概観諸元

分類:駆逐艦 クラス:1等駆逐艦
艦番:計画(丁型)一等駆逐艦第5496号艦
起工:1944(昭和19)年起工 竣工:1944(昭和19)年竣工
型式:松型 艦番:13番艦
艦名:植物 サクラ バラ科サクラ亜目サクラ属 2代桜 初代:桜型2等駆逐艦 昭和7年退役
諸元:基準排水量:1,262トン 公試排水量:1,530トン
全長:100m 全幅:9.35m
兵装:

竣工時
戦没時
40口径12.7cm単装高角砲×1 40口径12.7cm単装高角砲×1
40口径12.7cm連装高角砲×1 40口径12.7cm連装高角砲×1
25mm三連装機銃×4 25mm三連装機銃×4
25mm単装機銃×12 25mm単装機銃×12
九二式61cm4連装魚雷発射管×1 九二式61cm4連装魚雷発射管×1
爆雷投射機×2 爆雷投射機×2
爆雷投下軌条×2 爆雷投下軌条×2
二式爆雷×36 二式爆雷×36

搭載機:なし
信号符字:Juliet - Delta - Hotel - Yankee
J D H Y

概要

桜(櫻、さくら)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。松型の13番艦である。日本海軍の艦名としては2代目。
丁型一等駆逐艦第5496号として計画され、1944年(昭和19年)6月2日に横須賀海軍工廠で起工。
8月25日に「桜」と命名され、9月6日に進水した。11月25日に竣工し、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将(海軍兵学校41期))に編入された。
東京湾で慣熟航海を行った後、1945年(昭和20年)2月15日には桜と楢、椿、欅、橘、柳で第五十三駆逐隊(豊嶋俊一大佐)を編成した。
その直前の2月13日、桜は軽巡洋艦鹿島および第14号海防艦、第16号海防艦および第46号海防艦とともに基隆行きのモタ36船団(日昌丸(南洋海運、6526トン)、めるぼるん丸(大阪商船、5,423トン))を護衛するため門司を出撃した。
モタ36船団は2月14日深夜から翌15日未明にかけて朝鮮半島南西部の鞍馬島沖で仮泊した後、基隆目指して大陸沿岸部を航行。2月16日夜、桜と鹿島はモタ36船団から分離して上海に向かった。
1ヵ月後の3月19日、桜は第21号掃海艇とともにモタ02船団(吉林丸(大阪商船、6,783トン)、橋立丸(日本海洋漁業、10,021トン)[7])を護衛して門司に帰投した。
4月7日からは第五十三駆逐隊そろって第三十一戦隊(鶴岡信道少将(海軍兵学校43期))の指揮下に入り、再び瀬戸内海で行動した。 しかし、時すでに沖縄戦が始まっており、また関門海峡を中心に瀬戸内海のいたる所に飢餓作戦によって機雷が投下されていた。5月下旬、第十一水雷戦隊は舞鶴への移動が命じられ、桜もこれに従って舞鶴に向かった。しかし、5月25日午後に部崎灯台沖で触雷し、電気系統が故障するなどの被害を受けた。呉海軍工廠で修理を行った後、6月14日に呉を出港し、翌6月15日に大阪に到着した。7月、第五十三駆逐隊は第十一水雷戦隊とともに7月15日付で解隊して、桜は連合艦隊付属になる事が決まった。しかし、その直前に7月11日早朝、桜は和泉灘の錨地を出港して移動を開始したが、5時9分に艦後部に触雷して火災が発生。桜は後部弾薬庫の爆発によって左に傾き、艦首を水面上に露出させて沈没した。乗員のうち130名が戦死した。桜は8月10日に除籍された。

Wikiより抜粋

同型艦:

