概観諸元

分類:戦艦 クラス:戦艦
艦番:1903計画艦11計画第3号装甲巡洋艦
起工:1912(明治45)年起工 竣工:1915(大正4)年竣工
型式:金剛型 艦番:4番艦
艦名:霧島 初代霧島
由来:地名 宮崎県と鹿児島県の県境にある霧島山に因む
諸元:基準排水量:-,---トン 公試排水量:36,668トン 常備排水量:-,---トン
全長:222.65m 全幅:31.01m
兵装:

竣工時
第二次改装時
45口径35.6センチ連装砲x4 45口径35.6センチ連装砲x4
50口径12.5センチ単装砲×16 50口径12.5センチ単装砲×14
53センチ魚雷水中発射管×8 撤去
短8cm砲×4 撤去
朱式6.5ミリ機銃×3 撤去
- 12.7センチ連装高角砲×4
- 25mm連装機銃×10


搭載機:1941年時 九五式水上偵察機×2
信号符字 Juliet - Golf - Blavo - Alpha
J G B A

概要

霧島(きりしま)は日本海軍の軍艦。最終時は戦艦で、金剛型戦艦の4番艦。
艦名は、宮崎県と鹿児島県の県境に広がる霧島山にちなんで命名された。日本海軍の命名慣例については日本艦船の命名慣例を参照のこと。なお、名称は、海上自衛隊のこんごう型護衛艦の2番艦きりしまに受け継がれている。
1912年3月17日、三菱合資会社三菱造船所(現・三菱重工長崎造船所)で巡洋戦艦として起工。
1913年12月1日進水、
1915年4月19日、佐世保鎮守府所属として就役。
1930年に第一次近代化改装、1936年に第二次近代化改装を受けている。全幅の拡大は、魚雷に対する防御の一環でバルジが装着された為で、第一次近代化改装によって、機関出力は向上しているものの、速力は逆に低下している。 太平洋戦争開戦時、戦艦比叡と共に第3戦隊第2小隊を編成、真珠湾攻撃・インド洋作戦・ミッドウェー海戦に参加。
1942年11月15日には、第三次ソロモン海戦で米艦隊と交戦し、至近距離での砲撃戦を展開する。この時、霧島の主砲塔にはヘンダーソン基地艦砲射撃の為、三式弾が準備されていたが、霧島は対艦戦闘用の徹甲弾に変更せず、そのまま、三式弾で米戦艦サウスダコタへの攻撃を開始。サウスダコタは日本艦隊から42発の命中弾を受け、上部構造物にダメージを受け、電気系統の障害を起こして射撃不能となり、戦場から離脱した。しかし、霧島はサウスダコタの後方にいた米戦艦ワシントンからのレーダー照準による集中砲火を浴びる。サウスダコタが集中攻撃を受けた為、ワシントンは殆ど日本艦隊からの攻撃を受けていなかった。
近距離での砲撃により、霧島は戦闘開始後わずか7分にして9発の命中弾を受けた。後部の三番、四番主砲塔は破壊され、艦橋も大破。艦上は大火災となり、舵取り室も破壊された。霧島は操舵不能となり、左に旋回を続けて戦列から脱落した。
霧島は人力操舵と消火活動を行い戦列復帰に努めたが、蒸気パイプが破損して高圧蒸気が噴出した為、機関科員の殆どが戦死するなど被害は甚大で、消火に成功したものの、艦は停止する。
艦長は総員退艦を命じ、キングストン弁を開いて自沈処理を行った。0130(15日午前1時30分)、霧島はサボ島西方11マイルの地点に左舷後部から海中へと没した。退避した乗員は照月 (駆逐艦)などに救助された。
霧島は太平洋戦争に参加した日本戦艦12隻中、唯一、戦艦同士の砲撃戦により沈没した艦であった。 沈没時、世界最大の直径のスクリューを持つ艦船だったとされる(反対意見あり)。
同年12月20日除籍
近年、海底調査によって、完全に転覆している霧島の船体が発見された。沈没地点の水深は900メートル。 

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同型艦:

使用部品

1941年開戦時

1941 真珠湾攻撃時


完成写真

HULL SCAPE

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WATERLINE VIEW

 

製品所在


皇紀弐六七弐年(2012年)正月子日軍艦堂工廠第壱渠ニテ起工
同年七月壱拾六日竣工
西日本在住のコレクター様製作依頼所蔵品

あとがき


金剛型は全て、はっきり面構えが異なるので、比較すると面白い艦級です。

編集 岵囃子裕二(タヌポンの工廠長)@軍艦堂 トップへ