概観諸元

分類:戦艦 クラス:戦艦
艦番:1913(88艦隊)計画第5号甲鉄戦艦として建造後伊勢級戦艦(1/2)に設計変更
起工:1915(大正4)年起工 竣工:1917(大正6)年竣工
型式:伊勢型 艦番:1番艦
艦名:伊勢 初代伊勢
由来:国名 三重県の旧令制国名伊勢国
諸元:基準排水量:-,---トン 公試排水量:38,662トン 常備排水量:-,---トン
全長:219.62m 全幅:33.83m
竣工時兵装:四一式35.6センチ連装砲×6 四一式14センチ単装砲×20 8センチ単装高角砲×4 53センチ水中魚雷発射管×6
最終時兵装:四一式35.6センチ連装砲×4 12.7センチ連装高角砲×8 25ミリ3連装機関銃×31 25ミリ単装機関銃×11 12センチ30連装噴進砲×6
搭載機:航空戦艦時22機搭載可能であったが実質搭載機なし 1944年11月以降カタパルト撤去で実質機能停止
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概要

伊勢(いせ)は大日本帝国海軍の戦艦。伊勢型戦艦の1番艦。艦名の由来は三重県の旧国名からで、後に海上自衛隊の護衛艦「いせ」に引き継がれた。
当初は扶桑型戦艦の3番艦として建造が予定されていたが、扶桑型に砲力や防御力、運用面等で問題点が生じたため再設計が行われ、準同型艦の伊勢型の一番艦として建造された。
太平洋戦争後半には戦術変更に伴って、姉妹艦の日向と共に後部主砲塔二基を撤去し、航空機用作業甲板、格納庫、射出機を設け、搭載機数22機という軽空母なみの航空打撃力を持つ航空戦艦へと改装された。
歴代艦長として山口多聞、古賀峯一といった後の著名指揮官も輩出した。
1915年(大正4年)5月10日、川崎重工業神戸造船所で「第五号戦艦」として起工。
1916年(大正5年)11月12日に進水する。
1917年(大正6年)12月1日、「軍艦 伊勢」として就役した。 扶桑型戦艦の改良型として就役した本艦は、扶桑型の問題点の装甲防御の弱さを改正し、ようやく世界水準の性能に達したと言われる。だが本艦と同時期に15インチ砲(38cm砲)を採用したクイーン・エリザベス級戦艦が出現しており、建造前の1913年の時点で防御力の脆弱さを指摘されている。また日本軍はクイーン・エリザベス級戦艦の速度を25ノット程度と認識しており、伊勢型の23ノットでは物足りないのが実情だっ。
1921年(大正10年)に主砲仰角角度を拡大する改造工事を行い、1924年(大正13年)に砲戦指揮場を設置するなど艦橋の複雑化が進む。更に1935年(昭和10年)8月1日から、1937年(昭和12年)3月23日まで近代化改装が行われ、水平防御力や主機の出力向上と煙突の統合、注排水装置を増設、艦尾の7.3m延長、バルジ装着による水中防御力の強化などの改修が行われた。これにより、排水量、装甲防御能力、速力、砲撃力等において、1945年に艦齢30年を迎える老艦ながら、戦艦としての総合能力では太平洋戦争開戦時でも世界標準を保っていた。反面、空母や巡洋艦などの他の艦艇に速力で劣る上に乗組員を多数必要とし、燃費も悪く、用途が見出せないことから、慢性的に燃料不足に悩んでいた日本海軍は本艦を海戦に投入する機会を見出せなかった。
1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争(大東亜戦争)開戦時、「伊勢」は第一艦隊第二戦隊に所属し、真珠湾攻撃を行った南雲機動部隊の損傷空母を収容するため、太平洋上に進出した。南雲機動部隊の奇襲は成功し、「伊勢」は予定を切り上げて12月13日に瀬戸内海に戻った。
1942年(昭和17年)2月、「伊勢」は波長1.5mの試作レーダーを装備、5月29日には日本を出撃してアリューシャン諸島方面に進出したが、米軍と交戦する機会はなかった。
ミッドウェー海戦で主力空母4隻を喪失した日本海軍は、空母の数を揃える必要にせまられた。軍令部は旧式の扶桑型戦艦と伊勢型戦艦の空母改造を検討し、「日向」が砲塔爆発事故を起こして五番砲塔を失っていたことから改装の手間が省けると判断、「伊勢」と「日向」の航空戦艦に改装を決定した。
「伊勢」の工事は呉工廠で1942年12月に始まり、1943年9月に完了した。航空戦艦「伊勢」の最初の任務は、トラック島へ物資を輸送することだった。
