概観諸元

分類:揚陸艦 クラス:特殊船
艦番:-
起工:1933年起工 竣工:1934年竣工
型式:単艦型 艦番:なし
艦名:神州丸 初代神州丸 同艦他名 龍城, 龍城丸,MT,GL,土佐丸
由来:地名 日本の自国を誇って表現する名称に因む。
諸元:基準排水量:7,100トン 満載排水量:8,108トン 公試排水量:トン
全長:144m 全幅:22m
兵装:

竣工時
1942年
7.5cm単装高射砲×4 7.5cm単装高射砲×8
20mm単装高射機関銃×4 20mm単装高射機関銃×4(又は連装)
- 爆雷


搭載機:九一式戦闘機 6機, 九七式軽爆撃機 6機
揚陸艇:大発最大26艇, 中発10艇, 小発20艇
信号符字:なし、または調査中 ご存じの方はこちらから情報をお寄せ下さい。
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概要

神州丸(しんしゅうまる)とは、日本陸軍が建造した揚陸艦。
上陸用舟艇の母艦として高い能力を持ち、今日の強襲揚陸艦のパイオニア的存在である。
存在秘匿のため龍城(丸)、MT(船)、GL(船)などのさまざまな名称が使われた。
日本陸軍内での船種分類は特殊船。
上陸用舟艇は、波打ち際に乗り上げて将兵や装備を揚陸するために、吃水が浅く小型であるものがほとんどである。このため、上陸用舟艇は外洋航行力に乏しく、根拠地から上陸地点までは他の母艦によって運ばれる必要がある。1930年当時の舟艇母艦は「宇品丸」のような民間の貨物船と大差無いもので、上甲板に舟艇を搭載し、デリックやガントリークレーンで泛水(へんすい・海面に降ろすこと)させる方式をとっていた。泛水時には基本的に舟艇は空船で、将兵は泛水後に母艦の舷側に垂らされた縄ばしごやロープを伝って舟艇に乗り込み、砲や車輛、馬匹などはクレーンで舟艇内に吊り降ろしていた。
この方式は舟艇が多数の場合に時間がかかるほか、荒天時の移乗・積み込みが難しく、迅速な上陸作戦を行うのに不向きであった。
日本陸軍は、フィリピン上陸作戦を睨んだ揚陸艦艇の研究に力を入れており、機能的な上陸用舟艇である小発動艇・大発動艇を開発していた。しかし、1932年(昭和7年)の上海事変における七了口上陸作戦の戦訓により、上記のような在来方式の泛水では、上陸に時間がかかり、奇襲効果が乏しいことが問題となった。
そこで、上陸用舟艇を大量に輸送して人員や装備を乗せたまま連続的に泛水できる舟艇母艦の開発を進めることとした。なお、上海事変での実戦経験のほか、1932年6月に行われた陸軍将校らの「日出丸」(栃木商事:5256総トン)による南洋群島巡航が開発の契機になったとの見方もある。 後の「神州丸」となる新型舟艇母艦の設計は、当初は陸軍運輸部の独力で着手された。
日本海軍は遠隔地への陸上兵力輸送に注力しておらず、陸海での分業体制になっていたためである。途中から海軍の技術協力により大幅な設計変更が加えられた後、1933年(昭和7年)に播磨造船で起工、1934年(昭和9年)に進水して「神州丸」と命名、同年12月末に竣工した。
優れた舟艇運用能力と並ぶもう一つの大きな特徴として、陸軍空母と俗称されたように揚陸部隊援護用の航空機の運用を考慮していたことが挙げられる。
2層構造の上部構造物内上段に航空機用の格納庫が設けられ、格納庫前部に置かれた火薬式のカタパルトを利用して戦闘機や偵察機などの航空機が発進できるようになっていた。
着艦設備はなく、占領した敵飛行場などに着陸するものとされた。
航空機運用能力を秘匿するため、格納庫は「馬欄甲板」(軍馬用の部屋)と呼ばれていた。
なお、陸軍運輸部の原案では、カタパルトの設置位置は煙突後方の上甲板だった。 本船の航空機運用能力は、航空機の急速な発達により、建造後数年で実質的な意味を失ってしまったが、神州丸はただの上陸用舟艇母艦から一歩進んだ、総合的な揚陸作戦能力を持った強襲揚陸艦の先駆的存在であると言える。
その後に建造された陸軍特殊船のうち「あきつ丸」などには、全通式飛行甲板などのより本格的な航空設備が設けられた。
1937年8月 太沽上陸作戦に参加。 11月 杭州湾上陸作戦に参加。
1938年10月 バイアス湾上陸参加。
1939年2月 海南島攻略作戦参加。
1941年12月 マレー作戦のシンゴラ上陸作戦に参加。防空基幹船に指定。
1942年2月28日 蘭印作戦のジャワ島上陸作戦に参加中、バタビア沖海戦に巻き込まれ、友軍の重巡洋艦「最上」の発射した魚雷が命中し、大破擱座。座乗していた第16軍司令官今村均大将以下、ジャワ攻略軍将兵が海に投げ出される。サルベージの後、門司へ回航。
1943年10月 修理を完了。以降輸送任務に従事。
1945年1月3日 ルソン島への輸送任務の帰路、マタ40船団に加入して航行中、台湾の高雄沖にて米機動部隊の空襲を受け、大破放棄。漂流中に米潜水艦「アスプロ」の雷撃を受け沈没。

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補足情報:

世界初の強襲揚陸艦である。

同型艦:

考証

バリエーション

使用部品

1942年

対空兵装強化後

完成写真 艦首が大発, 中央が小発, 艦尾が陸軍装甲艇

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WATERLINE VIEW

製品所在


皇紀弐六七弐年(2012年)七月弐拾弐日軍艦堂第弐渠ニテ起工
同年同月弐拾七日竣工

あとがき


陸軍空母と異名を持つ世界初の強襲揚陸艇です。こういうの、好きです。
空母は艦橋下部のキャンバスカーテンでかくされた部分に両舷各1基カタパルトが隠されていて、ここから飛び出して行きます。
まさにガミラス空母です。

編集 岵囃子裕二(タヌポンの工廠長)@軍艦堂 トップへ