概観諸元

分類:戦艦 クラス:戦艦
艦番:BB-39
起工:1914(大正3)年起工 竣工:1916(大正5)年竣工
型式:ペンシルベニア級 艦番:2番艦
艦名:アリゾナ 3代アリゾナ
由来:州名 アメリカ合衆国48番目の州に因む
諸元:基準排水量:33,100トン 満載排水量:36,500トン
全長:185.32m 全幅:32.39m
竣工時兵装:45口径35.6センチ三連装砲×4 51口径12.7センチ単装砲×12 25口径12.7センチ砲×8 28mm対空砲×8 12.7センチ対空砲×8
最終時兵装:45口径35.6センチ三連装砲×4 51口径12.7センチ単装砲×12 25口径12.7センチ砲×8 28mm対空砲×8 12.7センチ対空砲×8
搭載機:2機
信号符字 現在不明 調査を行いましたが、割り当てがなかったのか、アメリカ合衆国サイトを調査しましたが、結論としてコールサインは見つかりませんでした。
2012/3/9 コールサイン 情報発見しました。 Nobember - Alpha - Charly - Victor

N A C V

概要

アリゾナ (USS Arizona, BB-39) はアメリカ海軍の戦艦。
ペンシルベニア級戦艦の2番艦である。艦名はアメリカ合衆国48番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては3隻目。
アリゾナは1941年12月8日の真珠湾攻撃で1,177名の兵士と共に沈没した。現在も湾の底に沈没状態で保存され、船体上にアリゾナ・メモリアルがある。
1913年3月4日にアメリカ議会は「超弩級戦艦」であるペンシルベニア級戦艦2番艦の建造を認可した。アリゾナは1914年3月16日にブルックリン海軍工廠で起工し、1915年6月19日にアリゾナ州プレスコットの名誉市民であるW・W・ロスの娘のエスター・ロスによって命名、進水した。
1916年10月17日に初代艦長ジョン・D・マクドナルド大佐の指揮下に就役した。
1916年11月16日にニューヨークを出航したアリゾナはバージニア岬とニューポートで整調訓練を行い、その後グアンタナモ湾に向かった。12月16日にノーフォークに向かい、タンジール・サウンドで砲撃及び水雷防御訓練を行った。1916年のクリスマス前日にブルックリン海軍工廠に帰港し、整調後のオーバーホールを行った。
1917年4月3日にオーバーホールが完了し、翌日ノーフォークに到着、第8戦艦部隊に合流した。
1941年12月8日、日本海軍による真珠湾攻撃が行われた。アリゾナにおいて空襲警報は07:55頃に発令された。艦は直ちに総員配置となり、08:00過ぎに航空母艦加賀からの九七式艦上攻撃機が投下した800キロ爆弾が四番砲塔側面に当たり、小火災が発生した。 08:06に一番砲塔と二番砲塔間の右舷に爆弾が命中し、弾薬庫が爆発、艦の前方が大破した。
後の専門家達は爆弾が装甲を貫通することは無かっただろうと推測している。その代わり、艦載機カタパルトに使用された黒色火薬にまず着火し、続いて砲弾用の無煙火薬に誘爆したと考えられた。1944年の BUSHIP 報告書では黒色火薬庫のハッチが可燃材料と共に開放されたままであったのではと示唆している。しかしながらアリゾナの水平装甲はたった76ミリしかなく、250キロ - 500キロ爆弾でも容易に貫通できるとする意見もあり、今日では水平爆撃で投下された爆弾によって誘爆したという見識が主流である。
アリゾナは二日間炎上し、爆発の残骸はフォード島に多数降り注いだ。 アリゾナでは士官、兵共に英雄的行動が多数見られた。艦のダメージコントロール担当士官であったサミュエル・G・フークァ少佐は冷静に火災に対処し、生存者の救出を試み、後に名誉勲章を受章した。
第二次世界大戦において乗艦して戦死した初のアメリカ軍将官となったアイザック・C・キッド少将、および艦橋で戦闘指示を行っていた艦長のフランクリン・ヴァン・ヴァルケンバーグ大佐も死後に名誉勲章を受章した。
艦前部の損傷は激しく、修理は断念された。アリゾナの一部の兵装は、損傷したほかのペンジルバニア級戦艦に転用され、再利用された。
沈んだアリゾナの後部三番、四番砲塔は無傷のままだったため、陸揚げされて海軍から陸軍へ委譲され、オアフ島要塞の要塞砲としてオアフ島南西端と東海岸に設置された。
南西端の砲台はアリゾナ砲台、東海岸の砲台はペンシルベニア砲台と命名された。
地中設置式に改造するための工事は難航し、完成したのは1945年8月であり、そのまま一度も交戦することなく1947年から1948年にかけて解体された。
アリゾナ・メモリアル アリゾナの残骸は真珠湾に現在も残る。1950年3月7日、アーサー・W・ラドフォード提督(当時の太平洋艦隊司令長官)はアリゾナの残骸の上に国旗を掲揚することを命じた。
また、アイゼンハワー大統領とケネディ大統領の任期の間に政府はアリゾナの残骸を国定慰霊碑にすることを決定し、1962年5月30日に正式に指定された。
アリゾナ・メモリアルは、戦死した乗組員の名が刻まれた大理石の壁が船体の上を横切る形で設置されている。アリゾナの上部構造及び主砲塔四基のうち三基は撤去されたが、一基の主砲塔リングは現在も水面下に確認できる。追悼式が毎年生存者も参加して行われている。
海上自衛隊の艦艇は真珠湾を通過する際、アリゾナに対して敬礼を行っている。
アリゾナの爆発から69年が経過した2010年の現在も船体から油が漏れだし水面に浮かんでいる。一日あたり1クォートの油が漏れ続けている。
乗組員達は最後の生存者が死ぬまで油は漏れ続けるだろうと語っている。生存者の多くは、自らの死後火葬の上、遺灰をアリゾナに撒いてもらうよう準備している。
海軍は湾の環境悪化を懸念して油の漏出対策を考慮している。 アリゾナは第二次世界大戦の戦功により1個の従軍星章を受章した。
アリゾナ・メモリアルは1966年10月15日に国家歴史登録財に登録された。艦自体は1989年5月5日にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。
なお、この艦に関しては、現在でも殉職した乗員も含めて米海軍に在籍しているといわれることが多いが、それは間違いであり、上記の通り本艦は除籍となっている。但し、本艦及びその戦没した乗員を悼んで、合衆国旗が本艦のメインマストから伸びたポール上に掲げられている。このことが、本艦が現在でも米海軍籍にあると信じられる理由となっているものと思われる。

