概観諸元
分類:巡洋艦 クラス:1等巡洋艦戦
起工:1933(昭和8)年起工 竣工:1937(昭和12)年竣工
型式:最上型 艦番:3番艦
艦名:鈴谷 2代鈴谷 初代:通報艦鈴谷。元ロシア帝国ノヴィーク。樺太で日本軍に撃沈された後引き上げて整備使用。
諸元:基準排水量:12,000トン 公試排水量:13,887トン 満載排水量:-,---トン
全長:200.6m 全幅:20.2m
概要
鈴谷(すずや)は、日本海軍の重巡洋艦。最上型の3番艦である。横須賀海軍工廠にて建造。艦名は樺太(現サハリン)の鈴谷川にちなんで名づけられた。第四艦隊事件により最上型の船体強度に問題があることが判明したため、船体線図が改正され「最上」「三隈」とは船体形状に違いがあり、鈴谷型(「鈴谷」・「熊野」)と分類されることもある。また、ボイラーが「最上」「三隈」は重油専焼罐大型8基小型2基の計10基から、重油専焼罐大型8基に変更されている。そのため、第3砲塔と艦橋構造物との間の大型吸気トランクがなく、一番煙突の太さもボイラー減少の分だけ径が細くなっている。未成に終わった次級「伊吹」型も、マストの位置変更以外はほぼ同型のまま起工された。
1933年12月11日、横須賀海軍工廠にて起工。1934年11月20日に進水し、1937年10月31日竣工した。1941年の太平洋戦争勃発後は、マレー上陸作戦、バタビア沖海戦、第二次ソロモン海戦、マリアナ沖海戦等に参加。ミッドウェー海戦に於いて第七戦隊旗艦熊野(司令官栗田健男少将)は「我に続け」の信号旗を掲げ衝突損傷した最上と三隈をその場に残し西進離脱した。しかし艦長木村昌福大佐は「我機関故障」と熊野に伝達し意図的に速度を落としその後独断で三隈生存者の救助に向かった。生存者の救助後、鈴谷より魚雷を発射し三隈を自沈処分とした。1944年 にはレイテ沖海戦に参加。10月25日、サマール島沖海戦で米軍機の攻撃により大火災を起こし、味方駆逐艦「沖波」により雷撃処分された。12月20日除籍。
Wikiより抜粋
同型艦:
- 最上(もがみ)山形県の最上川にちなむ。1935年竣工(呉海軍工廠)1944年スリガオで那智と衝突。処分。
- 三隈(みくま)大分県の三隈川にちなむ。1935年竣工(三菱造船長崎)1942年ミッドウェー海戦にて戦没。
- 熊野(くまの)南近畿の熊野川にちなむ。1937年竣工(川崎重工業神戸)1944年空襲により戦没。
使用部品
- 商品確保済みの今後の起工予定製品です。
製作工程
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完成写真
HULL SCAPE
ZOOM UP
- 撮影環境
- ミニクリプトン球(電球色)4燈直射による自作撮影ブース
- 撮影に使用したカメラなどの機材
- Nikon D40X, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
- 撮影時のカメラの設定値
- F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7
製品所在
2隻同時製作
艦番1:
艦番2:
展示箇所はこちら
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あとがき