概観諸元

分類:空母 クラス:エセックス級
艦番:CV-9
起工:1941(昭和16)年起工 竣工:1942(昭和17)年竣工
型式:エセックス級 艦番:1番艦
艦名:エセックス 4代エセックス
由来:郡名 アメリカ合衆国マサチューセッツ州エセックス郡に因む イギリスの州名では無い
由来をよくきかれますが、エセックスはセックスではありません。日本語でエッチのセックスや英語の性別の印象がありますが、全然関係ありません。
意味はアングロサクソン人の住む東の地の意味です。 East Saxon が語源となります。

諸元:基準排水量:27,100トン 満載排水量:36,380トン
全長:265.78m 全幅:28.34m 全長は戦艦大和より大きくなります。
竣工時兵装:38口径12.7センチ単装砲×4 38口径12.7センチ連装砲×4 56口径40mm4連装対空砲×8 78口径20mm機関砲×46
最終時兵装:近代化改装後は撤去
搭載機:90-100機 制作時は SBD, F6F, TBF を搭載 通称は前者よりドーントレス, ヘルキャット, アベンジャーです。
信号符字 November - Alpha - Golf - Oscar
N A G O

概要

エセックス(USS Essex, CV/CVA/CVS-9)は、アメリカ海軍のエセックス級航空母艦のネームシップ。
艦名はマサチューセッツ州エセックス郡に因む。その名を持つ艦としては4隻目。
エセックスは1942年7月31日にバージニア州ニューポート・ニューズのニューポート・ニューズ造船 & 乾ドック社でアーテムス・L・ゲート夫人(海軍航空次官の妻)によって命名、進水し、1942年12月31日にドナルド・B・ダンカン(英語版)艦長の指揮下就役した。訓練航海の後、太平洋に回航された。
1943年春のエセックスの真珠湾到着は、太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将をして、新しい中部太平洋部隊の編成の第一弾として位置づけられた。
8月に入り第5艦隊が編成され、艦隊司令長官にレイモンド・スプルーアンス中将が、指揮下の高速空母任務部隊の司令官にチャールズ・A・パウナル(英語版)少将がそれぞれ就任した。エセックスは、続いて竣工したヨークタウン (USS Yorktown, CV-10) およびインディペンデンス (USS Independence, CVL-22) とともに第15任務部隊(パウナル少将)を構成し、南鳥島攻撃のための二週間に及ぶ訓練演習を共に行った。
第15任務部隊による南鳥島攻撃は1943年9月1日に行われ、島の施設の70パーセント以上が破壊された。この攻撃は、新採用の機動部隊戦術の実際の運用と試験、訓練を兼ねていた。
南鳥島攻撃から帰投すると、エセックスはヨークタウンとともに第14任務部隊(アルフレッド・E・モントゴメリー少将)に配置換えとなり、10月6日から7日にかけてのウェーク島攻撃に参加した。
その頃、ソロモン諸島の戦いはブーゲンビル島の戦いを目前にしており、ニミッツ大将は上陸作戦を支援する空母部隊として、南太平洋軍(ウィリアム・ハルゼー大将)指揮下の第38任務部隊(フレデリック・C・シャーマン少将)のみをあてる予定だった。
一方で、中部太平洋方面でもギルバート諸島攻略のガルヴァニック作戦の開始が目前に迫っていた。エセックス、ヨークタウンに続く新鋭空母の増勢が続けられていたとはいえ、この時点でソロモン方面に振り向けることが可能だった空母は、第5艦隊から借りていたベテランのサラトガ (USS Saratoga, CV-3) と新鋭のプリンストン (USS Princeton, CVL-23) だけであった。
アメリカ軍は11月1日のブーゲンビル島上陸を成功させ、翌2日に生起したブーゲンビル島沖海戦で大森仙太郎少将率いる日本艦隊を追い払うことに成功したが、11月4日になって栗田健男中将率いる強力な日本艦隊の来航を発見し、ハルゼー大将はこれに対抗するため第38任務部隊をラバウル近海に派遣して11月5日に第1回のラバウル空襲を実施。
栗田中将の艦隊は大損害を受けトラック諸島に逃げ帰った。これに飽き足らぬハルゼー大将は、ダメ押しのラバウル空襲を行うことを決め、ニミッツ大将に新手の空母任務部隊の派遣を要請したのである。ニミッツ大将はギルバート諸島方面の戦況をにらみつつ、新手の空母任務部隊を派遣することとし、エセックス、バンカー・ヒル (USS Bunker Hill, CV-17) 、インディペンデンスを基幹とする第50.3任務部隊(モントゴメリー少将)を派遣することに決した。
護衛艦艇の手配の関係で第2回のラバウル空襲は11月11日に行われ、第38任務部隊はブーゲンビル島北方から、第50.3任務部隊は同島南方から挟み撃ちの格好で艦載機を発進させた。
第2回のラバウル空襲は第二水雷戦隊に打撃を与えて成功した。しかし、第50.3任務部隊は第三次ブーゲンビル島沖航空戦に遭遇し、反復攻撃を中止して、ソロモン海域から引き揚げ、エスピリトゥサント島を経由して第5艦隊に復帰し、ギルバートの戦場に向かっていった。11月18日からはタラワ攻撃に参加し、洋上での補給の後、12月5日にはクェゼリン環礁を爆撃して所在の施設や艦船に打撃を与えた。
パウナル少将は南鳥島攻撃を皮切りに空母作戦を滞りなく進めていったが、部下から「慎重すぎる」などと指揮ぶりを批判され、1944年になって早々に更迭された。後任の司令官にはマーク・ミッチャー少将が就任し、部隊の名称も「第58任務部隊」となった。
