います。
    排水溝ですが結論です。赤城は飛行甲板前部の一部区間のみ、瑞鶴はほぼ全周、信濃はアイランド構造の艦橋部分区間を除く全周に、そして加賀は排水溝がないことが判明しましたので、排水溝は設置せず、かわりにリングに通したロープ(ワイヤ?)状のものをジャッキステーの細目のもので再現してみます。
    この作業完了後、塗装とします。

2011/7/18

  1. 塗装




    飛行甲板前部から艦橋後部あたりまでジャッキステーを這わせたら、プラサフを吹いてやります。写真2枚目は艦橋の状態です。1cm程の物をここまででかくすると乗ってる埃でさえなんかの艤装品にさえ思えてきます(;´∀`)。
    写真3枚目は船体を吹いた状態です。
    佐世保カラーでエア吹きする際に、問題が発生、いや、問題というか、エアブラシのコンプレッサーが、プチコンキュート、しかも水抜き取り付けると圧が極端に更に下がるため、作業が長期化の様相を呈しております。とりあえず今日は午前3時までで全体の1層吹きも終わらなかったです。1工はラッシュ中なので、2工用のコンプレッサー急遽手配です。届くまであすもがんばってプチコンキュートです!(ノ∀`)タハー

2011/7/19

  1. 塗装




    すごいぞ!プチコンキュート!静かだ!世界一静かだ!
    でも未だに1艦塗装終わりません。しかし、徐々に仕上がっていくのが楽しいので、我慢です。塗装の完成写真アップだけにしようかと思ってましたが、順繰りに写真撮影してアップしていきます。
    写真1枚目が甲板中後部にかけての3層目の塗装を終えた状況ですが、エアの吐出量が極めて少ないため、バルブを開けすぎるとざらつき感が出てしまうし、閉じすぎるとどれだけ重ねてもまだらがうっすら残ってしまう様です。
    写真2枚目が、甲板塗装完了と艦橋部分塗装完了の状態です。これから第2回マスキング撤去です。
    明日1工宛コンプレッサーが届くので急ピッチで船体塗装仕上げに掛かりますが、今日中になんとか甲板マスキング剥がし艦橋乗せまで漕ぎ着けたいとおもいます。
    塗料濃度を少々調整してスムーズさを出してバルブを若干開き気味にしたら思いの外、効率が上がったので、予定より早く甲板が仕上がったので、このまま甲板上の作業に入ります。隠顕式サーチライト蓋、航空機制止索、同制止網、遮風柵、遮風柵牽引索をサフ吹き>佐世保色エア吹き>可能な限り設置を行います。
    サフまで吹き終わりましたので、乾燥待ちで朝作業再開として夜の作業は終了です。

2011/7/20

  1. 塗装




    甲板はフラットブラウンのエナメル塗料を通常の墨入れのように5倍ではなく、もっと薄めに薄めた物を甲板上に平筆で塗りたくっていきます。乾燥してから錆び目がきつく感じるようであれば、エナメルうすめ液を綿棒に含ませて、かるく丁寧に濃度調整に拭き取っていきます。いくら下層がアクリルラッカー系皮膜でも、溶解しなくても、塗装膜剥がれにつながりますので、強く擦ることは避けます。
    これも完成して状態が安定したら、後部甲板から制止索、隠顕式サーチライト蓋を取り付けます。サーチライト蓋は日中甲板作業再現を予定していますので、収納した状態にします。
    中部甲板は制止索、前部甲板は制止網2基、遮風板の直立状態と、その牽引索を再現します。前述ですが、純正エッチングには直立状態の底部と、牽引索は再現されてないので、エッチングを使用します。
    中部甲板、前部甲板はレタッチ、小物塗装もかねて21日作業予定です。

2011/7/22

  1. 甲板加工




    前部は遮風柵を立てて、引き上げ索を配置していきます。その際、一番中央は多分ラインが来る予測からまだ取り付けしないでおきます。写真右近くの2つついたてに見えるのが航空機制止網です。
    甲板後部からデカールを貼っていきます。マークセッターを下地に塗布してスライドマークを乗せたら、素早く位置を微調整して気泡が出来ないよう綿棒などで優しく押す感じで水気を排水します。下地となじんで接着が始まったら、上からマークソフターを塗布して、優しく丁寧に水分を除去して乾燥させます。ラインは欲張らず地味に小刻みに区切って貼っていきます。