使用部品

1945年

1945年状態

  1. 製作工程





    駆逐艦桜(櫻)の製作です。この松型の製作は、私が艦船模型製作再開時に松を練習がてら製作して以来です。資料もそこそこ残っており、細部まで忠実に製作出来る数少ないクラスです。
    今回使用は、タミヤ製を使用しました。実は、ピットロード製のものもあります。楽なのはピットロードですが、工作を楽しみたいならば、手のかかるタミヤ製です。
    艦橋からです。既述ですが、資料のイラストと写真に沿って、可能な限り忠実に艤装品類を配置して行きます。
    機銃座はよく交換して背の高いブルワークにされてる方がいらっしゃいますが、写真の通りの低いタイプです。敢て交換では無く、既存のものを刃物ほどの薄さまで肉削ぎして行きます。
    マントレット、アンテナ、舷灯、機銃、双眼鏡、測距儀などなどを配置して、舷窓は0.4mmピンバイス開口して、その位置に舷窓のエッチングをあしらいます。





    完成したら、軍艦色をエア吹きします。プライマーは厳禁です。これだけ繊細になると、雑誌にもよくありますが、モールドや、エッチングの繊細な場合吹かない方が寄り綺麗に仕上がります。
    こするとはげますが、そのちからで、このヘッジホッグをサワルと壊れますからそれでいいのではないでしょうか。
    塗装が完成したら、細部の塗装を済ませて艦橋完成です。窓枠にはガラス樹脂を再現してあります。
    船体は艦首側から製作ですが、事前にリノリウム部分にレッドブラウンを吹いておきます。(実際は油や血痕、海水が染みこんだり、埃などで汚れたりで、もっと黒っぽかったそうです。ウッドブラウンのような色は新造時でも無い限り無かったそうです。)艦首側で再現したものは、艦首旗竿、手摺、防弾板、機銃、絡車、チェーン、アンカー、キャプスタン、ボラード、舷窓、ラッタルです。菊と刀、アドラーズネスト、ファインモールドなどのパーツを使用しました。




    艦尾側へ移って、同様に、手摺、ボラード、旗竿などを配置します。艦尾側は、あと、マスト、爆雷関連、魚雷運搬軌条、菊と刀製弾薬箱、ダビット関連ピットロード製新兵装セット4の爆雷投下器も設置します。
    塗装前なので、まだ未設置ですが、爆雷投射機は2セット搭載されていました。
    完了したら、艦底色を吹き、マスキングをして行きます。これだけの小型艦ですと、0.4mmマスクでいいのですが、底板が1mm厚あるため、1mmマスクを使用します。





    塗装完成したら、艦橋を載せて、細部の塗装を行います。しかし、マストが無いだけで、しまりが無いですね。(笑)
    これから補足の小物類の作業、マスト作業となります。 マスト、煙突(頂部開口、エッチングファンネルキャップ、ジャッキステー再現)、魚雷発射管(ピットロード製新装備セット使用+ジャッキステー再現)、短艇類(付属の6mカッターはあまりにも貧粗だったので、ファインモールド製7mカッター使用(6mの部品は通船しかどこも無い。゜(゜´Д`゜)゜。)。ちなみに、7mカッター以下は船べりにオールを固定する切り込みはありません。もし、駆逐艦で切り込みがある舟を搭載していたら、それは秋月型防空駆逐艦(のみ)です。)、この艦は輸送任務を行っていたこともあり、異例の10m運貨艇2艘(いわゆる小発)を搭載していました。





    魚雷運搬軌条を延長、迂回軌条設置、爆雷投下軌条左舷側延長、爆雷投射機前列側設置(投射機と装填ケージセットで)など、細かなディテールアップを行い、ウェザリングを施します。
    あと、張り線で完成です。

完成写真

HULL SCAPE

ZOOM UP

WATERLINE VIEW

 



撮影環境
ミニクリプトン球(電球色)6燈直射による自作撮影ブース
撮影に使用したカメラなどの機材
Nikon D90, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
撮影時のカメラの設定値
F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7

製品所在


皇紀弐六七弐年四月参拾日完成
関東在住のコレクター様所蔵

あとがき


戦時急造型とはいえ、個人的には大好きです。出来たら、平和な時に存在して舷側に "ラ ク サ" の文字と艦首にDD艦番を入れて残存していて欲しかったです。
ちなみにこのクラスは1番かどうかわかりませんが、残存数は多かったのではないでしょうか?

編集 岵囃子裕二(タヌポンの工廠長)@軍艦堂 トップへ