「伊勢」は戦艦「山城」と共に『甲支隊T3号輸送部隊』として第十一水雷戦隊(木村進少将)の指揮下に入り、陸軍兵士(伊勢は1278名)と物資、さらに戦艦「長門」と「扶桑」用の三式弾を搭載すると、10月15日に日本を出発した。この時、「伊勢」には大和型戦艦「武蔵」の46cm砲弾も積まれたという。20日、トラック着。補給作業終了後の31日、戦艦「山城」、空母「隼鷹」、「大鷹」、重巡洋艦「利根」(機関故障中)、護衛駆逐艦と共にトラックを出港し、11月6日、日本に帰還した。
その後も艦載機を搭載することができないまま第十一水雷戦隊に所属し、呉で練習艦としての日々を送った。1944年5月1日、「伊勢」と「日向」は第四航空戦隊(戦隊旗艦「日向」、戦隊司令官松田千秋少将)を編成した。両艦には第六三四航空隊を搭載することが決まり、定数は「伊勢」:水上偵察機瑞雲14、彗星艦上爆撃機8、「日向」:彗星14、瑞雲8となる。(ここで搭載されたわけではない)
「伊勢」は5月31日、「日向」は6月7日より、機銃を増設するため呉工廠にて入渠する。
6月20日完成を予定して工事中、米第5艦隊がマリアナ方面に襲来し、迎撃に向かった日本第一機動艦隊との間にマリアナ沖海戦が発生した。「伊勢」は急遽工事を中断して出撃準備を急いだものの、本海戦には間に合わなかった。
6月23日、実際に瑞雲、彗星を搭載して射出訓練を行う。
9月30日、12cm28連装噴進砲6基を増備した。
1944年10月、台湾を攻撃した米軍機動部隊との間に台湾沖航空戦が発生し、「伊勢」に搭載予定の第六三四航空隊が投入された。この戦いに勝利した米軍は、フィリピン攻略を開始する。一方、米空母11隻(実際の米空母損害なし)を撃沈したと信じた日本軍は、上陸した米軍を撃退すべく捷号作戦を発動する。「伊勢」と「日向」は機動部隊本隊に所属し、10月20日に日本を出発し、レイテ沖海戦に参加した。だが、六三四空が台湾沖航空戦に投入されたため、日本海軍機動部隊最後の海戦でも「伊勢」が航空機を搭載することはなかった。
10月24日午後3時10分、小沢機動部隊本隊から「日向」と共に分離して米軍方向に進出する。 この時の対空戦では松田司令官の発案した弾幕射撃が効果を挙げ、航空機多数撃墜(30~70機)を報告している。また巡航速度で航行し、敵艦上爆撃機が降下態勢に入ると同時に急転舵する爆弾回避術も大いに効果をあげた。この機動は急降下爆撃を行う艦爆側から見れば、目標が後逸していくので見失ってしまう。さらに艦爆は一度降下に入ると大きな目標修正ができず、重量物である爆弾を投下しない限り再び上昇できなかった。これらから艦爆は狙いが逸れたまま爆弾を投下して上昇するしかなかった。
「伊勢」は空母「瑞鶴」・「瑞鳳」の第一群を護衛した。護衛戦闘機のほとんどない小沢機動部隊は米軍艦載機の一方的な空襲を受け、空母「瑞鶴」、「瑞鳳」、「千歳」は沈没。軽空母「千代田」と駆逐艦「初月」は米艦隊に捕捉され、砲撃戦の末に撃沈された。「伊勢」と「日向」は米軍艦隊を求めて反転・南下したが、会敵しなかった。
「伊勢」は戦死7名・重軽傷者80名を出し、至近弾4発によりバルジに浸水約800-900t、傾斜左に1.5度という損傷を受け、主砲徹甲弾全弾、主砲対空弾160発、高角砲通常弾2000発、機銃弾120000発、噴進砲弾480発が残っていた。
10月29日、「伊勢」は呉に戻り、11月1日、射出機を撤去。「伊勢」は航空戦艦としての機能を失う。
大戦末期、日本国内では石油・ゴムなどの資源が枯渇した。そこで本艦は連合軍制海権下の南シナ海などを強行突破して資源を輸送する「北号作戦」に参加する。
11月9日、佐世保を出港、南方に向かった。この作戦では米潜水艦や米軍機の襲撃を受け、命中寸前の魚雷を高角砲で迎撃するなど危険な場面が度々あった。
1945年(昭和20年)2月20日、奇跡的に無傷で呉に帰還を果たした。この後の「伊勢」は燃料不足のため「呉鎮守府第1予備艦(浮き砲台)」に指定され、燃料不足と米軍の機雷封鎖で行動不能な状態のまま呉港外三ツ子島(倉橋島北東、34゚12'N/132゚31'E)海岸付近の海面に停泊した。
7月24日、米軍機動部隊艦載機による呉軍港空襲により艦橋に直撃弾を受け、牟田口艦長も戦死、浸水は5000tに達する。師岡勇高射長が艦長代理となり呉工廠第四ドックに曳航しようと作業中の7月28日、再び米軍艦載機の空襲により直撃弾11発を受けて大破着底、戦死者は573名に及んだ。
終戦後、「伊勢」は引き揚げられてスクラップとなった。