2011/7/25

  1. 艦載機




    艦載機の製作です。全部でで3種、九九艦爆(ホーネットに爆弾落とした時の急降下中の絵が印象的ですね)、九七艦攻、零戦です。それぞれ、キャノピー、両輪、プロペラはエッチングを使用するので取り付けません。また、いずれかの数機はエンジンカバー(カウル)を取り外して、エンジンが露出した状態でのメンテ中を再現します。(配置を考えて後日決めようかと思います。)
    写真1枚目はキャノピーにアールを付けている写真です。写真2枚目は製作中と使用部品ですが、後輪、見えますかね?もはや精密ピンセットでも先端がでかすぎてつまむのにさえスキルが必要と感じるほど小さいです。裸眼ではただのゴミですw




    九九艦爆は爆弾、九七艦攻は魚雷を機体下部に保持、九九艦爆は後部銃座があります。ちなみに、九七艦攻はまだ複葉機が主流の時代に誕生した、最先端の引き込み脚採用の斬新な機体でした。九九艦爆は引き込み脚ではないのですが、空戦実用も可能な傑作機です。たしかハインケル(ドイツ機)をベースに開発されたことを記憶しています。この流れを汲む後継機があの鰐口エアインテイクの彗星、だったとおもいます。
    最後が零戦です。この後輪はもはや暴力です!w肉眼ではほぼ見えません(寄る年波か!?)20才くらいの目にはチャント見えるのみえるのかな..

2011/7/26

  1. 艦載機




    3機並べてみましたが九七艦攻大きいなーって実感しますね。その九七艦攻を今日は ”裕式プロトタイプ” としてオアフへ向けての発艦準備作業の再現を用意してみました。
    エンジンシャフトは0.3mm真ちゅう線を1mm程度に切りだして使用しました。エンジンは前後の間にリングをかまして立体感を出してあります。




    エンジン完成、羽は左右切断して折りたたみ翼の切断面エッチングを使用してそれぞれ所定の位置に設置してみて完成です。

2011/7/27

  1. 艦載機




    艦載機は全部で27機用意しましたが、(3艦分の艦載機を用意しました)実際搭載させる予定は 1-2の7組で21機予定です。残りは2番艦の甲板に乗せておこうかと思います。
    本日は九九艦爆を作業状態のものとして1機製作してみます。
    九七艦攻と違い、主翼は翼端のみ折り上がる形となります。ゼロ式二一型は翼端のみ(このスケールならほとんどわからない・・いや加工できないレベルです。)
    昨日のプロトタイプからノウハウをフィードバックさせた量産タイプのエンジンを製作。生産効率が格段に上がりました。
    エンジン後は主輪、後輪、制動板(両翼)、アンテナ支柱、後部機関銃を取り付けて完成です。
    当面は通常形体の量産を行います。ちなみにアンテナ線はこのスケールだと再現は出来ませんので(しても野暮ったくなってしまいます)行いません。

2011/7/28~30

  1. 艦載機




    今日から可能な限り量産体制で向かいます。着手時間が午前1時過ぎなので、あまり進まないかもしれませんが、がんばってキャノピーまでは漕ぎつきます。
    まずキャノピーフレームの切り出し、すでに完成した分を除いて、5機分用意します。
    写真2枚目がキャノピー完成した状態です。ここでは前面風防はまだ折りきっていません、左右を接着して硬化後倒します。キャノピー自体にアールを付けるのは個人的ですが千枚通しの先端近くをきつく押し当てて転がす感じで使用しています。
    写真3枚目がキャノピーだけ乗った状態です。まだ硬化してませんのでキャノピー前面は倒していません。

2011/8/1

  1. 艦載機




    護衛部隊分(零戦部隊)の増槽まで完了した状態でパチリ、零戦は比較的素直にキャノピー形状があってくれるので助かります。機体数が1機少ないのは1工で1機分完成させてそちらにおきっぱなので少ないですが製作は9機です。
    写真2枚目が後輪取り付けを行った後硬化待ち中です。後輪取り付けたらアップサイドダウンかましておかないと、重量でゆがんだり、前後の倒れが発生してしまいます。硬化後は一切起こりません。ちょっとしたことですが、こまめに状況を見て作業します。
    写真3枚目がアンテナまで取り付けた状態です。護衛部隊分はこれで塗装待ちとなります。続いて九七艦攻製作です。
    九七艦攻のカウルを1.1mmピンバイスで開口しておきます。キャノピーは千枚通しの先端を使ってアールを付けておきます。




