概観諸元

分類:艦上爆撃機 クラス:爆撃機
機体略号:D3A1
運用開始:1940(昭和15)年
名称:九九式艦上爆撃機( きゅうきゅうしきかんじょうばくげきき )
型式:一一型
製造:愛知時計電機製
全長:10.185m 全幅:14.360m  全高:3.348m 自重:2,390kg
兵装:機首7.7mm機銃×2(-発) 後方旋回7.7mm×1(-発) 250kg爆弾×1 60kg爆弾×2
乗員:2名
エンジン:三菱 金星四四型 (または四三型) 1,060hp
最高速度:381.5km/h
航続距離:1,472km
上昇限度:8,070m
コードネーム:Val(ヴァル)

概要

愛知 九九式艦上爆撃機(あいち きゅうきゅうしきかんじょうばくげきき)は、昭和11年(1936年)「十一試艦上爆撃機」として試作が始まり、愛知航空機(1943年愛知時計電機から独立)が受注・生産を行い、太平洋戦争初期に活躍した、日本海軍の艦上急降下爆撃機。
通称「九九式艦爆」、もしくは「九九艦爆」。記号はD3A。アメリカ側コードネームはVal(ヴァル)。
愛知は、ドイツのハインケル He 70(海軍が民間型を1機輸入)を参考に、全金属製・固定脚、主翼両側下面に急降下制動ブレーキ板(ダイブブレーキ)を配置し、主翼は低翼式を採用、主翼・尾翼の端を楕円形とした。
昭和13年(1938年)に初飛行に成功。
量産機では三菱の金星四四型(または四三型)が搭載された。
九九艦爆は、零式艦上戦闘機・九七式艦上攻撃機と共に、太平洋戦争前期の日本海軍の快進撃を支え、真珠湾攻撃やセイロン沖海戦などで高い急降下爆撃命中率を示した。
ハワイ海戦において九九艦爆は78機が艦船攻撃に参加し78発を投弾、うち命中確実なものは47.7%と算定された。
アメリカ側の判定による250kg爆弾の命中状況は、戦艦ネバダに6発以上、戦艦メリーランドとペンシルベニアに1発、軽巡ヘレナとローリーに1発、駆逐艦カッシン、ダウンズ、ショーに1発となっている。
したがって78発中9発の命中であり実際の命中率は12%であった。
ポートダーウィンでは在泊46隻中、21隻を撃沈、湾外で2隻撃沈、米軍水上機母艦「ウィリアム・B・プレストン」、大型貨物船9隻が大破、合計4万3429トンを海に沈めた。
クリスマス島沖にて給油艦ペコスを撃沈、ほかに駆逐艦エドソールを撃沈した。ペコスを攻撃した「加賀」艦爆9機は、命中弾1発だけだったという。
ジャワ島チラチャップ港空襲では、商船3隻を撃沈、商船14隻を撃破し、のちに日本軍占領の際に14隻は自沈した。
洋上では商船「ブーラウ・ブラス」、「ウールガー」が九九艦爆によって撃沈された。
セイロン沖海戦でも高い爆撃命中率を示し、4月5日イギリス海軍重巡洋艦コーンウォールとドーセットシャーを、攻撃開始からわずか二十分足らずで撃沈。攻撃に参加した九九艦爆は赤城、蒼龍、飛龍から発進した53機である。
バッティカロア沖にて空母ハーミーズと駆逐艦ヴァンパイア、コルベット ホリホック、給油船アセルステーン、ブリティッシュ・サージャントが、赤城、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴から発艦した九九艦爆85機による攻撃で撃沈した。ハーミーズは45機に爆撃され、爆弾37発を被弾、平均命中率は82%である。
九九艦爆はこの後も戦場に投入され続け、戦歴は珊瑚海海戦、ミッドウェイ海戦、ソロモン海戦、南太平洋海戦、「い」号作戦、「ろ」号作戦、マリアナ沖海戦、フィリピン島決戦、沖縄決戦に至る。
珊瑚海海戦では翔鶴と瑞鶴の艦爆隊が投入された。昭和17年5月7日、駆逐艦シムスを撃沈しタンカー1隻を撃破した。空母レキシントンに250kg爆弾2発、ヨークタウンに1発の命中弾を浴びせ撃破した。
ミッドウェイ海戦では赤城、加賀、蒼龍が沈没する中、飛龍は2度にわたって反撃を行い、ヨークタウンを撃破炎上させた。
第二次ソロモン海戦で、翔鶴と瑞鶴の艦爆隊は空母エンタープライズを攻撃、27機の九九艦爆が出撃し急降下爆撃を敢行した。
南太平洋海戦では、瑞鶴の艦爆隊21機が出撃し、空母ホーネットに命中弾5発を与えた。翔鶴艦爆隊の19機はエンタープライズを攻撃し3発が命中。また隼鷹艦爆隊17機が出撃、軽巡サン・ジュアンと戦艦サウスダコタに命中弾1発を与えた。さらに4機が漂流状態のホーネットを攻撃して1発を命中させた。放棄されたホーネットはこの後日本軍の駆逐艦秋雲と巻雲により雷撃処分された。
「い」号作戦以降は艦爆隊が陸上基地へ進出して戦うようになった。また、陸上基地航空隊に配備された九九艦爆が作戦参加の主体となっていく。
九九艦爆の、空母からの作戦参加はマリアナ沖海戦によって終了した。九九艦爆は空母大鳳、翔鶴、瑞鶴、隼鷹、飛鷹、瑞鳳に配備されていた。
続くフィリピン島決戦、沖縄決戦では特攻機として突入した。沖縄決戦時には、旧式化した九九艦爆に戦術的な用法の選択肢は少なく、特攻に主用された。
九九艦爆はこのほか、各基地で哨戒・索敵・攻撃に従事した。
日本海軍の護衛空母は速力が遅い上にカタパルトを装備していなかったため、滑走距離を必要とする彗星などの新型機を運用する事は難しかった。それ故に、日本海軍は性能的には旧式となったにも関わらず、九九艦爆を使用し続けざるを得なかったのである。 新鋭戦闘機F6Fの大量投入や近接信管(VT信管)の開発がなされ、米軍の反攻体制の整いだしたソロモン諸島の戦いからは、低速で防弾装甲も貧弱な九九艦爆は多大な消耗を重ね、パイロットの犠牲者は膨大な数に及んだ。だが九九艦爆はエンジン出力と速度を改良しただけの二二型が使用され続けた。
その生存性の低さから「九九式棺桶」と揶揄されたという。「窮窮式艦爆」というあだ名もつけられている。
九九艦爆はハワイ海戦において米軍の保有する戦艦戦力を撃破し、航空決戦思想の有用性を証明した。さらに空母によって運用された機体は、南方各地の拠点と港湾を空爆し、日本軍の迅速な南方進出を支えた。
大戦初期から中盤において本機を装備した空母艦爆隊は、アメリカ軍の空母部隊と激闘を交え、これを撃破する大きな役割を果たした。
史上初の空母対空母の決戦に参加したのも本機である。 しかし、その後の戦局の悪化と機体性能の陳腐化、老朽化には対応できず苦戦を強いられ、最後には特攻機として投入された。 総合するならば、本機は幾多の功績と敗北に彩られた歴史的な軍用機である。