エセックスはイントレピッド (USS Intrepid, CV-11) 、カボット (USS Cabot, CVL-28) と第58.2任務群(モントゴメリー少将)に属し、1月29日から2月2日までクェゼリンの戦いの支援に参加した。作戦が予想外に進捗したのを受け、エニウェトクの戦いが繰り上げて実施されることとなり、その支援のためトラック島空襲が実施された。エセックスのいた第58.2任務群は、第58.1任務群(ジョン・W・リーヴス少将)および第58.3任務群(F・C・シャーマン少将)とともに2月17日と18日に空襲を行い、壊滅的な損害を与えることに成功した。
三個任務群は一旦引き揚げた後、2月23日にサイパン島、テニアン島およびグアムを攻撃して日本側の補給路に更なる打撃を与えた。一連の作戦を終えると、エセックスはオーバーホールのためサンフランシスコに回航された。 オーバーホールを終えたエセックスは、アメリカ海軍航空隊のエース・パイロットであるデヴィッド・マッキャンベル(英語版)少佐が率いる第15飛行群を乗せ、ワスプ (USS Wasp, CV-18) 、サン・ジャシント (USS San Jacinto, CVL-30) とともに第58.4任務群を構成し、5月19日から20日にかけては南鳥島を、5月24日にはウェーク島をそれぞれ攻撃。
続くマリアナ・パラオ諸島の戦いでは、6月12日から8月10日までのマリアナ諸島制圧、6月19日から20日のマリアナ沖海戦、および9月6日から8日までのパラオ制圧を中心に、一貫して航空支援に努めた。この間、エセックスがいた大艦隊の司令長官は第5艦隊のスプルーアンス大将から第3艦隊のハルゼー大将に代わり、第58任務部隊は第38任務部隊と改められた。直後の9月9日から10日にかけては、第38.3任務群(F・C・シャーマン少将の一艦としてミンダナオ島攻撃を行い、ペリリューの戦いを支援した。
エセックスは占領したばかりのウルシー環礁に帰投。10月2日に台風が襲来したものの乗り切って、10月6日に南西諸島および台湾攻撃のため出撃した。
エセックスの艦載機は10月10日に沖縄島を(十・十空襲)、10月12日から14日にかけては台湾各地を空襲してアメリカ軍のレイテ島上陸を支援した。
10月24日から25日のレイテ沖海戦に参加し、10月30日まで日本艦隊の捜索を行った後、ウルシーに一旦帰投して補給を行った。
11月に入ってからはマニラ空襲などフィリピン北部の要所を空襲し、日本軍に圧力をかけ続けた。
11月25日から26日にかけてもエセックスの第38.3任務群はフィリピン各地への空襲を計画していた。しかし、その11月25日、エセックスは初めて敵の攻撃により損害を受けることとなる。
この日、日本軍は零戦、彗星、銀河を基幹とする5隊の神風特別攻撃隊をマニラ近郊の航空基地から発進させ、すでに第38.2任務群(ジェラルド・F・ボーガン(英語版)少将)のイントレピッド、カボットに突入して損害を与え、ハンコック (USS Hancock, CV-19) に軽微な損害を与えていた。
エセックスは特攻機2機の攻撃を受け、そのうちの1機を撃墜したものの、もう1機が飛行甲板に命中。15名が戦死して44名が負傷したが、幸いにも深刻な損害とはならず、被災したイントレピッドの艦載機を一時的に収容して避難させた。一連の神風攻撃は、ハルゼー大将に11月26日の攻撃を中止させる決断を引き出すに至り、第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の大半はフィリピン海域から一時撤退することとなった。
ウルシーでの修理の後、エセックスは再び前線に出動。12月14日から16日にかけてはミンドロ島の戦いを支援。コブラ台風に遭遇の後、生存者の捜索にあたった。1945年に入り、エセックスは台湾、先島諸島、沖縄およびルソン島に対する一連の攻撃に参加し、リンガエン湾上陸に端を発するルソン島の戦いの手助けをした。
続いて第38任務部隊は南シナ海に侵入し、サイゴン、海南島、香港、中国沿岸部を片っ端から攻撃し、軽巡洋艦香椎率いるヒ86船団などを全滅させるなど猛威を振るった。
1月20日から21日にかけて台風に遭遇した後、1月26日から27日にかけての台湾、沖縄、宮古島への再度の攻撃を行い、ウルシーに帰投した。
この後、ハルゼー大将はスプルーアンス大将と交代して艦隊の名称は第5艦隊となり、第38任務部隊は第58任務部隊となってミッチャー中将が指揮を執る事となった。
エセックスは、硫黄島の戦いの援護として、1942年4月18日のドーリットル空襲以来初めてとなる、アメリカ海軍による日本本土空襲に参加するため出撃した。
2月16日から17日および25日の3度にわたり、艦載機は東京を初めとする関東地方各地の軍事施設や工場を攻撃。日本軍の抵抗は驚くほど微弱で、艦載機は大した損害もなく空母に収容されていった。
続いて、エセックスは沖縄戦に参加。3月28日から5月23日までの間、断続的に航空支援を提供し続けた。この間に再び第5艦隊は第3艦隊となって、ハルゼー大将とマケイン中将が部隊の指揮を執った。レイテ湾での整備の後、エセックスはボーガン少将の第38.3任務群の一艦として、日本の本州各地に対する最終攻撃に参加した。
エセックスの艦載機は、7月10日の厚木海軍飛行場攻撃を皮切りに、東北地方、青函連絡船などに対する攻撃を遂行した。8月15日の日本の降伏の後、エセックスは9月3日まで戦闘哨戒を継続。その後、本国に帰投し、1947年1月からはブレマートンにおいて予備役艦隊に編入された。
戦後略
エセックスは1969年6月30日に退役した。1973年6月1日に除籍され、1975年6月1日に防衛再利用マーケティングサービス (Defense Reutilization and Marketing Service, DRMS) によってスクラップとして売却された。
エセックスは第二次世界大戦の戦功で殊勲部隊章および13の従軍星章を、朝鮮戦争の戦功で海軍部隊栄誉章と四つの従軍星章を受章した。