    写真5枚目は九七艦攻にキャノピーと主輪を取り付けた状態です。こちらは1機完成機(最後部)以外、メンテ中の再現機1機ありますので、作業中7機の計9機になります。
    魚雷、後輪、アンテナ支柱でこちらは完成です。

2011/8/2

  1. 艦載機




    艦攻は零式と同様増槽か魚雷かの違いのみで艦爆の様な遮風板がないので比較的スムーズに作業は終了しました。写真は前日の零式と今回の九七式の完成ショットです。
    本日夜間は最後の九九艦爆へと作業を移します。上記写真はファイル破損してしまったので、代わりに艦爆含めた写真にリンク貼ってあります。(;´∀`)

2011/8/3

  1. 艦載機




    九九感爆のキャノピー、カウル内開口、プロペラ設置、両脚設置まで進みました。あと両翼制動板、後輪、後部機関銃、アンテナ支柱の取り付けです。
    進捗は50%ほどですが、これから取り付ける部品類は時間は倍以上掛かるほど細かなパーツ類になりますので集中してやっていきます。

2011/8/4~5

  1. 艦載機




    形になった合間にちょっとそろそろ配置シミュレーションです。2番艦の甲板を借りて配置シミュレーション。1番艦はエレベーターが下がった状態に改装中ですので実際は一部下がった状態とどの範囲までか未定ですが、メンテ状態の幅を広げようかと思います。また、配置前の九七の魚雷も運搬車搭載状態をクリアパーツで再現予定です。
    とりあえず九九艦爆の作業に戻ります。5日の夜間で一通りの完成を目指して、塗装を目指します。

2011/8/7

  1. 艦載機




    艦載機最後の艦爆隊が完成しました。これで全27機の塗装前完成です。これから各2機2番艦用としてのこり21機が1番艦用となります。2番艦用は各1機塗装済みとして各1機クリアのまま残してみようかと思います。
    エッチングを痛めない様に、翼端を両面テープで固定して、プライマーサーフェイサーを吹いてやります。
    忘備録:加賀の艦載機の塗装について(真珠湾編)
    零式二一型:
    機体全面は明灰白色、カウル部分タイヤ部分マットブラック、日の丸は縁なし主翼端表裏及び機体側面、三翅プロペラ表シルバー裏マットブラック、機体胴部分2本赤ライン機体下部は回り込まない、垂直尾翼上下2本赤ライン 赤文字AII-101~
    九九艦爆:
    機体全面は明灰白色、カウルから斜めにキャノピー前までマットブラック、主輪中央に水平前ラッパで赤ライン、期待中後部に2本の赤ライン、垂直尾翼に上太1下細2で赤ライン、その中央に赤文字AII-250~プロペラ銀、日の丸は縁なし、機体左サイドキャノピー下、足場すべり止め帯マットブラック
    九七艦攻:機体上面は暗緑色、またはマットブラウンとの迷彩のいずれか(部隊により異なり、また画一されたパターンは無く、各機曖昧な迷彩)機体下部明灰白色、カウルから斜めにキャノピー前面までマットブラック、日の丸は暗緑色側も含めて縁は無し、機体胴部に縦2本線(縁あり)、垂直尾翼AII-316~、その下部に水平に2本の白縁取り赤ライン、主翼左下面に黒で符号下2桁、ロードは魚雷が多いが、爆弾装備機もあった様子

2011/8/8

  1. 艦載機




    九七艦攻を除く全機体に明灰白色を塗装します。写真2枚目は零式のみ取り分けて全体を明灰白色でエア吹きを行った状態です。

2011/8/9-10

  1. 艦載機




    零戦の明灰白色塗装とカウルタイヤ塗装を終えて、極端に薄めたフラットブラックで汚しを入れてみた状態です。後ほど、(よく乾燥させた後)識別帯、日の丸、プロペラ銀を加えて零式の完成です。
    写真2枚目がマークセッター塗布>日の丸デカール貼付>マークソフター塗布>プロペラ表スピナーカバーのシルバー塗りまで行った状態です。
    写真3枚目が、ピットロード社キット付属の帯デカールを4mm5mmにカットして、所属鑑(所属隊)識別帯まで貼付した状態です。垂直尾翼にもラインと識別番号がありますが、当然こちらもキットにはデカールなど付属するはずもなく、といいましょうか、自作が可能かどうかも判らないくらい狭い(小さい : 1mmx1.5mm)のでトライして出来るかやってみます。ダメだった場合赤帯だけかな?
    教訓めいたことになりますが、後輪、アンテナ支柱はあとで取り付けた方が良いです。なぜなら、落下、紛失率80%以上ですw。
    ちなみにこの零式後輪は8割紛失、アンテナ支柱2度目の補完後にもかかわらずもうすでに1本欠落です。これはもろいのではなく、作業の支障になるためです。参考までに
    写真4枚目は九九艦爆、九七艦攻の明灰白色を塗装して、九七艦攻は上面のみ暗緑色で塗装、その後、墨入れして拭き取り済みの状態です(が、写真では見えません(o_ _)o)。