Wikiより抜粋

同型艦:

使用部品

製作工程 航空戦艦 1944 レイテ沖海戦

製作開始

  1. 製作開始





    製作依頼の霧島を除いての本年通常製作開始艦船は伊勢です。再現は航空戦艦時代で1944年(噴進砲も装備後)レイテ沖海戦時の再現です。
    なので、航空戦艦ですが、航空機は搭載してない状態での再現になります。
    ちなみに伊勢で艦載機を搭載しての運用時期は1944年6月の訓練時のみです。それ以外は搭載できないままでした。更に航空戦艦としての運用に追い打ちを掛けるようにレイテ後の11月、両カタパルト撤去となり、航空戦艦の運用は事実上終止符を打ちました。
    なのに!子供の頃この戦艦を見る度、胸がわくわくした記憶が鮮明によみがえります。今でもその気持ちは衰えること無く、2年前、駆逐艦ばっかり作っていたワタクシが高校時代以降再復帰製作着手した戦艦が”日向”だったのです!あ、伊勢型なので同じと言うことで(;^^)ヘ..
    この伊勢の半分空母のような腰高な部分と、前半の戦艦の異質な取り合わせが阿修羅男爵のようで、いい意味でコワイ!と思うばかりでした。
    キット自体は最近のフジミ製品です。砲身は開口され、舷窓庇まで再現された船体など非の打ち所の無い仕上がりです。底板は旧来のウォーターラインシリーズと共通の作りになっています。これが、最新のキットに多い、底はめ込み式だとパーフェクトだったんですけどね。

兵装

  1. 主砲塔





    組み立て説明書通り、主砲塔からの製作です。定番の梯子、手摺、砲身交換(今回はレインボーモデル製のものを使用)、作業台をエッチング交換します。
    第弐第参砲塔はそれに更に機銃座、ブルワーク、三連装機銃もリプレイスを行います。
    三連装機銃はレジン製のものかファインモールド製のものを使用するのが楽なんですが、今回は自虐的に(;´Д`)ライオンロア製エッチング三連装機銃を採用です。
    但し、同様にエッチング三連装機銃を採用予定の方は注意が必要です。なぜなら、この艦には三連装機銃が31基もあるんです!
    だから、伊勢も日向も帰還できたらしいのです。この破壊的な数の機銃による段幕が極めて航空攻撃に対して有効であったそうです。でも、31基ですよ!(;´Д`)
    主砲塔ですが、クレームがありましたので、砲塔の仰角を修正いたしました。
    言い訳は、キットを普通に作成すると最初の仰角になります。キットにはそれぞれ個性があり、ほぼ水平から、10°近くになるものまで様々です。
    そこで、その角度になるように解体して、基部をヤスって水平からわずかに仰角を付けた位置で止めてみました。
    その方によると、重厚感が増すとのことで、実際、引き締まった感じになります。こういうアドバイスは極めてありがたいですね。
    注)クレームとは英語で "要求" のことで "文句" ではありません。(;^^)ヘ..