Wikiより抜粋

同型艦:タイコンテロガ以降は長船体型のため含めません。

使用部品

製作工程 1944 Measure 36-6-10D Camouflage scheme

製作開始 1944 初期 Measure 36-6-10D CAMOUFLAGE SCHEME 再現

  1. 製作開始





    エセックス製作開始です。先週ワシントン竣工したのですが、性懲りも無くヤマアラシの機銃をまた拝みたく・・・Mかw
    フルハルは当然抹殺して、喫水状態の再現ですが、この船体は喫水時の再現には非常に貧弱な構造となっています。といいますが、フルハル前提なのでしょうか、屈強な梁は喫水を下回ってしまうので、切除しなくてはなりませんし、底板がありません。かつ、梁は薄く許ないので、多少補強が必要です。
    キット自体は、ドラゴン製です。格納庫床面まであり、シャッター全開も可能で、非常に好印象のキットです。艦載機も6機x3種で18機付属で、申し分なしのボリュームです。





    艦首は定番のキャプスタン交換、チェーン交換、水密ドア交換を行います。
    ボフォース4連装はレジンパーツとエッチングを使用します。盾なしか盾付か悩みましたが、キットは盾なし、ハセガワのキットの箱絵は盾付、ドラゴン製のキットも盾付なので、盾付で製作します。
    デッキ部分は事前に塗装してマスクをしておきます。
    ハンガーデッキ



