概観諸元

分類:重巡洋艦 クラス: 1等巡洋艦
艦番:計画22計画第4大型(一等)巡洋艦
起工:1925(大正14)年起工 竣工:1929(昭和4)年竣工
型式:妙高型 艦番:4番艦
艦名:羽黒 初代羽黒
由来:地名 山形県中央部に位置する山に因む。
諸元:基準排水量:13,963トン 公試排水量:-トン
全長:203.76m 全幅:19m
兵装:

竣工時
最終時
50口径20.3cm連装砲×5 50口径20.3cm連装砲×5
45口径10cm単装高角砲×6 撤去
留式7.7mm単装機銃×2 撤去
61cm3連装魚雷発射管×4 撤去
- 92式4連装魚雷発射管×4
- 40口径89式12.7cm連装高角砲×4
- 25mm連装機銃×8
- 25mm3連装機銃×4


搭載機: 水上偵察機 竣工時×2 第一次改装時×2 第二次改装時×3
信号符字 Juliet - Juliet - Hotel - Alpha
J J H A

概要

羽黒(はぐろ)は、日本海軍の重巡洋艦で、妙高型重巡洋艦の4番艦。艦名は山形県の羽黒山に因んで命名された。
三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)にて建造。 就役後は第2艦隊第4戦隊に所属。
1934年(昭和9年)5月に近代化改修に着手。1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争開戦時には第2艦隊第5戦隊に所属し、フィリピン攻略に参加する。
1942年(昭和17年)に珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦など数々の海戦に参加。
1944年(昭和19年)10月25日 サマール沖海戦で、アメリカ護衛空母の艦載機によって2番砲塔に爆弾を受け損傷した。その後修理されないまま、妙高や高雄と共にシンガポールに係留されていた。羽黒の損傷は妙高や高雄と比較して経度であったので、足柄 (重巡洋艦)などと同様に輸送作戦に従事することとなった。
1945年(昭和20年)5月12日、陸軍の要請により、アマダン諸島への輸送任務に駆逐艦「神風」とともに出撃。(ペナン沖海戦)
1945年(昭和20年)5月16日、イギリス海軍機の攻撃を受け損傷する。翌17日マラッカ海峡にてイギリス駆逐艦「ソマーズ」「ヴィーナス」「ヴィラーゴ」「ヴェルラム」「ヴィジラアント」と交戦する。(ペナン沖海戦)。イギリス駆逐艦に主砲の命中弾を与えて先制するが英駆逐艦の雷撃を受けた。羽黒は損傷のために速度を制限せざる得ない状況であり、戦場からの離脱を断念。随伴する神風を離脱させた。羽黒には最終的に3本の魚雷が命中し、02:32に船首部分から沈没した。同乗していた橋本信太郎中将、艦長杉浦嘉十大佐以下400名あまりが戦没した。
320名が引き返してきた神風に救助された。
その後60年近くを経て、2003年(平成15年)に「羽黒」の船体はダイバーによって海面下66mで発見された。
船体は海底に甲板側を上にして着底しているが、船体上部の損傷は大きく、艦橋やマスト、煙突に破壊の跡が確認できる。 2005年(平成17年)9月23日にはペナン島沖で日英合同慰霊祭が開催された。

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補足情報:

補足情報はありません。

同型艦:

使用部品

1945年

最終時


完成写真

haguro SCAPE

haguro UP

WATERLINE VIEW

 



撮影環境
ミニクリプトン球6燈直射による特設専用撮影ブース
撮影に使用したカメラなどの機材
Nikon D40X, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
撮影時のカメラの設定値
F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7 ただし、設定はピント範囲調整のための設定で、色はPhotoshop CS4にて色調調整済

製品所在

皇紀弐六七弐年(2012年)五月壱拾五日軍艦堂工廠第参渠ニテ起工
同年六月八日竣工
姫君縁者くノ一様所属

あとがき

地味な扱いを受ける艦ですが、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦などに参加経験のある武勲高き艦船です。

編集 岵囃子裕二(タヌポンの工廠長)@軍艦堂 トップへ