  2. 12.7糎高角砲





    12.7糎連装高角砲は定番レジン+金属砲身+エッチングの構成です。
    最近発売されたファインモールド製も非常に魅力がありますね。 一度見たことがありますが、兎に角清楚、綺麗な印象がありました。
    付属のエッチングパーツで装填台が再現されてたら、即買いなんだけどなぁ。

中央部甲板

  1. 中央部甲板





    中央部甲板の製作です。事前に兵装で主砲塔と高角砲を用意してあるものを使用します。
    キットにモールドされている通風筒、架台、絡車など交換する箇所は全て削ぎ落とします。
    木甲板部分は4色塗り分けを行います。
    削いだモールド部分に充てるパーツを準備します。他、ここで設置する短艇類も準備します。9mカッターは純正オール付のタイプで、マスクを施して内面、縁を白でエア吹きします。中発も甲板部分をタン吹きして、その部分をマスクして軍艦色に塗ります。水雷艇は説明書によると12m水雷艇ですが、サイズがピットロード製のNE02水雷艇とほぼ同サイズなので、ピットロード製を使用しました。
    木甲板部分は塗り分けできたら、マスクして軍艦色を吹きます。





    前側から順番にモールドを削いだ部分のパーツを設置していきます。短艇は固定用の帯を掛けた状態までしておきます。固定索は後程再現します。
    砲塔の防水キャンバス部分は、キットの隙間が出来るので、パテで修正して、バフ色をかけます。残念なのは、パラベーン前部の保護枠を再現してるのにぜっぜ見えない事ですね。
    これで中央部甲板の完成です。

艦橋

  1. 下部艦橋





    下部艦橋のエッチングは機銃及びその周囲、艦橋背面ラッタル、手摺、高角砲座出入口水密ドア交換です。12.7糎高角砲はレジンとエッチング、砲身は金属砲身交換です。
    機銃座底面はエッチング三角桁交換を行います。
    キット各接合部分は隙間をパテ補修してサンドペーパーで整えます。
    プライマーサーフェイサーを施し、軍艦色塗装で完成です。

  2. 中部艦橋





    中部艦橋は、3連装機銃をエッチング使用、探照燈をファインモールド製クリアパーツに置き換えます。その他手摺類を設置します。
    艦橋窓枠は、形を整えてカットしたあと取付けます。段差付きなので、慎重に作業します。最終的に溶きパテで整えてやります。
    塗装したあと、下部艦橋と結合させて、渡しにあるべきラッタルなど設置してやります。

  3. 上部艦橋








    上部艦橋は上部艦橋基部からです。窓枠を交換、探照燈と3連装機銃も既述の通り交換です。
    基部の指揮所床面はグレーチングのため、タンorバフ系で塗装後、マスクを施します。
    双眼鏡は手持ちの図面に沿って配置します。グレーチング部分はツラっぽく見えますが、モールドはきちんと施されていますので。塗り分け目安は問題ありません。
    ここで上部艦橋は終了です。この層より、大黒柱、支柱を通しますので、以降は仕上げ作業となります。

  4. 仕上げ作業







    頂部機銃座層から上を先に用意しておきます。
    電探、手摺、方位探針儀、弾薬箱、3連装機銃等取付けます。
    再頂部は遮風板を削ぎ落とし、遮風板をプラペーパーで作り直しです。あと、双眼鏡ですが、図面通り置けませんでした。数多すぎ(;´∀`)これでも4基少ない数です。
    頂部はレイテ沖海戦なので、白塗りではなく軍艦色で再現します。
    余談:白塗りは開戦後(開戦時は白塗りではありません)から昭和18年1943年までの連合艦隊所属艦か旗艦に塗粧されました。1943年は各艦随時入渠時で、一気に軍艦色になったわけでは無いようです。







    大黒柱群を通したら最後に頂部を載せ、各層接続ラッタルを配し、最後の塗粧を行い、既にに出来上がってる中央部甲板に設置して完成です。

煙突

  1. 煙突





    伊勢の煙突は近代化改装後1本のみです。煙突の周囲は3連装機銃座と探照燈台です。3連装機銃はここまでで17基、一気に来られるとモチベーションが下がりますが、30基でも、こう、小分けで来られると、逆に1基20分かかる作業とはいえ、頑張れる気になれるもんですねぇ(*´ェ`*)。@13基、峠は越えた!!

