概観諸元

分類:重巡洋艦 クラス:重巡洋艦
艦番:CA-35
起工:1930年起工 竣工:1932年竣工
型式:ポートランド級 艦番:2番艦
艦名:インディアナポリス ?代インディアナポリス
由来:地名 インディアナ州州都インディアナポリスに因む
諸元:基準排水量:9,800トン 満載排水量:トン
全長:186m 全幅:20m
兵装:

竣工時
戦没時
55口径8インチ(20.3cm)3連装砲×3 55口径8インチ(20.3cm)3連装砲×3
25口径5インチ(12.7cm)単装砲×8 25口径5インチ(12.7cm)単装砲×8
- 40mm4連装ボフォース機関砲×6
- 20mm連装エリコン機関銃×8
47mm単装砲×2 撤去
28mm4連装機関砲×4 撤去
12.7mm単装機銃×8 撤去


搭載機:竣工時4機 最終時2機
信号符字:November - Alpha - Bravo - Delta
N A B D

概要

インディアナポリス (USS Indianapolis, CA-35) は、アメリカ海軍のポートランド級重巡洋艦。
1945年7月26日にテニアン島へ原子爆弾を運んだ後、7月30日フィリピン海で日本の潜水艦伊58(回天特別攻撃隊・多門隊)の雷撃により沈没した。
第二次世界大戦で敵の攻撃により沈没した最後のアメリカ海軍水上艦艇である。
インディアナポリスは1930年3月31日、ニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で起工された。
1931年11月7日に進水し、フィラデルフィア海軍工廠でジョン・M・スミリー大佐の指揮下1932年11月15日に竣工した。
1941年12月7日、日本軍が真珠湾を攻撃したとき、インディアナポリスは第12任務部隊に加わり、報道によればまだ近くにいるはずの日本の空母を捜し求めた。
12月13日、インディアナポリスは真珠湾に到着し、空母レキシントン (USS Lexington, CV-2) 基幹の第11任務部隊(ウィルソン・ブラウン中将)に加わった。
1945年、インディアナポリスは広島、長崎へ投下予定の原子爆弾用の部品と核材料を急ぎテニアン島へ運ぶよう命じられた。任務の緊急性から修理後の調整期間に先立って7月16日サンフランシスコを出港し7月19日に真珠湾に寄港した。
インディアナポリスは単独でテニアンに向かい7月26日テニアンに到着した。 テニアンに最高機密の荷物を届けた後、インディアナポリスはグアムに派遣され7月28日レイテ島へ向けグアムを出港した。
インディアナポリスは単独で直線コースを取りレイテ島へ向かった。7月30日0時15分、北緯12度02分 東経134度48分 の地点で日本海軍の潜水艦伊58(回天特別攻撃隊・多聞隊、艦長:橋本以行少佐)が、九九式酸素魚雷を 初回発射3本、数秒おいて2回目発射3本の計6本の全門発射したうち3本が右舷に命中、船体を鋭く貫いた魚雷が爆発。特に時差発射の2回目の魚雷が1発目が船体に開けた穴に入り込み奥で爆発、艦内第二砲塔下部弾薬庫の主砲弾を命中と同時に誘爆させ、同艦は夜空に大きく火柱を吹き上げると、艦前半部を海に突っ込みながら暫く浮いていたが、12分後に転覆、沈没した。
米軍関係の記録や話では、破孔が2つだったため命中2発としているが、生存した乗組員の間でも、また伊58の記録でも、魚雷爆発音(こもったような振動するような短い音)は3回とされている。
インディアナポリスの生存者(1945年8月 グアム) 乗員1,199名のうち約300名が攻撃で死亡し、残り約900名は8月2日に哨戒機によって初めて発見されてから5日後に救助が完了するまで、救命ボートなしで海に浮かんでいたが、水、食料の欠乏、海上での体温の低下、これらからおこった幻覚症状、気力の消耗などで多数の乗組員が死亡した。
それに加えサメによる襲撃が心理的圧迫を強くした。その後映画およびディスカバリーチャンネルの番組等で、サメの襲撃が演出として過剰に語られたため、大多数がサメの襲撃の犠牲者になったかのように思われているが、おもな原因は救助の遅れと体力的限界が死亡の原因といわれている。
救助された生存者は わずか316名であった。 哨戒機の報告を受け、PBY カタリナ飛行艇を皮切りに、飛行機や高速艦艇が次々と救助に派遣されていった。飛行艇は56名の生存者を救助し、高速艦艇も護衛駆逐艦セシル・J・ドイル (USS Cecil J. Doyle, DE-368) をはじめ駆逐艦ヘルム (USS Helm, DD-388) 、マディソン (USS Madison, DD-425) 、ラルフ・タルボット (USS Ralph Talbot, DD-390) 、護衛駆逐艦デュフィルホー (USS Dufilho, DE-423) 、高速輸送艦バセット (USS Bassett, APD-73) およびリングネス (USS Ringness, DE-590) らも駆けつけた。
飛行機はパラシュートで当面の食糧や浮く物を投下した。この頃までには、件の一方の当事者である伊58の方でも、アメリカ側が大騒ぎしていることを間接的に知ることとなった。大和田通信所からの無線情報で重要艦船の遭難と、その救助に関する通信が多くなっているという情報を受けたからである。
インディアナポリスは第二次世界大戦の戦功で10個の従軍星章を受章した。
艦長チャールズ・B・マクベイ3世は1945年11月、軍法会議にかけられジグザグ運動を怠り船を危険に晒したとして有罪とされた。
アメリカは第二次世界大戦の戦闘で約700隻の船を失ったが軍法会議にかけられたのはマクベイ元艦長ただ一人であった。
彼は死んだ乗組員の遺族に責め立てられ1968年に自殺した。
悲劇から50年以上後に、ハンター・スコットによりマクベイ元艦長の軍法会議が誤審であるとの認識が提起され、2000年アメリカ合衆国議会はマクベイ元艦長の記録は「彼はインディアナポリスの損失に対し無罪である」ことを反映すべきだという決議を可決した。ビル・クリントン大統領もこの決議にサインした。

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補足情報:

日本軍が撃沈した最後の水上艦艇であって、実際の最後の撃沈艦は1945年8月6日の潜水艦ブルヘッドである。

同型艦:


考証


バリエーション

使用部品

1944 マリアナ沖海戦時

メジャー32/7D 迷彩塗装


完成写真

HULL SCAPE

ZOOM UP

WATERLINE VIEW

 



撮影環境
ミニクリプトン球(電球色)6燈直射による自作撮影ブース
撮影に使用したカメラなどの機材
Nikon D90, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
撮影時のカメラの設定値
F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7

製品所在


2012年6月10日ジェファソニアンアーセナルにて起工
同年6月24日完成
東日本在住のコレクター様所蔵

あとがき


この迷彩アナドリガタシ。

編集 岵囃子裕二(タヌポンの工廠長)@軍艦堂 トップへ