概観諸元

分類:重巡洋艦 クラス:重巡洋艦
艦番:-
起工:1936年起工 竣工:1940年竣工
型式:アドミラルヒッパー級 艦番:3番艦
艦名:プリンツオイゲン 初代プリンツオイゲン
由来:人名 オーストリアの軍人プリンツオイゲンに因む。
諸元:基準排水量:15,000トン 満載排水量:18,400トン
全長:212.5m 全幅:21.8m
兵装:

竣工時
最終時
20.3cm連装砲×4 20.3cm連装砲×4
10.5cm連装高角砲×6 10.5cm連装高角砲×6
37mm連装機関砲×6 37mm連装機関砲×6
20mm機関砲×8 20mm機関砲×8
- 20mm4連装機関砲×4
533mm魚雷発射管×12 533mm魚雷発射管×12


搭載機:アラド Ar196A 3機
信号符字:なし、または調査中 ご存じの方はこちらから情報をお寄せ下さい。
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概要

プリンツ・オイゲン (Prinz Eugen) は、ドイツ海軍の重巡洋艦(独:Schwerer Kreuzer)。
アドミラル・ヒッパー級の3番艦。1番艦のアドミラル・ヒッパー、2番艦のブリュッヒャーの設計に若干の変更を加えている為アドミラル・ヒッパー級第2グループとされている。
艦名は17世紀末から18世紀初頭のオーストリアの軍人プリンツ・オイゲンに因んで命名された。
強運の巡洋艦として有名。
1935年11月16日発注。1936年4月23日にキールのクルップ・ゲルマーニア造船所で起工。1938年8月22日に進水。その後1939年9月に第二次世界大戦が勃発し、ドイツはイギリスやフランスとの間で開戦し、就役前の1940年7月1日に、キールでイギリス空軍機による爆撃を受け軽微な損害を受ける。
1940年8月1日就役。
1941年5月、プリンツ・オイゲンは戦艦ビスマルクと共にライン演習作戦に参加する。デンマーク海峡でイギリス海軍の巡洋戦艦フッドと戦艦プリンス・オブ・ウェールズと交戦する。フッドはビスマルクの砲撃で爆沈し、プリンツ・オイゲンもプリンス・オブ・ウェールズに命中弾を与えた。その後、プリンツ・オイゲンはビスマルクと別れる。
1942年2月、シャルンホルスト、グナイゼナウとプリンツ・オイゲンをブレストからドイツ本国に帰還させるというツェルベルス作戦が実行された。この作戦はフランスのブレストからドイツのブルンスビュッテルまで、ドーバー海峡というイギリスの目の前を通過するという作戦だった。 この戦闘でプリンツ・オイゲンとグナイゼナウはイギリスの駆逐艦ウースターを大破させた。なお、この時シャルンホルストは触雷のため2隻とは離れていた。2月13日、プリンツ・オイゲンは無事にドイツに到着した。
1945年5月7日に退役し、翌日イギリス海軍に引き渡された。
プリンツ・オイゲンは激戦の続く中、終戦まで生き残った幸運艦であった。戦後アメリカ軍が接収、「USS プリンツ・オイゲン (USS Prinz Eugen, IX-300)」としてアメリカ海軍の艦籍に入る。ビキニ環礁での原爆実験標的艦として使用されたが、計2発の爆撃を受けても沈まず、クェゼリン環礁に運ばれる途中に浅瀬に乗り上げ転覆し、座礁。強運の重巡洋艦はここで生涯を閉じた。尚、スクリューのみはドイツ本国に帰還している。

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補足情報:

補足情報はありません。

同型艦:

考証

バリエーション

使用部品

1941年

ライン演習時作戦迷彩塗装時

完成写真

HULL SCAPE

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WATERLINE VIEW

製品所在


2012年7月19日軍艦堂第壱渠ニテ起工
同年8月6日竣工

あとがき


オイゲン王子です。アドミラルヒッパー級ですが、こちらの方が(第2グループ)有名です。

編集 岵囃子裕二(タヌポンの工廠長)@軍艦堂 トップへ