概観諸元

分類:給油艦 クラス:軽質油運搬艦
艦番:マル臨計画2次計画?番艦
起工:1942年起工 竣工:1943年竣工
型式:足摺型 艦番:2番艦
艦名:塩屋 初代塩屋
由来:地名 福島県にある塩屋崎に因む
諸元:基準排水量:7,951トン 満載排水量:トン
全長:133m 全幅:16.8m
兵装:

竣工時
戦没時
40口径89式12.7cm連装高角砲A1型改1×2 40口径89式12.7cm連装高角砲A1型改1×2
25mm連装機銃×2 25mm三連装機銃×2
爆雷 爆雷


搭載機:なし
信号符字:Juliet - Juliet - Juliet - Juliet (資料無し)
J J J J

概要

塩屋(しおや)は、日本海軍の給油艦。
軽質油運搬艦である足摺型給油艦の2番艦。
艦名は福島県小名浜港の北東にある塩屋埼による。
艦歴
1941年(昭和16年)度マル臨計画2次計画により三菱重工業長崎造船所で建造され、1943年(昭和18年)11月9日に竣工。佐世保鎮守府籍となり、同日に連合艦隊付属となる。
「塩屋」の竣工後の行動は断片的にしか判明していないが、1944年(昭和19年)1月6日に、特務艦「足摺」、特設運送船(給油)「興川丸」(川崎汽船、10,043トン)とともに臨時M船団を編成し、第36号哨戒艇の護衛を得て高雄を出港。マニラまではヒ29船団と同行。以後、バリクパパンとダバオ間の軽質油輸送などに従事。5月はほとんどの期間を第30号掃海艇とともに行動する。
1944年6月7日、「塩屋」はバリクパパンを出港するが、翌6月8日午後、北緯03度04分 東経124度02分 のセレベス海マナド北西方で、アメリカ潜水艦「ラッシャー」(USS Rasher, SS-269) に発見される。「ラッシャー」は「塩屋」を浅間型練習艦、その護衛艦を天津風型駆逐艦(磯風型駆逐艦)と識別し、「浅間型練習艦」に対して魚雷を6本発射。うち5本が命中したと判断され、「塩屋」はこの攻撃により沈没した。
8月10日除籍。

Wikiより抜粋

補足情報:

補足情報はありません。

同型艦:

使用部品

1943年

連合艦隊付属

  1. 製作工程





    塩屋レジンキットです。メーカーはポーランドのニコモデルで、隙間を埋める商品ラインナップで有名です。
    レジンキットのため、ざるに部品を全て広げ、パーツクリーナーをしっかり吹いて、離型剤を流します。
    レジンキットのため、船体はバリなどがあるため、しっかり形成、補修を行います。
    艦首側からサフ吹き準備を行いプラサフを吹きます。この段階で、
    船底にマルーンを吹き、1mmマスキングします。諄いようですが、パーツ洗浄していないと、これだけでも簡単に剥離します。
    艦底マスク後、鋼板継ぎ目の再現のため、マスク>プラサフ吹きを繰り返します。





    次いで、甲板の再現です。可燃性の物を排除してある関係で、リノリウムも木甲板もありません。色は船体色に50%黒を混色したものですが、基本が、私の場合、ウォッシング前提のため、軍艦色に予め白を50%混色してあるので、甲板は佐世保色としました。(混色無しの純粋な佐世保色)
    甲板を吹き終えたら、その部分をマスキングしていきます。
    高角砲の再現は、補強材などがないので、梯子と防盾の側面補強筋を再現してやりました。





    艦首側から部品の加工、設置を進めていきます。
    短艇は、付属の9mカッター7mカッターを使用します。内火艇だけは、エッチングとフジミ製のものを使用しました。写真は作業途中の物です。
    実は、この高角砲、ギミックで、今製作中の羽黒で使用した、ピットロード製高角砲A1改1同様、仰角が動かせます!是非お手にされたら、仰角変更を行ってみて下さい。
    艦尾側が完成したら、補足の艤装品、後部デリックポスト周りを仕上げます。





    この後の撮影は、多忙で出来ませんでしたが、細かな補正、ウェザリング、張り線を行い完成です。

完成写真

HULL SCAPE

ZOOM UP

WATERLINE VIEW

 



撮影環境
ミニクリプトン球(電球色)6燈直射による自作撮影ブース
撮影に使用したカメラなどの機材
Nikon D90, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
撮影時のカメラの設定値
F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7

製品所在


皇紀弐六七弐年五月弐拾弐日竣工

あとがき


 

編集 岵囃子裕二(タヌポンの工廠長)@軍艦堂 トップへ