    船体両の鋼板継ぎ目のモールドはありませんので、実艦通り、マスキングとサーフェーサー吹きで横目を再現します。縦目は不要です。
    艦橋は交換可能な部分を交換していきます。1943以前と、1944以降は艦橋構造が異なりますので注意が必要です。
    この場合、1944初期以降の Measure 36-6-10D Camouflage scheme メジャー36-6-10D 迷彩スキーム再現なので、艦橋上部張出し単装機銃2基(両舷)スポンソンは、増設した状態に再現、艦橋最前面のボフォース40mm4連装対空砲は撤去された状態、トップマストのSKレーダーはファンネル右へ移設、同位置にあったレーダーは撤去、トップマストはSKレーダーのあった一にSK2レーダーを設置します。あと、ファンネル後部の方位探針儀か、なにかの計測器かの突起は撤去します。
    船体に戻って、デッキブルー部分のマスキングです。後部からもマスクをしていきます。





    この船体は迷彩 Measure 36-6-10D CAMOUFLAGE SCHEME  ですので、迷彩を前提にした作業をしなければなりません。マスクが完了したら、先ず格納庫内甲板を塗装後、ウォッシングをしておきます。
    処理が出来たら、十分乾燥後、吹き込む可能性のある周囲の格納庫甲板をマスキングしておきます。
    本来航行時は滅多にシャッターは開けっ放しにしませんが、模型の再現上、今回は半数以上格納庫シャッターを開放状態にして、内部にも格納駐機状態にして再現する予定です。
    迷彩は RLM65ライトブルーとマットブラックで行います。今回の迷彩は曲線を伴いますので、イラストレーターでベジェ曲線を使い、デザインを起こし。カッティングマシンで切らせてマスクを作成しました。





    手摺がまだですが、艦首部分が仕上がりました。
    左舷中途にある、飛行甲板とハンガーデッキとのエレベーターは、裏面のモールドを、トラス筋で再現します。(予想外に時間とられた(;´∀`))
    左舷完成です。この状態で、ボフォース4連装機関銃と5インチ単装高角砲は取付け済です。あと、完成したハンガーデッキエレベーターとクレーンを設置していません。
    実際、クレーンは合致するクレーンを探し中です。近似型の戦艦用クレーンを詰めて使用する方法をとってみます。





    右舷も完成したので、先程のクレーンを設置してみました。艦尾は、ボフォース4連装機銃を設置して、火器制御機器を置きます。
    このあたりの迷彩は入り組んでいるので、注意して塗装します。
    ハンがーデッキ層の艦尾に荷物として米海軍用弾薬箱を18個ほど作っておいてみます。多少サイドエレベーター上へも、アクセントに置いてみます。
    ハンガーデッキ内に配置する艦載機は当然足りないので、ハセガワのアメリカ空母艦載機セットを使用しました。
    これ、多分私が子供の頃の1980年前後~90年代の金型のままだと思います。当時100円くらいだった気がしますが、5倍になってます。






    側面と上面から完成した艦載機を撮影してみました。エッチングは、後輪、前輪カバー、前輪格納庫モールド、主軸とタイヤ、プロペラを交換です。
    TBFアヴェンジャーは切断面が入り組んでますので、丁寧にカットします。この艦載機製品はモールドは浅いのですが、厚みはむちゃくちゃ薄いので、リアルな感じです。
    スピナーは子供の頃1970~1980年代製品とは思えないスマートなモールドなので、カットして、エッチングの上に接着します。
    カット後、切断面を綺麗にして、キャノピー、マシンガン、アンテナ、前輪主軸、支柱、前輪格納庫モールド、プロペラのエッチングを取付けます。塗装して、切り離した主翼を取付けて完成です。
    1機作成に概ね1時間半程度となります。アヴェンジャーは格納庫内に10機、甲板上に6機計16機配置します。 甲板上はハセガワ製では無くキット付属のため、混在させずに配置します。




    アヴェンジャーが完成したら、ハンガーデッキ内と後部エレベーター、サイドエレベーターに各1基、他は湖内に設置します。最後は前部にF6Fです。
    F6Fも基本アヴェンジャーと同作業になります。機体が小型なので収納状態では3列に配置しました。これ、実艦では甲板上で5列に配置するんですよね。
    しかも艦首カタパルトで射出だから艦首近くまで露天駐機があり、100機近く搭載してたはずなので、そりゃ悔しいが、戦争にも負けるはずです。反則だw






    作業は甲板に入りました。周囲のブルワークを床面塗装してマスクして、ハンギングレールや手摺を配置、ここは日本軍と同じ2段パイプ手摺です。アンテナ支柱は5基エッチングで用意し、トップに横桁を付けました。実際は少し短めです。
    全体にミディアムシーグレーを吹いて、エレベーター周囲の白縁を再現するためマスクして白吹きします。
    次いで、艦全体の基本色であるライトブルーを吹くためマスクを飛行甲板面に施します。ライトブルーを吹き終わったら、甲板面のラインなどの塗装に入ります。