2011/8/11

  1. 艦載機




    九九艦爆、九七艦攻のタイヤ、カウル部分をフラットブラックで塗装して、乾燥後、九九艦爆から二歩まるでカール貼付です。
    九九艦爆の日の丸の位置は翼端の可動翼端部分に収まるようにします。こちらもまず、マークソフター>貼付>乾燥後>マークセッターとなりますが、まだ所属識別帯の2本線貼ってませんのでセッターは後ほどとなります。

2011/8/13

  1. 艦載機




    九七艦攻です。フジミ純正のデカールは、九九艦爆と共用なので、正直ちさ過ぎです。ここでピットロード製のキットの余ってた日の丸を用います。機体側面のデカールはキット純正のままでOKです。
    ここまでで全艦載機のデカール貼付は完了したので(識別帯除く純正分)ここらで垂直尾翼用のデカールを作成してみます。(PC画面上で終わるか行けるかは明日(てか今午前4時前なので今日かw)のプリンター次第?)

2011/8/16~17

  1. 艦載機




    8/16っていいましても実際8/15の延長みたいなモンで(つまり夜中かw)1工で出力したデカールのお披露目なんですが、光の加減で少々飛び気味に写ってます。
    まず仕上がり結果ですが、使用は全然可能です。ただし、文字の判別はヘッドルーペでかろうじて認識可能な程度です。(そりゃそうかw文字サイズ1ptとかだし)。しかし、このデカールがありと無いとでは、やはり存在感が大きく異なります。(の、はずです)
    早速カットして取り付けてみます。米粒程度から小さい物まで。さすがに文字は認識できませんでした。
    全機に早速取り付けて写真撮影です。加賀の真珠湾艦載機は市販の模型で尾翼部が2種発見できたのでデカールも2種作成してみました。

2011/8/18

  1. 艦載機




    今日は九九艦爆です。カウル部からキャノピーへかけて、マットブラックの延長、三翅プロペラの表は銀、裏面はマットブラック、主翼左翼側のみに機体との付け根部にすべり止めステップの作成したデカール、垂直尾翼部に作成したデカールを貼付します。
    多めに作成しておいて良かったです。ちささ故にマークソフターで溶けて消滅してしまった物も若干ありました。
    最後が九七艦攻、これもカラリングは諸説ありますが、今回は、三翅プロペラ銀、裏マットブラック、機体上面暗緑色、底面明灰白色、搭載魚雷ヘッドマットブラック本体シルバー、尾翼部マルーン九九艦爆と異なり、こちらは両翼付け根にすべり止めステップの作成デカール、尾翼は目立たないですが赤で作成デカール貼付とします。その文字は作例では黄色ってのも見受けられましたが、手元資料では赤だったので赤にします。


    2011/8/28 この場をお借り致しまして、この加賀の製作記は一旦終了となります。

    8/31 この製作記を記し始めて、しばらく後(のち)ある、支援者の方からコンテスト出場を促され、一念発起、まずは素組での参加を検討したら、”ふざけるな!あまえてんじゃねぇ” "アタマねらわなきゃ何ねらうんだこのタコ! ”ときついお叱りを受け (ごめんうそです。もっと優しかったです) ピットロード社2011コンテスト一般の部へ参加することとなり、ました。

    改めてご紹介致します。

    加賀1941真珠湾 ピットロード2011コンテスト参加作品

完成写真 9月下旬公開 (コンテスト参加作品バックアップ作成艦VER.)

HULL SCAPE

ZOOM UP

 



撮影環境
ミニクリプトン球(電球色)4燈直射による自作撮影ブース
撮影に使用したカメラなどの機材
Nikon D40X, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
撮影時のカメラの設定値
F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7

製品所在

2隻同時製作
艦番1: 
艦番2: 

あとがき

 

編集 ヲヨヨ軍曹@軍艦堂 トップへ