概観諸元

分類:重巡洋艦 クラス:一等巡洋艦
起工:1935(昭和10)年起工 竣工:1939(昭和14)年竣工
型式:利根型 艦番:2番艦
艦名:筑摩 2代筑摩 初代:筑摩型防護巡洋艦1番艦筑摩。1912年竣工。1931年退役。1935年標的艦として撃沈処分。
諸元:基準排水量:11,213トン 公試排水量:13,320トン
全長:201.6m 全幅:19.4m

概要

筑摩(ちくま)は、日本海軍の重巡洋艦。利根型の2番艦である。艦名は筑摩川(千曲川、信濃川の上流部)に因んで命名された。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。
三菱重工業長崎造船所にて建造。筑摩は就役後、第二艦隊第六戦隊所属となった後、1939年11月に第八戦隊所属となった。 1940年3月から1941年3月にかけて中国南部で3度作戦に従事した。 太平洋戦争初期は機動部隊に属し、真珠湾攻撃(1941年12月)、セイロン沖海戦(1942年4月)、ミッドウェー海戦(1942年6月)などに参加した。ミッドウェー海戦では、筑摩の水上偵察機が米艦隊上空を通過したにもかかわらずこれを見逃し、また米艦載機と接触しながらこれを報告しなかったことが、米艦隊発見の遅れに直結し、重大な敗因の一つになったと言われる。
1942年7月以降、第3艦隊に所属し、第二次ソロモン海戦(1942年8月)、南太平洋海戦(1942年10月)に参加した。南太平洋海戦では、10月26日に「ホーネット」 (USS Hornet, CV-8) の急降下爆撃機の攻撃を受け中破した。この中破を契機に軽空母への改造の話が持ち上がったことがある。 修理後は主に中部太平洋で行動していたが、1943年11月アメリカ軍がブーゲンビル島上陸したことに対し、ラバウルに進出した。11月5日、ラバウルに於いて米機動部隊による空襲を受け小破した。 1944年初頭、筑摩は第七戦隊所属となった。3月から5月までインド洋で通商破壊戦に従事した後、機動部隊に所属しマリアナ沖海戦(1944年6月)に参加した。 1944年10月、栗田艦隊に所属してレイテ沖海戦に参加。25日、サマール島沖海戦に於いて戦艦「金剛」、重巡「羽黒」と共に米護衛空母「ガンビア・ベイ」 (USS Gambier Bay, CVE-73) を撃沈するが、米艦載機の攻撃を受け魚雷1本を艦尾に受ける。舵故障と速力低下のため艦隊より取り残され、応急修理を施したがその後、艦の傾斜が増し沈没した。生存者は駆逐艦「野分」に救助されたが野分もその晩に敵艦隊の砲撃により撃沈された。「野分」に救助されなかった1名が3日間の漂流ののちに米軍に救助され、戦後日本に帰還した。「筑摩」「野分」の生存者はこの1名のみだった。

Wikiより抜粋

同型艦:

使用部品

製作工程

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完成写真

HULL SCAPE

ZOOM UP

 



撮影環境
ミニクリプトン球(電球色)4燈直射による自作撮影ブース
撮影に使用したカメラなどの機材
Nikon D40X, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
撮影時のカメラの設定値
F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7

製品所在

2隻同時製作
艦番1: 
艦番2: 

展示箇所はこちら

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あとがき

 

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