Wikiより抜粋

補足情報

同型エンジン採用機には零式三座水偵や零式輸送機があります。

系列機:

使用部品

真珠湾攻撃

加賀艦載機

  1. 製作工程




    加賀艦載機、九九艦爆の製作です。今回使用のキットはドラゴン製5045です。恐るべきドラゴン!普通の人では、このキットは製作出来ません。なぜなら・・・
    今後マニュアルが修正されるのか、再入荷があるのかないのかわかりませんが、マニュアル壊滅的に間違いだらけです(笑)。ランナー枠番号違い、部品番号違い、塗装指示無しや違い、あるはずの部品の取付け指示記載無し、左右逆、前後逆などなど・・その間違い率70%以上、この数字、おかしくないですかね?(;´Д`)
    ということで、組み立て説明書は絵で推測、ネットで確証を得て組立てとなります。
    ちなみにキット自体は合いこそ修正が必要ですが、モールドは細部にわたってなかなかの物。こちらは満足です。
    先ずはコクピットから製作です。配管、開口、シートベルトなどを施して、機内色塗装です。愛知製の機内色は市販が無いので、青+緑+わずかの茶色で調色した物を吹いてあります。マットは半光沢にしてあります。





    コクピットの細部加工、塗装、墨入れを行います。
    機体は内側からシルバーコートした上に錆腐食止め塗装の青竹を吹きます。胴体部分は透け防止です。表もシルバーコートすると、ほぼ透けません。





    主翼下部を取付けます。合いは良くないので、接合部分は丁寧に修正を行います。しっかり硬化したら、主翼上パネルを載せます。機体との接合部分は、ポリパテを盛って、すぐにエナメル溶剤を含ませた綿棒で余分目を拭き取ってやります。
    今回は翼端跳ね上げ、フラップダウン状態の再現を行いますので、ちらりになる断面や内面をシルバーコートした上に防腐塗装を行います。ここに、他の方は、クロメイトイエロープライマーを吹いてる方もいらっしゃいますが、それもなかなかリアリティがあっていかなりイイですね。(注:その方は模型的再現で、敢てなさったそうです)





