概観諸元

分類:航空母艦 クラス:航空母艦 正規空母
起工:1937(昭和12)年起工 竣工:1941(昭和16)年竣工
型式:翔鶴型 艦番:1番艦
艦名:翔鶴 3代目翔鶴 1代目:江戸~明治期 輸送船 翔鶴丸 2代目:鳳翔型空母2番艦(計画中止)
諸元:基準排水量:25,675トン 公試排水量:29,800トン 満載排水量:32,105トン
全長:257.5m 全幅:26m

概要

翔鶴(しょうかく)は、旧日本海軍の航空母艦。翔鶴型航空母艦の1番艦。アメリカのエセックス級やイギリスのイラストリアス級と同様、ワシントン海軍軍縮条約終了後に設計建造されたため、必要かつ十分な装備を持つ大型空母として完成した。1944年(昭和19年)6月のマリアナ沖海戦で米潜水艦カヴァラの放った魚雷に被雷、それをもととする大火災により6月19日沈没した。
1937年(昭和12年)に発表された第三次艦船補充計画(通称マル3計画)によって建造を計画された。日本海軍が建造した艦隊型正規空母の決定版ともいうべき、大型正規空母である。 日本海軍の軍艦としては、初めて球状艦首(バルバス・バウ)を採用し最大速力34kt の高速性を得た。機関出力は16万馬力で、大和型戦艦をも上回る。防御能力についても、機関部や弾薬庫などの艦主要部は巡洋艦の砲撃に十分耐えられるよう装甲が施され、炸薬量450kg の魚雷にも耐えうる水雷防御が施されるなど充実した性能を持つ。しかし、飛行甲板の装甲は有しておらず、500kg爆弾が命中すると航空機の運用ができなくなる。また、ダメージコントロール分野に関しても同時期の米英空母に見劣りする面があり、ミッドウェー海戦での4空母損失の教訓から、可燃物の撤去や可燃性の塗料などを使用しないなどの運用上の工夫でカバーされていた。 基本的には瑞鶴と同様であるが、翔鶴は計画時には艦橋を左舷に配置する予定であった。左舷艦橋は、赤城、飛龍で採用されたが、排煙による視界不良や、気流の乱れなどで着艦作業に悪影響を及ぼしたため、右舷配置に変更された。 飛龍の場合は、建造開始後に赤城で左舷艦橋の問題が判明した。しかし、飛龍の建造がかなり進んでいたため、左舷艦橋のまま配置された。だが翔鶴はこの問題が浮上したのが設計段階であったため、右舷艦橋への設計変更が可能であった。 また第五航空戦隊として「瑞鶴」との作戦行動時には決まって本艦が損害を受けることになり、損害担当艦もしくは被害担当艦などという不名誉なニックネームをつけられることもあった。
新造時には瑞鶴と区別するために、甲板前部に翔鶴は「シ」瑞鶴には「ス」と書かれていた。 武勲空母として有名になった同型艦空母「瑞鶴」に比べ被害を受ける事が多く戦線離脱する事が多かったが、戦績を比較すれば「瑞鶴」とそれほど大差無く、太平洋戦争中における、傷付きながらも奮戦した武勲空母と称するに相応しいとの評価もある。

Wikiより抜粋

同型艦:

使用部品

製作工程

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完成写真

HULL SCAPE

ZOOM UP

 



撮影環境
ミニクリプトン球(電球色)4燈直射による自作撮影ブース
撮影に使用したカメラなどの機材
Nikon D90, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
撮影時のカメラの設定値
F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7

製品所在

2隻同時製作
艦番1: 
艦番2: 

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あとがき

 

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