概観諸元
分類:水上機母艦 クラス:水上機母艦
艦番:海軍軍備充実(④)計画水上機母艦第131号艦
起工:1940年起工 竣工:1942年竣工
型式:単独艦 艦番:1番艦
艦名:秋津洲 二代秋津洲 初代は防護巡洋艦秋津洲
由来:地名 日本の古名 古事記で神武天皇があきつ(とんぼ)が交尾するような形の国土と表現したことによる。
諸元:基準排水量:4,650トン 公試排水量:5,000トン
全長:114.8m 全幅:15.8m
兵装:
竣工時 |
戦没時 |
12.7cm連装高角砲×2 | 12.7cm連装高角砲×2 |
25mm連装機銃×2 | 撤去 |
- | 25mm三連装機銃×6 |
- | 25mm単装機銃×3 |
搭載機:停泊時に限り飛行艇1機搭載可能。
信号符字:Juliett - Quebec - Victor - Alpha
概要
秋津洲(あきつしま)は、日本海軍の水上機母艦。
類別は水上機母艦だが、実際には大型飛行艇への補給、整備を任務とする艦艇であり、飛行艇母艦と呼ばれる事もある。
水上機戦力に力を入れた日本海軍は飛行艇の前線基地での支援、洋上補給のための艦が要望された。そのため「神威」を改装したが十分でなく、昭和14年度計画(マル4計画)において新艦を建造することとなった。
完成した本艦は船体後部が飛行艇収容スペースに当てられ、艦尾に飛行艇を引き揚げる35tジフクレーンを装備、日本海軍では珍しい艦形となっている。
飛行艇母艦として行動していた頃は、単艦もしくは「秋風」などの駆逐艦1隻を護衛に伴っての行動が多かった。
本艦が施していた特異な迷彩塗装は、初代艦長、黛大佐の影響であった。第一次ソロモン海戦後のラバウルで、第8艦隊参謀長の大西新蔵少将が本艦の迷彩の事を「厚化粧みたいにゴテゴテ塗ってきたな」と指摘した時には「攻撃力がないから、昆虫のように保護色にしたんですよ」と黛艦長は説明した。
また、空襲の多いショートランド方面で行動していた際には、連日の爆撃から航海士が米重爆の水平爆撃のクセを見抜き、艦長に進言し「秋津洲流戦闘航海術」として実践した。これは停泊中に空襲を受けた場合に、両舷の錨を右舷側に偏らせ150mの所まで錨鎖を伸ばしておき、敵機が仰角38度になった時に前進一杯を号令すると艦が急速に右舷側に動いて回避できるという方法であった。
ラバウル方面で行動する時には、座礁すれすれの場所を通ることで米潜水艦の襲撃を防いでいる。
黛は「秋津洲流戦場航海術」と称していた。1942年8月8日には、三川軍一中将が指揮する第八艦隊と遭遇し、情報を交換した。第八艦隊側は、迷彩を施した秋津洲を見て敵艦と誤認しかけている。これが前述の「厚化粧」発言につながった。第八艦隊はその夜、第一次ソロモン海戦で大勝利をおさめた。
その後はその艦形を活かし物資輸送、魚雷艇の輸送、工作艦任務などに活躍した。
1944年9月、フィリピンのコロン湾で米空母艦載機の攻撃を受け沈没した。現在ではファンダイビングの沈船スポットになっており、海底に沈む船体を観察することができる。
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補足情報:
補足情報はありません。
同型艦:
- この艦に同型艦はありません。
考証
内容はまだ掲載されておりません。
バリエーション
- ピットロード製キット
使用部品
- 都度記載してあります。
製品所在
皇紀弐六七弐年(2012年)七月壱拾日起工
同年同月壱拾五日竣工
あとがき
長い間の目標だった秋津洲完成です。