    青竹部分へ吹き込まないように注意しながら、全体をシルバーコートしてやります。翼端も同様に作業をい行い、明灰白色を吹いてやります。
    カウルは内側に防腐処理、外はマットブラックで、こちらもシルバーコートしてあります。





    マスクで日の丸は再現です。ちなみにデカールはパステルレッドみたく明るすぎでした。しかし、この翼端ぎりぎりの日の丸はバランスセンス的にどうなんでしょう?これはこれでいい存在感ではありますね。ただ、日の丸が映えるのは、零戦や以降の艦載機の様に、もうすこし機体よりの位置がいいような(;´Д`)。
    明灰白色の機体後部への塗装のため、フック格納庫にマスクを施し、明灰白色を吹きます。





    自作マスクで機番の塗装です。実際はデカールの方が無難に綺麗なんですけど、段差や、歪さもまたリアリティがあるので、定番作業です。さすがに米軍のイラストやポッピーなロゴ、文字はデカールお任せですけどね。(笑)





    塗装は機体上面に写ります。塗装が完了したら、機首の遮光塗装部分を行います。この微妙な曲線も自作マスク頼りです。
    翼端の日の丸の残る部分も塗装しておきます。





    機体の日の丸塗装の作業です。左右で位置がずれないように位置決めはしっかり行います。
    次いで主脚の流線模様です。実はここもマスクを製作しておいたのですが、曲線がきつく、且つ、部品自体が小さいため、思う様に安定定着してくれなかったので、ここは通常のマスキングテープです。微妙な曲線ラインは1mm幅のマスキングテープを使用して再現し、周囲を角切りで被いました。
    フラップはダウン状態再現です。フラップ側は防腐加工無しですが、擦れと無塗装部分は再現しておきます。





    4枚のフラップを取付けたら、ウェザリングです。写真は機体半分までウェザリング処理してあります。黒系で墨入れすると青みが勝つので、暖色系にするため、茶色で行ってあります。
    所属識別帯はマスクで塗装です。コレが地味にムズイノデス(笑)。なので、最後の方まで先送りでした(;´Д`)。
    識別帯が終了したら、下面のウェザリングと、爆装準備の支持装置も取付けます。排気管はそのままだと分厚いので、開口して先端の縁を鋭利に削ぎ込みます。
    25番と6番の爆弾を用意します。が、真珠湾時は両翼の6番は搭載してなかったらしいので、一応準備だけしておきます。





    当初はデカールで再現しようかと思っていた、水平尾翼の流線マークですが、目立たないかと思っていたのですが、やはり、眼前に機番があるので、否が応にも比較してしまいます。明らかに違うので、急遽マスク作成です。塗装が完了したら、機体後半のウェザリング作業です。





    ウェザリング作業が完了したら、下部へ周り、250k爆弾装着と排気痕を再現して、下部の仕上げへと進めます。
    エンジンカウルをはめてみたらすきまから向こうが見渡せる状態なので、(配管部品などはありません。)見た目、的にも、模型的にも、これは再現しておく必要があります。
    昔製作した零戦のあまった配管部品があったので、それをエンジンへ配管を伸ばし、前側はプラグケーブルを配線します。エンジン自体のモールドはそこそこしっかりしているので、これだけでも見た目、的に、格段に向上します。





    露出が明るめなので、エンジンカウル内がメタリックグレーと焼鉄とシルバーの区別がなくシルバーに見えてます(爆)
    最後に 細かな作業で、照門、照星、両翼端舷灯を再現します。舷灯は別パーツなので、クリアー盛りでテカらせます。
    最後にキャノピーとアンテナ、アンテナ線で完成です。

完成写真

LAND SCAPE

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撮影環境
ミニクリプトン球(電球色)6燈直射による自作撮影ブース
撮影に使用したカメラなどの機材
Nikon D90, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
撮影時のカメラの設定値
F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7

製品所在


売却額 12,000円にてコレクター様に売却

あとがき


米軍機SBD,SB2Cと比較したら何一つ勝るものの無いといわれる機体ですが、私はこの機体が大好きで誇りに思っています。(`・ω・´)b
注:実はSBDに対しては、上昇限度、航続距離は九九艦爆がまさってるんです。

編集 岵囃子裕二@軍艦堂 トップへ