    イラストレーターで、デカールを1200dpi以上でスキャンしたものをベースにライン取りします。
    対象は左右と中央の白線、艦後方の2本ライン、艦番号の9です。
    ラインは全体で作りましたが、写真のように小さなブロック単位の方がシートを扱いやすいので、小分けに塗装する方がいいと思います。





    周囲の吹きこぼれが行かないように念のためマスクを拡大して吹いていきます。
    最後にCV-9艦番の9を塗装して完成です。
    船体完成に向けて最後の飛行甲板上構造物です。
    キホンの色となるライトブルーを全てに吹きます。その中から迷彩の非干渉部分を取付けます。
    艦橋、前部5インチ砲台、管制台は迷彩の影響を受けますのでマスキングをして塗装します。
    実際こうなる前に作業した方が効率は良いです。気を使いすぎになっちゃう。(;´Д`)





    艦橋は複雑な立体構造なので、吹き込みなどを最小限に抑えて、レタッチと併用して整えます。
    船体管制となります。今日完成予定でしたが、甲板塗装が手間を取ったので、来週出陣にします。
    これから50丁を超える単装機銃と、フルエッチング化する甲板上の SBD, TBF, F6F 計18機の作成になります。
    船体と飛行甲板のウェザリングを終えたので、見えないハンガーデッキ越しに撮ってみました。
    最後の単装機銃の設置です。ここまでに、艦橋周りの回転砲塔横の手摺など細かな物は概ね取付を終えてあります。単装機銃は一気は多分精神的にきついので、1ブロック毎の進行です。
    先ず左舷最前部。5丁、弾薬爆3個です。





    昨日弾薬筺3個設置したのですが、歯抜けが妙に落ちたっぽくみえるので、4個ずつ設置して行きます。前部やや中央よりに5基、筺4個、中央よりから後部にかけて2箇所 5基+5基、筺4個+4個、艦尾左舷に2基、筺1個、艦尾左に2基、筺1個設置して左舷完成です。





    後方から眺望。次いで右舷です。後方から艦尾右に2基、筺1個、艦橋後部に8基、筺7個設置です。
    ここで、アメリカのサイトを探っていたら艦尾マストはトップ横桁がなく、直前に太めのアンテナ各1本、後部から直前のマストまでの 1/3の位置までに細いアンテナ2本が立っている写真がありましたので、横桁と、3本張ったアンテナ線を撤去します。艦橋は避けて、艦首に回ります。Oerlikon20mm機関銃は4基、艦橋左舷に2基をここでブロックに区切り製作します。始末も兼ねていますので、マストにディテールアップを施します。





    艦橋左舷側は機銃が2丁分。最後に艦橋右舷側、こちらは6-5-2基 5-4-1個で配置します。同様に艦橋マスト部の最終ディテールアップも行います。
    艦載機の作成です。後部艦橋から順に設置して行きます。特段海戦時の設定はありませんので、自由に配置していきます。1944年なので、コルセアがCV-9に実戦配備された年なので、多めに搭載してみます。
    余談ですが、米軍で私の一番好きな機体はF4Uコルセアです。あのフラップ下げて駐機してる姿は恐怖すら覚えるかっこよさですね。(笑)
    用意したのがコルセアだけで無謀にも20機、4機一列として、計5列(;´∀`)




    都合70機以上、過去最大数の艦載機を載せました。1/3強はハンガー内です。この空母の搭載機数が90-100機なので、実際の運用に近い数ですが、多い(笑)
    これでトップコートにて完成です。

完成写真

HULL SCAPE

ZOOM UP

WATERLINE VIEW

 



撮影環境
ミニクリプトン球(電球色)6燈直射による自作撮影ブース
撮影に使用したカメラなどの機材
Nikon D90, Nikon AF-S NIKKOR 24-85mm, Nikon AF-S NIKKOR 18-55mm, Kenko CLOSE-UP Lens f330 52mm, SLIK三脚
撮影時のカメラの設定値
F-18, NOFLASH, ISO100-1400, 露出補正+1.7

製品所在


2012年2月軍艦堂工廠第弐渠にて起工 同年同月竣工

あとがき


この艦はレイテ沖海戦にて武蔵を沈めた航空兵力の一翼です。

編集 鴣囃子裕二@軍艦堂 トップへ