Wikiより抜粋

同型艦:

使用部品

1941真珠湾攻撃時

製作開始

  1. 製作開始





    アリゾナの製作です。この商品は、昨年6月に発売予定だった商品です。 数年前に生産販売されたものです。不定期生産のため、完売後は数年待つことになります。
    キットは、申し分の無い仕上がりです。稀に、隅っこに離型剤が残ってる痕跡があるので、スプレー式パーツクリーナーで洗浄します。その関係で、写真はまだ水滴が残ってます。
    パーツ構成は220パーツ越え、金属砲身、チェーン(使いません)、エッチング2枚セットです。 エッチングはカタパルト、両舷クレーンも無いので、ゴールドメダル製など戦艦用のものを準備します。GM社製には、砲塔上のカタパルトも通常のカタパルトも、ファンネルキャップも、そして、艦橋後部のヤードも全て付属しています。
    作業は、船体加工から入ってますが、先に主砲塔の写真からです。軸受けはピンバイスで開口して軸受けを挿入するタイプでは無いため。固定は確実に行います。
    アンカーは左舷が2右舷が1、チェーンは実艦写真に基づき配置します。キットはチェーンが無い箇所までアンカー取付け指示ですが、取付けはしないようにします。(らんないですね。)
    旗竿は支柱なしで、中、折りたたみタイプ。折れる場所から両サイドに支索が伸びています。
    キットは後支えの支柱で、取付穴が開いていますので、そこはパテで埋めます。