船体

  1. 艦底





    艦底は通常型のウォーターラインタイプです。バラスト固定は、Gクリアーを両面塗布し、手に着かなくなった時点で貼り合わせて圧着します。(乾燥前の貼り合わせは接着強度低下になります。)
    ナットは、定番3種の樹脂で固定させます。

  2. 甲板





    甲板は4色塗り分けですが、その前にリプレースする部分のモールドを削除しておきます。削除するのは、キャプスタン、チェーン、絡車、全ボラード16本、全キノコ型通風筒大10本、全キノコ型通風筒多数です。
    塗り分けは、黄色系タン>退色系タン>ウッディータン>タンで重ねていきます。





    塗り分けが完成したら、船体塗装に向けて、木甲板部分をマスキングして準備に入ります。


  3. 船体





    マスキングが完了したら、船体を塗装してやります。同時に船体工程で設置する各部品も塗装します。
    主砲塔はキャンバス部分が不自然なため、溶きパテで防水キャンバスを再現してやります。
    塗装が完了したら、艦橋と中央甲板部分、第参第四砲塔、飛行甲板(カタパルト甲板)前の構造部分、各種短艇、ラッタルを設置してやります。





    甲板用の削ぎ落としたモールド部分のパーツ準備です。実は、絡車@2個抜けてます(;´∀`)
    キャプスタンは超大型通風筒を使用、大型通風筒10個、小型通風筒18個、ボラード戦艦用12個、船体中央小型ボラード4個、ウィンチ4基、後部高角砲2基をプライマーを吹いて塗装します。
    塗装完了後、各所に設置します。

  4. 飛行甲板(カタパルト甲板)





    飛行甲板は、弾薬箱、ターンテーブル上軌条は交換のためモールドを削除してやります。
    最後尾噴進砲スポンソンは噴進砲自体をレジン製パーツ交換、防火石綿壁をエッチング交換してやります。
    ここが、精神の正念場!?両舷8基+甲板上2基分全てエッチング製に交換してやります。
    中央部分は明るめの軍艦色で塗装してやります。





    先程塗装した明るめの軍艦色をマスキングして、船体を塗装した色と同一の軍艦色を用いて塗装して、カタパルト甲板の完成です。
    中央部分に多数ある穴は、単装機銃設置場所の穴みたいです。これは最終工程での設置となります。

完成作業

  1. 構造物組上げ





    ここまでの各ブロックの完成物を船体に組み付けます。
    煙突、飛行甲板を取付け、付随する小物関係を製作塗装して、設置を行います。

  2. 後部艦橋




    後部艦橋が最後の構造物となります。各種エッチングを使用、3連装機銃はこれが最後の製作となります。一気にこれを30基以上作るのは拷問でしょうか、各ブロック毎だと、気持ちよく製作できました。
    最後にプライマーを施し、塗装して、ウォッシングを施し完成です。





    よく後部艦橋を乾燥させたら、ここまでの部品を組み付けます。

  3. アンテナ





    アンテナは主軸、上部共、キットのものでは無く、全て真鍮にて作り起こします。主軸は1.2mm径 上部は0.8mm径を使用しました。
    塗り分けは、マットブラック>マスク>ホワイト>更にマスク>軍艦色で塗装します。忘れずに事前にプライマーを吹いておきます。

  4. 完成





    最終的な完成工程に追加する、クレーン、ダビットなどの艤装品を最後に作成します。クレーンは、キットのものではソフトな印象なので、全てを製作し直します。
    ウォッシングは上部構造物に関してはここまでに行ってきているので、舷側部分のみ行います。乾燥後、明るめのグレーでドライブラシを行い、トップコートを施します。
    トップコートを施した後、張り線作業を行い、完成です。

完成写真

HULL SCAPE

ZOOM UP

WATERLINE VIEW

 



撮影環境
ミニクリプトン球(電球色)6燈直射による自作撮影ブース
撮影に使用したカメラなどの機材
Nikon D90, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
撮影時のカメラの設定値
F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7

製品所在


皇紀弐六七弐年正月軍艦堂工廠第弐渠ニテ起工 同年同月竣工

あとがき

 
世界各国で計画されて唯一実現した航空戦艦、阿修羅男爵カラーが妙にそそられた少年時代のあこがれ的戦艦完成です。
大和より好きです。

編集 岵囃子裕二@軍艦堂 トップへ