    甲板塗装です。今回も4回に分けての塗り分けです。
    甲板の張り方は規則性がありますが、木目や色味に規則性はないため、全くのランダムで問題ありません。今回もいつも通り、黄色の濃い>木質感のある>退色気味の>基本タンで行きます。





    上甲板は控えめに、塗り訳を行います。
    艦橋は見張指揮所部分の窓枠をカットしてエッチング窓枠を取付けますので、下準備しておきます。煙突は各部エッチング交換。頂部は、明治期の軍艦のように皿状の板があるので、開口はしません。
    短艇類はグレー系で塗られてたり、木質っぽく見える物があったり、様々なので、タンを吹きました。艦艇は、半分黒かと思ったら、手持ち資料では全部グレーでした。
    内火艇(に相当する物)は上部構造が(幌ではないけど幌っぽい部分)白、甲板がウッドブラウン系、船体つや消し黒、艦底赤というタイプと、艦底グレーのタイプとこれまた様々写ってます。時代的な軸での違いならいいのに、よりによって同じ写真に写ってるから始末が悪いです。(汗)
    艦橋は下部構造も徐々に作り始めています。
    上部甲板をマスキングして塗装準備を行います。





    上甲板塗装完了です。まだ手摺は設置してません。
    艦橋は手摺、探照燈のレンズ面、ラッタルをエッチングで再現します。
    窓枠は再現するために、その部分を切除しておきます。塗装後、窓枠にガラスを再現します。奥の構造物とのスペース的な問題、窓枠の低さ(0.6mm)の為、従来の透明樹脂板でのガラス再現は困難ですが、特別な方法を用いてガラス再現しました。
    この方法では、従来、窓枠周囲がてかるとか様々ご意見を頂きましたが、今回の改良方法では、てかりはでなくなりました。
    艦橋楼、後檣とも概ね完成です。





    艦橋楼、後檣の窓枠下の隙間をパテ趨勢して、削って、再塗装をしました。煙突頂部のすすけを再現して、艦橋、煙突の完成です。
    船体は、前部よりマスクしてブロック単位で塗装を行っていきます。上甲板も設置です。この段階で、モールドを削ぎ落とした通風筒を設置し直してあります。
    副砲は接着してありません。全部で10基あります。
    前部側より艤装兵装を設置していきます。





    後部甲板もマスキング後、エア吹きします。通風筒など後部甲板の艤装品類各種設置、続いて、艦尾までの兵装、艤装品類を設置して行きます。
    今回は、真珠湾繋留時再現ですので、係船桁、舷梯を再現していきます。





    大きな艤装品は、艦尾クレーン、カタパルト(今回は、砲身との映り込みでかぶりを防ぐため敢て旋回状態にしてあります)、両舷クレーンです。
    艦載機は塗装指示はネービーブルーとマットホワイトなのですが、手持ちの資料で破損してひっくり返ってる写真はライトブルー系のうす色だったので、その色で塗装しました。
    短艇の内火艇は、下が赤、船体がつや消し黒で、甲板タン、キャノピーがマットホワイトとしました。
    舷梯を両舷各2基、エッチングは屋根付きですが、その部分はカットします。
    最後にウェザリングを施し、船体の完成です。この後、トップコート、張り線を施し、完成となります。

    製作:岵囃子裕二 (タヌポンの工廠長)

完成写真

HULL SCAPE

ZOOM UP

WATERLINE VIEW

 



撮影環境
ミニクリプトン球(電球色)6燈直射による自作撮影ブース
撮影に使用したカメラなどの機材
Nikon D90, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
撮影時のカメラの設定値
F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7

製品所在


2012年3月12日完成

あとがき


真珠湾にメモリアルとしていまでも海底に眠る戦艦です。メモリアルで海面上に顔を出している砲塔は第3砲塔です。

編集 岵囃子裕二(タヌポンの工廠長)@軍艦堂 トップへ